7.アフリカ
 96年は、90年代のアフリカの新しい流れとも言える民主化の進展や経済構造調整など、政治・経済分野で肯定的な動きが見られた一方で、ザイール東部において紛争が勃発するなど、解決すべき課題が依然として多く残されていることを示す一年であった。

[96年の動き]
 政治面では、軍事政権が続いていたガンビアで8月に新憲法の国民投票、9月に大統領選挙が実施されるなど、民主化プロセスが徐々に進展し、また内戦が続いていたリベリア、シェラレオーネではそれぞれ8月及び11月に和平合意が成立するなど、いくつかの国において政治改革の進展や紛争の解決に向けての動きが見られた。
 他方、93年以来部族抗争が続くブルンディにおいては、7月にクーデターが発生し、それを非難する周辺諸国により経済制裁が課されたことにより、状況はさらに悪化している。また、94年以来大量のルワンダ難民を受け入れていたザイール東部地域において、少数民族問題に端を発する紛争が9月以来激化し、100万人以上のルワンダ難民が影響を被った。混乱の中で大量の難民の帰還が実現したものの、ザイール各地や周辺国に離散した難民も多く、人道上深刻な危機が生じるなど、中部アフリカ地域を中心にまだまだ多くの課題を抱えているのも事実である。こうした事態を受け、頻発するアフリカでの紛争に効果的に対応するための方策につき、国際的な議論が行われている。
 経済面では、多くのアフリカ諸国が、市場経済原理の導入や政府機構の簡素化・効率化等を中心とする構造調整政策の実施を進めているが、その成果は国によって様々である。また、貧困を解消し持続的成長を確保するにあたっては、インフラの整備、民間部門の活性化、教育制度の充実など依然として課題は多い。
 他方、このような近年の多くの国々での民主化、経済構造調整等も背景として、アフリカ統一機構(OAU)、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、南部アフリカ開発共同体(SADC)等の地域機関の活動が活発化している。

ルワンダ・ブルンディ難民の動き

南アフリカ共和国で行われたUNCTAD総会において演説する池田外務大臣(4月)

南アフリカ共和国で行われたUNCTAD総会において演説する池田外務大臣(4月)

[日本との関係]  日本は、アフリカ諸国が抱える諸問題に対し、各国の自助努力を可能な限り支援することが重要であると認識しており、アフリカ諸国における政治改革及び経済改革努力を支援するとともに、紛争問題の解決にも積極的に取り組んできた。
 第一に、平和と安定の分野では、日本は、これまで、モザンビークにおける国連平和維持活動、各国における選挙支援・監視活動、ルワンダ難民救援活動等への人的貢献を行い、資金的な貢献として、「中部アフリカ信頼醸成基金」「OAU平和基金」などへ拠出し、さらに知的貢献として95年10月の「アフリカの平和と開発:紛争問題に関するハイレベル・シンポジウム」に続き、9月「紛争後の国家建設の道」シンポジウムを開催した。また、ルワンダ難民に対する支援策を検討するために11月に政府調査団を派遣した。
 第二に、開発の問題については、93年の「アフリカ開発会議」の成果に基づき、一連の政策対話等を実施した。4月の南アフリカ共和国における第9回国連貿易開発会議(UNCTAD)総会には池田外務大臣が出席し、(1)98年を目途に「第2回アフリカ開発会議」を、97年にその準備会合をそれぞれ東京にて開催すること、(2)教育支援、研修員の受け入れ、南南協力の促進からなる人造り支援を行うこと及び(3)ポリオ根絶に向けた協力を行うことを柱とする「アフリカ支援イニシアティヴ」を発表した。また、アフリカ開発問題につき討議するために、7月にコートジボワールのヤムスクロにて、西部・中部アフリカ諸国を対象とした「リージョナル・ワークショップ」を、8月には東京において「アフリカ開発に関するハイレベル・セミナー」を開催した。