(香港)

基礎データ
英語名称:  Hong Kong
面  積: 1,074km2
人  口: 583万人(人口増加率0.7%)
言  語: 英語及び中国語(公用語)、広東語ほか
民  族: 漢民族(約98%)
宗  教: 仏教、道教、カトリック、プロテスタント、回教、ヒンドゥー教、シーク教、ユダヤ教
略史:南京条約(1842年)により香港島、北京条約(1860年)により九龍半島の先端が英国領土に。1898年、英国は新界等を租借。1984年の英中共同宣言で1997年7月1日をもって香港の全領域が中国に一括返還されることとなった。
政 体: 英国属領(dependent territory)
元 首: エリザベス2世(Queen Elizabeth II、英国女王)
総 督: クリストファー・パッテン(Christpher Patten)
軍事力: 軍事力:1個歩兵大隊、沿岸哨戒挺3隻、ヘリコプター1個飛行隊等
G N P: 1,262.9億ドル[一人当たり21,650ドル]
経済成長率: 5.0%(1995年)、5.4%(1994年)、6.4%(1993年)
物価上昇率: 9.0%(1995年)、8.1%(1994年)、8.5%(1993年)
失 業 率: 3.2%(1995年)、1.9%(1994年)、2.0%(1993年)
対日輸入: 28,602百万ドル・通信音響機器、電気機械等
対日輸出: 10,596百万ドル・衣料品類、宝石類、時計等
我が国の政府開発援助: ---百万ドル
    無償資金協力: ---百万ドル
      技術協力: ---百万ドル
     政府貸付等: ---百万ドル
日本からの直接投資: 11億2,510万ドル
在 留 邦 人 数: 21,766名

 返還を翌年に控えた96年は、1月に発足した香港特別行政区準備委員会(PC)を中心に中国側主導の返還準備が順調に進められた。また、中英関係が比較的良好に推移し、累次の外相会談等を通じ円滑な香港返還に向けた協力が確認されたことも、返還準備の進展を促すこととなった。96年末には、PCが組織した推薦委員会(香港人400人で構成)により董建華氏(元海運会社社長)が初代行政長官に選出されるとともに、臨時立法会議員が選出され、特別行政区政府(SAR)作りの骨格が固まった。他方、臨時立法会設立問題、国家分裂、政府転覆等を禁止する基本法23条の関連法立法問題等を巡る中国側と英国・香港政庁及び民主派政党との対立は依然続いている。
 96年の香港経済は失業率の低下、物価上昇率の低下、消費の回復が見られるなど回復軌道に乗った。その要因としては、物価上昇率の低下についてはドル高及び中国、日本等主要輸入相手国の物価安定による輸入品価格上昇の抑制、不動産賃貸料の上昇率の鈍化が挙げられ、また、消費の回復については新空港建設を控えた投資の増加傾向、株式、不動産市場の活況による消費の刺激、失業率の低下などが挙げられる。また、GDP実質成長率は上昇傾向にあり、株式、不動産市場の回復が目覚ましいことから、香港政庁は通年ベースで4.7%を達成すると予測している。
 日本との関係では、日港友好議連代表団の来訪(5月)、魯平香港マカオ弁公室主任の訪日(6月)、池田外務大臣の来訪(8月)、パッテン総督の訪日(11月)など要人の往来が活発であった。自由な香港の維持・継続は香港のみならず日本にとっても好ましく、香港の安定と繁栄に対する日本の支援は今後とも重要である。中国返還の1年前という香港の将来にとって極めて重要な時期に要人の往来が積極的に行われ、その際に香港の将来への日本の支持・支援が明確に表明されたことは、日・香港関係にとり大きな意義があった。9月には尖閣諸島問題を巡り反日運動が顕著であったが、全般としては、基本的に関係は良好であり、また、96年の日本からの来訪者は史上最高の200万人台を記録するとみられる。