中南米にとり、96年は、90年代に入り中南米地域を特徴づけている民主主義の定着、市場経済原理に基づく経済改革の推進、経済統合を始めとする域内協力の進展という3つの流れが継続し、また、より強固となった一年であった。
キューバを除く全ての中南米諸国は既に民主体制に移行しており、民主体制の定着は地域全体を通じて見られている。4月に起きたパラグァイのオビエド将軍造反事件は、周辺諸国の強い支援もあって平和裡に終息したが、この事件は中南米の一部の国ではいまだ民主体制が脆弱であることを示すと同時に、中南米諸国の間に民主主義体制の維持に向けて強い決意と連帯感が存在することを示す機会となった。11月にチリで開催された第6回イベロアメリカ・サミットでは、単に民主主義制度の重要性について確認するに留まらず、いかにすれば民主体制を実質的に強化していけるかについて活発な議論が行われた。グァテマラでは36年間続いた中米地域における最後の内戦に終止符を打つ和平合意が12月に署名され、また、94年に軍政から民政に移行したハイティではいまだ治安維持のため国連 PKO が駐留しているが、選挙を経て2月に就任したプレヴァル大統領の下、国際社会からの支援も得て民主体制の定着に向けた努力が続けられている。他方、キューバについては、依然として共産党一党体制の下、民主化に向けての目立った動きは出てきていない。米国は、2月のキューバによる米民間機撃墜事件を契機に、キューバと経済関係のある外国企業をも制裁の対象とする法律(ヘルムズ=バートン法)を制定するに至ったが、かえって諸外国からこの法律への批判を招いており、必ずしもキューバの民主化に繋がる動きとはなっていない。
一方、経済面では、メキシコ、アルゼンティンなど94年末に発生したメキシコ金融危機の影響を強く受けた国々が成長軌道に復帰してきたこともあり、96年には中南米全域で比較的堅調な経済成長を記録した。多くの中南米諸国は、国営企業の民営化、財政赤字の削減等の市場原理に基づく経済改革により、インフレ抑制等に成果を上げつつあるが、他方、増大する貿易赤字や高い失業率を改善しつつ、緊縮財政の下でいかに持続的な成長を確保していくかが今後の課題となっている。

橋本総理大臣の中南米諸国訪問(写真はチリでの出迎え)(8月)
さらに、中南米諸国における民主主義、市場経済という価値観の共有は、政治・経済面での域内協力を促進している。政治面では、前述のパラグァイ軍部造反事件の後、南米共同市場(メルコスール)の基本協定に加盟国が民主国家であることを義務づける民主化条項が挿入され、メルコスールの政治的役割が明示された。また、95年1月に発生したペルー・エクアドル間の国境紛争も、地域の安定維持を重視する域内諸国の努力により、3月には両国間に残存する問題のリストが作成され、恒久的な解決に向けた話合いが開始されている。また、経済面では、メルコスール加盟国が6月にチリと、12月にはボリヴィアと自由貿易地域創設協定を締結するなど、経済統合が進展した1年でもあった(メルコスールについては、第2章第2節1.(3)も参照)。
中南米諸国は、アジア太平洋地域にも引き続き高い関心を有しており、ペルーなどは APEC 参加に向けて強い意欲を示している。アジアと中南米の経済交流が着実に拡大していることを背景に、東アジア諸国から、金泳三韓国大統領(9月)、李鵬中国総理(10月)が中南米諸国を訪問する一方、中南米諸国首脳も活発にアジアを訪問するなど、人的交流も深まっている。
こうした中で、8月の橋本総理大臣の中南米5か国訪問は、日本と中南米諸国との幅広い友好協力関係を強化する上で画期的なものとなった。この訪問は、中南米は21世紀の地球社会の発展にとって鍵を握る地域の1つであるとの認識の下で、日本と中南米の伝統的な友好関係を土台として、21世紀に向けての「新時代のパートナーシップの構築」を目指すものであった。この訪問により、二国間関係の強化のみならず、国際政治経済分野での協力の強化、地球規模問題の解決に向けての協力の拡大、アジアと中南米との交流の促進等の面で成果が得られた。
これ以外にも、日本は、民主化支援の観点から、グァテマラ、ニカラグァに対して米州機構(OAS)などの国際機関を通じ選挙監視要員を派遣した。また、中南米諸国との政策対話を強化するため、国連総会時に恒例となっている日本・リオ・グループ外相会合(96年は第8回)を行ったほか、中米諸国、カリブ諸国、メルコスール諸国等との協議を実施した。さらに、中南米諸国から、ブラジル大統領が3月に国賓として訪問したのを始めとして96年中に元首級6人、外相10人が訪日した。また、11月にはパラグァイで日本人移住60周年記念式典が、パラグァイ大統領等の参加を得て、盛大に開催された。
[在ペルー日本国大使公邸占拠事件]
12月に発生したペルーの反政府武装グループ・トゥパク・アマル革命運動(MRTA)による在ペルー日本大使公邸占拠事件については、日本政府は、テロに屈することなく、また、人命尊重を最優先とし、平和的解決に向けたペルー政府の取組を信頼しつつ、一刻も早い事件の平和的解決及び人質の全面開放に向けて全力を傾注してきた(第1章1.概観参照)。
〈事件の背景等〉
中南米地域においては、1959年にカストロがキューバにおいて革命政権を樹立したことに刺激を受け、1960年代にペルーを含む多くの中南米地域で共産党もしくは新しい左翼武装勢力によるゲリラが活発化した。しかしながら、その後の中南米諸国における民主化及び経済の自由化の進展や、冷戦の終結によるキューバのゲリラ支援姿勢の変化、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ等の和平交渉による反政府ゲリラの取り込みなどから、最近では、ゲリラ運動は、メキシコ及び中米の一部など極めて限られた範囲で展開されるのみとなっている。
その一方で、社会的不平等や貧困といった社会問題は依然解決しておらず、これを温床とする左翼テロ・グループが麻薬シンジケートとの連携を深めるなど、懸念される傾向も出ている。ペルーでは、コロンビアとともに、農村地帯を中心に依然としてテロ行為が続いていた。
貧困及び麻薬問題への対応は、この地域のテロの根本的解決を図る上で不可欠である。日本は、これらの問題については、途上国の開発問題及び地球的規模の課題の一つとして、これまでも積極的に取り組んできている。ペルーに対しては、民生向上のための上下水道整備、教育、保険、医療等の社会分野、及び灌漑施設整備、農業技術移転等農業分野での経済協力により、貧困対策に貢献している他、米州機構(OAS)が実施しているアンデス地域におけるストリート・チルドレン麻薬予防プロジェクト(職業訓練等)への財政面での協力を行っている。また、国連における麻薬対策活動の中で中心的役割を担う国連麻薬統制計画(UNDCP)の諸活動に積極的な財政支援を行うとともに、日米コモン・アジェンダの一環として、ペルーに対し麻薬代替作物の開発援助を行ってきている。
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