ネパール

基礎データ
英語名称:  Kingdom of Nepal
首  都: カトマンズ(Kathmandu)
面  積: 14.7万km2
人  口: 2,136万人(人口増加率2.6%)
言  語: ネパール語
民  族: モンゴル系チベット・ビルマ語族系、インド・アーリア語族系
宗  教: ヒンドゥー教(国教)
略史:1769年、現在のシャー王朝初代プリトゥビ大王による国家統一。1845年からラナ将軍家による専制政治。1951年インドの調停のもと王政復古。1990年、国王親政体制が民主化運動を経て崩壊、複数政党制と主権在民を明記した新憲法公布。
政  体: 立憲君主制
元  首: ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ(Birendra Bir Bikram Shah Dev、国王)
首  相: ロケンドラ・バハドゥール・チャンド(Lokendra Bahadur Chand)(1997年3月12日以降)
外  相: プラカーシュ・チャンドラ・ロハニ(Prakash Chandra Lohani)
軍事力: 総兵力43,000人(陸42,800、空200)96年予算4,400万ドル
G N P: 41.7億ドル[一人当たり200ドル]
経済成長率: 5.8%(1995年)、3.0%(1994年)、7.1%(1993年)
物価上昇率: 7.0%(1995年)、7.6%(1994年)、8.9%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: ルピー(1ドル=57.03ネパール・ルピー)
対日輸入: 67百万ドル・機械機器、輸送機械、鉄鋼等
対日輸出: 2百万ドル・衣類、カーペット、手工芸品等
我が国の政府開発援助: 127.60百万ドル(1位)
    無償資金協力: 95.38百万ドル
      技術協力: 29.42百万ドル
     政府貸付等:  2.80百万ドル
日本からの直接投資: 137万ドル
在 留 邦 人 数: 446名

 96年は、政権基盤が脆弱なデウバ連立政権が辛うじて政権を維持した年であった。連立与党の一翼をなす国民民主党内においては、タパ総裁派とチャンド議員団長(副総裁)派との間で派閥争いが続いており、これに乗じて共産党はチャンド派グループを引き込み、3月および12月の2度にわたり内閣不信任案を提出した。デウバ政権はこの危機を切り抜けたが、デウバ首相の指導力に対するコングレス党内からの突き上げ、国民民主党の分裂傾向等、政情は引き続き不安定要因を抱えている。
 経済面では、3月に世銀・IMFとの間で今後の経済改革政策の枠組みについてほぼ合意に達し、その後付加価値税導入法案成立(施行は明年度より)、土地改革法案の成立等、改革の成果も見え始めている。他方、不安定な農業生産、カーペット・既製服に代わる輸出製品の欠如、社会インフラ整備・開発の対外援助への依存などが懸念要因とされる。
 外交面では、デウバ首相がインド、中国の両国を訪問した他、国王の中国訪問、江沢民国家主席のネパール訪問等があった。インドとの関係では、マハカリ河総合開発条約を締結、批准し、長年の懸案であった水資源問題に一応の決着をつけた他、ネパール製品のインド市場参入改善等に実績を挙げた。対中関係においても、多額の無償援助の受け入れと非政府間での協議フォーラムの設置合意等の成果を挙げた。しかしながら、ブータン難民問題については、4月に第7回ネパール・ブータン合同閣僚会議が開催されたが、実質的な進展は見られなかった。
 96年は、日本とネパールの外交関係樹立40周年にあたり、友好団体の協力の下にネパールの王族、政府要人、財界関係者等を日本に招き、各種の記念祝賀行事が催された。ポーデル下院議長及びリラ・コイララ女性・福祉大臣が日本の招聘により、それぞれ2月および11月に訪日し、橋本総理大臣を始め政府・国会関係者、財界関係者と意見交換を行った。また、6月にはワグレ情報通信大臣が訪日し、日野郵政大臣と電気・通信分野の協力につき意見交換を行った。
が積極的に行われ、その際に香港の将来への日本の支持・支援が明確に表明されたことは、日・香港関係にとり大きな意義があった。9月には尖閣諸島問題を巡り反日運動が顕著であったが、全般としては、基本的に関係は良好であり、また、96年の日本からの来訪者は史上最高の200万人台を記録するとみられる。