パキスタン

基礎データ
英語名称:  Islamic Republic of Pakistan
首  都: イスラマバード(Islamabad))
面  積: 79.6万km2
人  口: 1億2,628万人(人口増加率2.8%)
言  語: ウルドゥ語、英語
民  族: パンジャブ人、シンド人、パターン人、バルーチ人
宗  教: イスラム教、ヒンズー教、キリスト教、拝火教
略史:
1947年 英領インドより分離独立
1971年 東パキスタン、バングラデシュとして分離独立
政  体: 連邦共和制
元  首: サルダール・ファルーク・アフマド・カーン・レガリ(Sardar Farooq Ahmad Khan leghari、大統領)
首  相: ムハンマド・ナワズ・シャリフ(Muhammad Nawaz Sharif)(97年2月17日以降)
外  相: ゴーハル・アユーブ・カーン(Gohar Ayub Khan)(97年2月25日以降)
軍事力: 総兵力58.7万人(陸52.0万、海2.2万、空4.5万)96年予算38億ドル
G N P: 555.7億ドル[一人当たり440ドル]
経済成長率: 4.5%(1995年)、 3.8%(1994年)、0.8%(1993年)
物価上昇率: 12.1%(1995年)、11.7%(1994年)、9.5%(1993年)
失 業 率: 4.8%(1994年)、 4.7%(1993年)、5.9%(1992年)
通   貨: ルピー(1ドル=40.12パキスタン・ルピー)
対日輸入: 1,229百万ドル・一般機械、自動車、電気機械等
対日輸出:  542百万ドル・綿糸、エビ、鉱物性燃料等
我が国の政府開発援助: 241.03百万ドル(1位)
    無償資金協力: 57.84百万ドル
      技術協力: 20.26百万ドル
     政府貸付等: 162.92百万ドル
日本からの直接投資: 4,183万ドル
在 留 邦 人 数: 700名

 第2次ブットー政権は、種々の問題に直面しつつ3年目の任期に入ったが、11月に、レガリ大統領が、政権の腐敗、3月の裁判所人事に関する最高裁判決等をめぐる司法との対立等を理由として下院の解散を行ったことにより、同政権は崩壊し、選挙管理内閣としてカーリド暫定政権が発足した。同政権は、憲法の規定に従った97年2月3日の総選挙の実施、腐敗の一掃のための汚職に係る審査の実施及び経済の立て直しを主要課題として掲げている。他方、11月、ブットー前首相は、レガリ大統領による下院解散を違憲として最高裁に訴えを提起した。
 対外関係に関し、対インド関係は、カシミール問題をめぐる対立により依然として改善の兆しは見られておらず、特に、9月のインド側カシミールにおける州議会選挙については反発を強めたが、12月の南アジア地域協力機構(SAARC)外相会合の際には、非公式ながらパ印外相会談が行われた。また、包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉においては、当初否定的な立場をとっていたが、最終的には、インドとの関係から署名はしなかったものの採択には賛成し、採択にすら反対したインドとの立場の違いを明らかにした(9月)。アフガニスタンとの関係については、各派と密接な関係を有していることを背景に、バーバル内相のシャトル外交(10月)を始め停戦に向けた調停工作等において引き続き影響力を行使している。なお、12月には、南アジア諸国歴訪の一環として江沢民中国国家主席が来訪し、従来の良好な二国間関係が再確認された。
 日本との関係については、基本的に良好に推移しており、1月には、ブットー首相が、首相としては92年12月のシャリフ首相以来約3年ぶりに日本を訪問し、首脳レベルの政治対話を通じ両国関係は更に幅の広いものとなった。経済面においては、日本はパキスタンにとって最大の援助国であり、また、最大の貿易相手国の一つである。