カンボディア

基礎データ
英語名称:  Kingdom of Cambodia
首  都: プノンペン(Phnom Penh)
面  積: 18.1万km2
人  口: 997万人(人口増加率3.1%)
言  語: カンボディア語(公用語)
民  族: 大多数がクメール(カンボディア)人、その他中国系、越系、チャム族等
宗  教: 仏教(小乗仏教)
略史:1953年、カンボディア王国として仏から独立。70年ロン・ノル政権、75年ポル・ポト政権、79年ヘン・サムリン政権樹立を経て、内戦状態に陥る。91年パリ和平協定署名、93年のUNTAC管理下の制憲議会選挙を経て、同年9月に現王国政府発足。
政  体: 立憲君主制
元  首: ノロドム・シハヌーク(Norodom Sihanouk、国王)
首  相: ノロドム・ラナリット(Norodom Ranariddh、第一首相)、フン・セン(Hun Sen第二首相)
外  相: ウン・フォット(Ung Huot、外相)
軍事力: 総兵力87,700人(陸36,000、海1,200、空500)96年度予算1.2億ドル
G N P: n. a.
経済成長率: 7.6%(1995年)、 4.0%(1994年)、 4.1%(1993年)
物価上昇率: 7.8%(1995年)、▲0.5%(1994年)、114.5%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: リエル(1ドル=2,713リエル)
対日輸入: 84百万ドル・機械、車両等
対日輸出: 7百万ドル・木材等
我が国の政府開発援助: 152.04百万ドル(1位)
    無償資金協力: 134.90百万ドル
      技術協力: 17.14百万ドル
     政府貸付等: ---百万ドル
日本からの直接投資: 47.5万ドル(1992年)
在 留 邦 人 数: 307名

 内政面では、97年、98年にはそれぞれ地方選挙、国政選挙が予定されており、96年初め頃から、連立政権を担うFUNCINPEC党(FU党)と人民党(旧プノンペン政権の母体)との間で選挙をにらんでの確執が表面化した。7月の支援国会合の際に訪日したラナリット第一首相(FU党党首)とフン・セン第二首相(人民党副党首)は、国際社会に対し、内政の安定化及び民主化の促進につき明確に約束したが、今後もある程度の軋轢は避けられないと見られる。軍事面では、クメ-ル・ル-ジュ対策に大きな進展が見られた一方で、ポル・ポトなど強硬派勢力は武装闘争姿勢を崩しておらず、治安上の不安定要因は依然残っている。
 経済面では、マクロ経済全体としては依然堅調であるが、政治面の不安定要素が為替レート等に反映されたのに加え、10月にはメコン水系の洪水被害の影響を受けた。政府の経済運営では、特に木材問題などに課題を残した。
 対外面では、歴史的経緯を踏まえ、近隣諸国、特にヴィエトナム及びタイとの関係を重視しており、国境問題等微妙な問題があるが、基本的には良好な関係が維持されている。4月にはASEAN加盟申請を提出し、12月の非公式閣僚会合にて、カンボジアとラオス、ミャンマ-の同時期加盟が決定された。
 日本との関係については、和平プロセス以来の日本の貢献並びに経済協力に対するカンボジア政府及び国民の評価は高く、関係は極めて良好である。7月には第一回支援国会合が東京において日本と世銀の共同議長の下に開催され、ラナリット、フンセン両首相が揃って出席した。同会合では全体で5億ドルの支援が表明されたが、日本は開発支援として80~100億円を、地雷除去支援として250万ドルの支援を表明した。これに先立ち、日本は、カンボディア情勢全般に関する非公式会合を主催し、両首相の協力関係を国際的にアピールする場を提供するなど、政治分野においても大きな役割を果たしていることを改めて印象付けた。