タイ

基礎データ
英語名称:  Kingdom of Thailand
首  都: バンコク(Bangkok)
面  積: 51.4万km2
人  口: 5,872万人(人口増加率1.6%)
言  語: タイ語
民  族: 大多数がタイ族。その他、華僑、マレー族、山岳少数民族。
宗  教: 仏教
略史:タイ族は、中国南西部から南下。王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ、その後アユタヤ王朝(14~18世紀)、トンブリー王朝(1767~1782)を経て、現在のチャックリー王朝(1782~)に至る。1932年立憲革命。
政  体: 立憲君主制
元  首: プーミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol adulyadej、国王)
首  相: チャワリット・ヨンチャイユット(Charalit Yongchaiyuth)
外  相: プラチュアップ・チャイヤサーン(Prachuab Chayasan)
軍事力: 総兵力25.4万人(陸15.0万、海6.4万、空4.0万)96年予算40億ドル
G N P: 1,298.6億ドル[一人当たり2,210ドル]
経済成長率: 8.7%(1995年)、8.8%(1994年)、8.3%(1993年)
物価上昇率: 5.8%(1995年)、5.0%(1994年)、3.3%(1993年)
失 業 率: 1.5%(1993年)、1.4%(1992年)、2.7%(1991年)
通   貨: バーツ(1ドル=25.61バーツ)
対日輸入: 21,625百万ドル・鉄鋼、自動車等
対日輸出: 9,477百万ドル・魚介類、事務用機器等
我が国の政府開発援助: 667.37百万ドル(1位)
    無償資金協力: 14.75百万ドル
      技術協力: 147.46百万ドル
     政府貸付等: 505.16百万ドル
日本からの直接投資: 12億2,358万ドル
在 留 邦 人 数: 21,745名

 バンハーン政権は、ASEMの開催及びプーミポン国王陛下即位50周年記念式典を成功裏に執り行い、これら業績を国民に強く訴えた。他方、同政権の種々の汚職疑惑がマスコミにより強く批判されるとともに、インフレ、株式市場の低迷、経常収支の赤字などタイ経済全体に対する停滞感が蔓延し、同政権を非難する声が強まった。8月、野党側は、バンハーン首相に対する不信任案を提出し、9月27日に下院が解散、11月17日に下院総選挙が行われ、接戦の末チャワリット副首相兼国防相率いる新希望党が第一党となった。翌18日、新希望党など6党で連立与党を組むことが決定され、12月1日にはチャワリット政権が正式に発足した。
 経済面では、輸出の伸び率が大幅に低下したことなどから、実質経済成長率は6.7%に低下する見込み(95年は8.7%)である。97年には、金融政策がやや緩和の方向に向かうものと見られていること、輸出の伸びが回復に向かうと期待されることなどから、実質経済成長率の見通しは96年を上回る7.1%と見込まれている。
 対外面では、ASEMの開催国としてその成功に多大に貢献するとともに、ASEANとしての結束を重視し、中国との良好な関係を維持しつつ、インドシナ諸国及びミャンマーとの協力関係の増進に努力した。
 日本との関係については、要人の往来は活発であり、2月のASEM外相会合の際に池田外務大臣が訪問、3月のASEMの際には橋本総理大臣が訪問し、バンハーン首相と会談した。11月には中曽根元総理大臣が、12月には海部元総理大臣が訪問した。皇室関係者では、3月には秋篠宮・同妃両殿下がシーナカリン王母殿下の火葬の儀に出席するためタイを訪問されたほか、4月には再び秋篠宮殿下が、8月、9月には常陸宮・同妃両殿下がタイ国王即位50周年祝賀のため訪問された。経済協力の面では、社会セクター支援(教育、エイズ等)、環境保全、地方開発、経済インフラ整備と人材育成、地域協力支援の5分野を日本の対タイ援助の重点分野とすることで双方の意見が一致した。