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略史:1911年辛亥革命により清朝崩壊、1912年中華民国成立。1921年中国共産党創立。2回の国共内戦を経て、1949年10月1日中華人民共和国成立。 | ||||||||||||||||
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96年は、江沢民国家主席・党総書記を中心とした集団指導体制の下で、「社会主義市場経済」の建設を最重点課題に掲げながらも、直面する経済面、社会面の諸問題を乗り切るために、「発展」よりも「安定」を重視した一年であった。 経済面では、3月に開催された8期第4回全国人民代表大会において、「第9次5か年計画及び2010年までの長期目標の政策に関する綱要」が採択され、将来の経済成長の目標が決定されるとともに、「計画経済」から「社会主義市場経済」への転換を一段と進めつつ、「粗放型」から「集約型」の経済成長への転換を推進すること、すなわち量よりも質に重点をおいた経済の安定成長を図ることが明示された。一方、最重要課題とされたインフレの抑制については、農業の豊作があり、かつ適度な金融引締め政策が継続された結果、95年に14.8%を記録した小売物価上昇率は96年は通年で6.1%となった。しかし、国有企業については依然として赤字経営が深刻化しており、農村の停滞、地域格差の問題と並んで今後の課題となっている。 内政面では、党の権威の相対的弱体化、汚職腐敗の増加、治安の悪化等に対応し、指導体制の確立と社会の安定を図るために、4月から犯罪集中取締りキャンペ-ンを実施するとともに、10月には党6中全会を開催して、「社会主義精神文明建設強化の若干の問題に関する決議」を採択した。これを受けて、思想道徳の向上を目的とした学習活動、模範人物のキャンペ-ン活動等が実施された。人事面では集団指導体制内の安定と団結を重視する観点から主要な人事異動は実施されず、97年の秋に開催される第15回党大会まで先送りされることとなった。なお、3月には、台湾の総統選挙に照準を合わせる形で、人民解放軍が3次にわたって台湾海峡を中心に大規模な軍事演習を実施したが、このことは周辺諸国等の強い関心を集めることとなった。 対外面では、96年も引き続き「独立自主の平和外交」という基本方針を掲げつつ、国内経済建設に資する安定的な国際環境の醸成を目的として活発な外交活動を展開した。 米中関係については、3月に台湾周辺にて行った中国の軍事演習をめぐり緊張したものの、その後、核関連輸出問題、知的所有権問題等の懸案の一応の解決を経て改善に向かい、11月の米中首脳会談では、97、98年にかけての米中首脳の相互訪問が合意されるに至った。 中露関係については、4月のエリツィン大統領訪中の際に、「21世紀に向けた戦略的協力のパートナーシップ」の宣言の発出、中央アジア3か国も加えた国境地帯における信頼醸成措置に関する協定の締結等の進展がみられ、両国関係の進展が注目された。 また、中国は、96年より「ASEAN対話国」となり、ASEAN諸国との関係強化に努めた。韓国との関係を引き続き重視しつつも、中朝関係に対する配慮がみられた。 欧州との関係は総じて良好に推移した。中英関係については、臨時立法会の問題等懸案はあるものの、香港返還をめぐる協力関係は比較的円滑に推移している。中独関係は、チベット問題をめぐり一時困難な時期があったが、キンケル外相の訪中等を経て改善に向かっている。4月の李鵬総理の訪仏の際には、中仏間の経済関係の進展が注目された。 アフリカとの関係では、江沢民主席(5月)、 ![]() 日本が中国との間で良好かつ長期安定的な関係を発展させていくことは、日本外交の主要な柱の一つであり、両国関係の安定的発展は単に両国にとってのみならずアジア太平洋地域ひいては世界の平和と繁栄にとって重要である。橋本総理大臣は、11月、APEC非公式首脳会議の際に行われた江沢民国家主席との会談で、日中関係を「日米関係に並ぶ重要な二国間関係」と位置づけ、日中関係を重視するとの方針を改めて明らかにした。96年の日中関係は、中国の核実験、台湾海峡情勢の緊張、特に中国の数次にわたる軍事演習、日米安保共同宣言を始めとする日米安保関係、尖閣諸島の領有権を巡る夏以降の一連の動き、橋本総理大臣の靖国参拝を始めとする過去の歴史認識に関する問題を巡り、両国間に相互不信感の高まりが見られ、両国政府間で、日中関係の維持のために多くの努力が払われた1年であった。 両国間のハイレベル交流としては、中国側からは、 ![]() ![]() 日中経済関係は順調に進展し、日中貿易額は輸出入総額が6兆7,820億円に達し、史上最高となったほか、対中直接投資についても大企業の進出が伸び、投資1件当たりの規模も拡大する等、順調に推移した。 97年は日中国交正常化25周年という記念すべき年であり、両国関係がこれを契機に更に発展していくことが期待される。 |