インドネシア

基礎データ
英語名称:  Republic of Indonesia
首  都: ジャカルタ(Jakarta)
面  積: 190.5万km2
人  口: 1億8,991万人(人口増加率1.6%)
言  語: インドネシア語
民  族: 大半がマレー系(ジャワ、スンダ等27種族に大別される)
宗  教: イスラム教(87.1%)、キリスト教(8.8%)、ヒンズー教(2.0%)
略史:1512年、ポルトガルがモルッカ諸島のアンボンを占領。1602年、オランダ゙がジャワに東インド会社を設立し、植民地経営に乗り出す。1945年、インドネシア独立宣言(大統領スカルノ、副大統領ハッタ)。1967年、スカルノが、大統領の権限をスハルトに移譲。
政  体: 共和制
元  首: スハルト(Soeharto、大統領)
大統領: スハルト(Soeharto)
外  相: アリ・アラタス(Ali Alatas)
軍事力: 総兵力ε29.9万人(陸23.5万、海ε4.3万、空2.1万)96年予算30億ドル
G N P: 1,676.3億ドル[一人当たり880ドル]
経済成長率: 8.2%(1995年)、7.5%(1994年)、7.3%(1993年)
物価上昇率: 9.4%(1995年)、8.5%(1994年)、9.7%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: ルピア(1ドル=2,348ルピア)
対日輸入: 10,966百万ドル・機械類、金属製品、化学品等
対日輸出: 12,908百万ドル・石油・天然ガス、合板等
我が国の政府開発援助: 892.42百万ドル(1位)
    無償資金協力: 66.46百万ドル
      技術協力: 203.67百万ドル
     政府貸付等: 622.28百万ドル
日本からの直接投資: 15億9,598万ドル
在 留 邦 人 数: 10,583名

 インドネシアでは、97年5月に予定される総選挙を控えて、内政への関心が高まった。特に6月の党首交代に端を発した民主党内部の対立は、7月には党本部明け渡しを巡って暴動事件に発展し、一時的に緊張感が高まったが、それ以外は総じて安定的に推移した。他方、地方を中心に、局地的な暴動が多発した。
 経済面では、内需の高い伸びにより95年は8.2%の高成長を達成し、また海外からの直接投資も認可ベースで対前年度比約70%増の399億米ドルに達したが、内需拡大による輸入増のため、経常収支赤字は対前年比約2倍の69億米ドルとなった。96年については、7.5%程度の経済成長が見込まれている。
 対外面では、95年後半から96年後半にかけてASEAN議長国を務め、また11月にはジャカルタにてASEAN非公式首脳会談を主催し、カンボディア、ラオス、ミャンマーのASEANへの同時加盟の方針等を決定した。東ティモール問題を巡っては、ベロ司教及びラモス・ホルタ活動家へのノーベル平和賞授賞を契機に改めて国際的な関心が高まった。
 日・インドネシア関係は96年も政治、経済、文化等の各分野で良好に推移した。政治面では、日・インドネシア外相会談が4回に亘り、いずれも国際会議の機会に開催され、二国間関係及び国際情勢一般につき緊密な意見交換が行われた。経済面では、日本は引き続きインドネシアにとって輸出入両面で最大の貿易相手国であるとともに、対インドネシア直接投資累計額でも諸外国中第1位であり、両国間の経済関係は極めて緊密な状態が継続している。経済協力の分野では、第5回インドネシア支援国会合(CGI)が6月に開催され、日本はインドネシア政府が政策重点としているインフラ整備、教育・人材育成、貧困撲滅、地方開発等の事業につき、総額2,276億円の協力を表明した。文化交流の分野では、95年のジャカルタでの日本・インドネシア友好祭の成功を受けて、97年には東京でインドネシア・日本友好祭が開催される予定である。