ラオス

基礎データ
英語名称:  Lao People's Democratic Republic
首  都: ヴィエンチャン(Vientiane)
面  積: 24万km2
人  口: 474万人(人口増加率3.1%)
言  語: ラオス語
民  族: 低地ラオ族(60%)、その他60数種族
宗  教: 仏教
略史:1953年完全独立。1973年3派連合政府成立。1975年12月ラオス人民民主共和国成立。
政 体: 人民民主共和制
元 首: ヌーハック・プームサワン(Nouhak Phoumsavanh、大統領)
首 相: カムタイ・シーパンドーン(Khamtay Siphandone、党議長)
外 相: ソムサワート・レンサワット(Somsavath Lengsavad、党中央委員)
軍事力: 総兵力37,000人(陸33,000、海ε500、空3,500)96年予算7,700万ドル
G N P: 15.0億ドル[一人当たり320ドル]
経済成長率: 7.1%(1995年)、8.1%(1994年)、5.9%(1993年)
物価上昇率: 25.7%(1995年)、6.8%(1994年)、6.3%(1993年)
失 業 率: 3.0%(1992年)
通   貨: キップ(1ドル=935キップ)
対日輸入: 32百万ドル・自動車等
対日輸出: 27百万ドル・木材等
我が国の政府開発援助:  97.58百万ドル(1位)
    無償資金協力:  78.79百万ドル
      技術協力:  22.31百万ドル
     政府貸付等: ▲ 3.52百万ドル
日本からの直接投資: 29.9万ドル(1993年)
在 留 邦 人 数: 180名

 3月の第6回ラオス人民革命党の党大会は96年のラオス内政上の重要な出来事であり、86年以来の市場経済化の方針の継続が確認され、2020年に至る長期開発目標等が採択された他、かなり大幅な人事刷新が図られた。同党大会の決議に基づき、その後は引続きカムタイ党議長(兼首相)を中心とする党・政府の指導体制の下で安定的に推移した。
 経済運営面では、堅調な経済成長(7.5%)を達成し、95年後半からの高インフレ率も低下した。しかしながら、慢性的赤字財政と外国援助への依存の体質の問題は、依然として未解消のままとなっている。さらに、95年の規模を上回る洪水被害の発生が、96年のラオス経済にとりかなりのマイナス要因となることが懸念された。
 対外関係では、引き続き97年のASEAN加盟に向けての準備活動及び近隣諸国との友好関係の強化に努力が注がれ、ファン・ヴァン・カイ越副首相のラオス訪問(1月)、オンジョー・ミャンマー外相のラオス訪問、バンハーン・タイ首相のラオス訪問(6月)、カムタイ首相の越訪問(6月)、ウン・フォット・カンボデイア外務国際協力相のラオス訪問(11月)、カムタイ首相のインドネシア訪問(11月)等の要人往来を通じて近隣諸国との関係増進が図られた。
 日本との間では、伝統的に友好・協力関係にあり、特に経済協力を中心とする近年の両国関係の緊密化には顕著なものがある。これを反映して、両国間の人的交流も活発化し、ソムサワート外相(5月)、ポンメーク保健相(ラオ・日友好協会会長)(12月)、カムウアン司法相(12月)の訪日、藤田JICA総裁(5月)及び経団連ミッション(7月)のラオス訪問を含む幅広い人的交流が行なわれた。経済協力では、日本は従来よりラオスの国造りを支援するために無償・技術協力を中心に実施してきているが、95年のODA供与額は約1億ドルに達し、前年に引続いて援助国の中で第一位を占めた。5月にはJICA事務所が開設され、さらに、10月には20年振りの有償資金協力の供与を決定した。