大韓民国

基礎データ
英語名称:  Republic of Korea
首  都: ソウル(Seoul) 
面  積: 9.9万km2
人  口: 4,456.3万人(人口増加率1.0%)
言  語: 韓国語
民  族: 韓民族
宗  教: 仏教徒27%、キリスト教24%、その他儒教徒、天道教(91年統計)
略史:3C終わりに氏族国家が対立。三国時代(A. D.4世紀~668年)、新羅(668~935)、高麗(918~1392)、朝鮮(1392~1910)を経て日本統治(1910~1945)となり、第2次世界大戦後北緯38度以南は米軍の軍政。1948年大韓民国成立。
大統領: 金泳三(Kim Young-Sam) 
首 相: 高建(Koh Kun)(97年3月以降)
外 相: 柳宗夏(Yoo Chong Ha)
軍事力: 総兵力66.0万人(陸54.8万、海6.0万、空5.2万)96年予算156億ドル
G N P: 3,664.8億ドル[一人当たり8,220ドル]
経済成長率: 9.0%(1995年)、8.6%(1994年)、5.8%(1993年)
物価上昇率: 4.5%(1995年)、6.3%(1994年)、4.8%(1993年)
失 業 率: 2.0%(1995年)、2.4%(1994年)、2.8%(1993年)
通   貨: ウォン(1ドル=844.2ウォン)
対日輸入: 32,597百万ドル・繊維製品、電子製品等
対日輸出: 17,088百万ドル・機械類、電気、電子機器等
我が国の政府開発援助:  64.21百万ドル(1位)
    無償資金協力:  -----百万ドル
      技術協力:  90.75百万ドル
     政府貸付等: ▲26.54百万ドル
日本からの直接投資: 4億4,525万ドル
在 留 邦 人 数: 10,206名

 96年、韓国の内政は、第15代大統領選挙(97年12月)に向けて動きも活発化する中、様々な局面で与野党間の攻防が展開された。4月の総選挙では、与党新韓国党は善戦するも過半数割れとなり、新政治国民会議は目標議席数を大幅に下回り、自由民主連合は目標議席数を確保したが、民主党は惨敗した。この結果、与党新韓国党と野党第一党となった新政治国民会議はそれぞれ勢力挽回を図る必要に迫られ、対話と妥協のない与野党対立の構図の中で、第15代国会の院構成及び国会開会が約1か月遅れることとなった。また3月に初公判が行われた12・12「粛軍クーデター」事件、5・18光州事件等に対する裁判は、8月の第一審判決で、全斗煥(チョン・ドゥホァン)元大統領は死刑、盧泰愚(ノ・テウ)前大統領は懲役22年6か月の判決が言い渡されたが、12月の第二審判決では、全元大統領は平和的政権交代等に対する貢献が評価され無期懲役に、盧前大統領には懲役17年に減刑された。なお、定期国会で通過できなかった国家安全企画部法改正案、労働関係諸法改正案が、年末に行われた臨時国会で与党により抜き打ち単独採決された結果、与野党間の対立が激化するとともに、労働者側の反発による大規模ストが発生した。
 経済面では、94、95年とそれぞれ高い経済成長率を達成した韓国経済は(94、95年のGDP成長率は各々8.6%、9.0%:政府発表)、輸出不振を主な原因とする景気下降により成長率が大幅に下落した(96年のGDP成長率は7.1%(暫定値):政府発表)。全般的に、輸出の伸びの鈍化が著しく、旅行収支等貿易外収支も悪化したことなどから、貿易収支、経常収支ともに大幅な赤字を記録した(貿易赤字206億2,400万ドル、経常収支赤字237億1,600万ドルと各々史上最大値を更新:政府発表)。景気低迷は予想以上に長期化するものと見られている。
 対外面では、96年も、北朝鮮の核兵器開発問題や不透明な北朝鮮情勢への対応について、日本及び米国との緊密な連携体制が維持され、7月のARFに際しては日韓米外相会談が、1月、5月、9月には3か国の高級事務レベル協議が開催された。また、米国の高位級関係者がしばしば訪韓し、対北朝鮮政策に関する韓国側との協議を行った。特に、4月に済州島で行われた韓米首脳会談では、朝鮮半島における平和増進のために4者会合が提案された(詳細は第1分冊第1章2.(3)参照)。他方、「外交の多様化」を外交目標の一つとして掲げる金泳三大統領は、活発な首脳外交を推進した。3月のASEM出席に際してはインド、シンガポールを、11月のAPEC出席に際してはヴィエトナム、マレーシアを訪問した他、9月には中南米諸国を歴訪した。さらに、95年11月に国連安保理非常任理事国に選出されたのに引き続き、96年11月には同経済社会理事会理事国にも選出され、また、12月にはOECDに加盟する等、韓国は、国際社会におけるその地位をますます向上させつつある。
 南北関係については、韓国による対北朝鮮食糧支援等があったにもかかわらず、進展が見られていない。朝鮮半島における平和の問題は米朝間で議論されるべきであると一貫して主張する北朝鮮は、2月末、同問題を解決するために米朝間で暫定協定を締結することを提案した。その後、人民武力部第一副部長が休戦状態は限界点に到達したとの談話を発表したのに続き、4月初めには、休戦協定に基づいて北朝鮮側が負っている軍事境界線と非武装地帯の維持・管理に関する任務を放棄する旨を発表して、3連夜にわたって1個中隊規模の武装兵力を板門店の共同警備区域内に侵入させ、2~3時間で撤収するという示威行動を繰り返した。韓国側は、6月には北朝鮮の水害に対する人道的支援として国連人道問題局(DHA)のアピールに応え300万ドルの拠出を行い、また、8月の独立記念日の大統領演説では、北朝鮮が4者会合提案に応じれば、水害に遭った農地の復興支援を含め、北朝鮮に対しさまざまな利益を与える用意がある旨述べる等、柔軟な対応をとる用意があることを示したが、北朝鮮側よりは肯定的な反応は見られなかった。特に、9月18日には北朝鮮の潜水艦が韓国北東部の江陵(カンヌン)市付近で座礁しているのが発見され、北朝鮮が、本件を事故と主張し、また、被害者として報復の権利を有するとの声明を発表するなど、誠実な対応を行わなかったのに対し、韓国は、北朝鮮による謝罪と再発防止の約束を求めた。10月16日には国連安保理は、この事件につき「重大な懸念」を表明するとの議長声明を全会一致で採決した。その後、累次にわたる米朝間の協議を経て、12月29日に、北朝鮮外交部スポークスマンは声明を発出し、潜水艦事件に関し「深い遺憾の意」を表明するとともに再発防止に向け努力する旨表明した。
 日本との関係では、2月に韓国政府が竹島において接岸施設工事を実施する旨発表したことを契機として、竹島に関するに日韓両国の立場の違いに焦点が当たったが、3月2日にASEMの際行われた日韓首脳会談において、国連海洋法条約の批准に伴ってとる措置は、竹島問題に関する両国の立場に影響を及ぼすものでないことを前提とすることが確認された。更に、6月22日及び23日の済州島での日韓首脳会談においては、5月31日に決定された2002年のワールドカップ・サッカー共同開催を契機に両国の友好協力関係を一層発展させていくことにつき両国の首脳間で認識が一致した。この首脳会談は、隣国の首脳同士が自由に意見交換するとの観点から地方で行われたものであるが、終始非常に雰囲気の良い中で行われ、首脳レベルの信頼関係を構築する上で大きな成果があった。
 韓国の対日貿易赤字は、94年の史上初の100億ドル突破に続き、95年も約156億ドルと大幅に増加し、96年もほぼ前年並みの約157億ドルを記録した。これは、韓国の景気停滞により、設備投資のための資本財・中間財の日本からの輸入が減少した一方、円安の影響等により対日輸出も減少したためと考えられる。他方、韓国は、OECD加盟等を背景に市場開放、規制緩和、合理化等を推進し、着実に先進国としての第一歩を踏み出しており、OECD、WTO、APEC、ASEM等の国際場裡での日韓間のパートナーとしての協力がますます深まることが予想されている。