第3章 主要地域情勢
   1.アジア及び大洋州
   (1) 中国とその周辺国・地域
 中国は「社会主義市場経済」の確立に向け改革・開放政策を推進し著しい経済成長を達成しているが、国有企業・農業の不振、所得格差の拡大、エネルギーと環境などの問題も抱えている。対外関係は平和で安定した国際環境の創出及び諸外国との友好関係の維持が経済発展に不可欠であるとの認識に立った外交を展開しつつ、国家の主権にかかわるような原則的な問題などについては、自らの立場を強く主張している。米中関係は95年6月の李登輝台湾「総統」の訪米以来大きく後退したが、11月の APEC 会合での首脳会談などハイレベルの交流が行われ回復基調にある。
 日中間は尖閣諸島をめぐる一連の事態等困難な問題も発生したが、国連総会等の機会を捉えハイレベルの対話を頻繁に継続し、特に11月の APEC 会合の際には橋本総理大臣と江沢民国家主席との首脳会談、日中外相会談が行われ、率直な意見交換を通じ、日中間に存在する諸問題に誠実に取り組み、共に協力しつつ日中関係発展のために更に努力することで意見の一致をみた。(日中関係の詳細は第1章3.参照。)
 香港は97年7月の中国への返還に向け、12月には初代香港特別行政区行政長官、臨時立法会のメンバーが選出された。台湾では3月の選挙で初めて民選の指導者が選ばれ、同時期に中国は台湾周辺で軍事演習を行った。民間窓口機関による両岸間の協議は残念ながら現在も中断しており、当事者間での平和的解決が強く望まれている。
 モンゴルでは民主化と市場経済化が着実に進展し、6月に成立した新政権はこの方向を一層強力に推進するために努力している。

   (2) 朝鮮半島
 朝鮮半島においては、軍事境界線を挟んでの兵力対峙の状況が続いている(詳細は第1章2.(3)参照)。
[韓国]
 金泳三(キム・ヨンサム)大統領の任期が半ばを越えた96年、多発する人災事故や経済不振等が政府・与党への批判を招く中、4月の国会議員総選挙で過半数を割った与党新韓国党は無所属や野党議員の一部を取り込んで過半数を確保したが、これは野党側の反発を招いた。また金大統領の「歴史の立て直し」政策のもとで進められている、全斗煥(チョン・ドゥホァン)、盧泰愚(ノ・テウ)前職大統領の光州事件等に関する裁判は、1、2審で有罪判決が出され、上告審は97年に持ち越された。また、96年末には、与党単独採決よる労働法関係法の強行採決に反対する大規模なストが発生した。
[北朝鮮]
   金正日書記の党総書記及び主席への就任時期については未だ確たることは不明であるが、同書記が国政全般を指導しているとの見方が一般的である。経済面では、これまでも食糧・エネルギー不足等困難な状況にあると見られていたが、95年に続き96年夏にも洪水が発生し、食糧不足は更に深刻化したと見られている。

   (3) 東南アジア
 東南アジア諸国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心に引き続き高い経済成長を記録しており、域内・域外との貿易・投資の進展が見られる。外交面でも、APECASEAN 地域フォーラム(ARF)など、広くアジア太平洋地域の対話・協力に積極的に取り組んでいるほか、3月のバンコクにおけるアジア欧州会合(ASEM)の開催など、新たな地域間協力の構築にも積極的姿勢を示している。
 ASEAN については、7月にミャンマーがオブザーバーとなったほか、11月にはインドネシアにおいて ASEAN 7か国に加えカンボディア、ラオス、ミャンマーからの首脳の参加を得た東南アジア10か国の非公式首脳会議が開催され、これら3国の将来の同時加盟が合意されるなど、いわゆる「ASEAN10」に向けた動きが見られる。また域外国との関係では、インド、中国、ロシアが新たなASEANの対話国として7月のASEAN拡大外相会合に参加するなど、ASEANと域外国との対話関係の拡大に向けた動きが見られた。
 ヴィエトナム、カンボディア、ラオスのインドシナ各国は、引き続き東南アジアにおける飛躍的経済発展を目標と仰ぎつつ、市場経済、開放路線に沿った経済改革を進めている。また、ASEAN のイニシアティヴにより、6月にマレイシアで、メコン河流域開発のための閣僚会合が関係流域国の参加を得て開催された。
 ミャンマーにおいては、5月及び9月にアウン・サン・スー・チー女史率いる国民民主連盟(NLD)が党大会開催を計画したのに対し、ミャンマー政府は同女史自宅前の道路封鎖や NLD 関係者の拘束等の措置をとって対抗した。その後も大規模な学生デモの発生など不確実性を増している。日本は、ミャンマーに対し、対話を通じた民主化及び人権状況の改善などの関心を累次にわたり伝達してきており、これと同時に、基礎生活分野の案件を中心とする経済協力を検討・実施している。
 日本としては、96年は、3月の ASEM への橋本総理大臣の出席、7月の東京における第1回カンボディア支援国会合の開催、及び同7月にインドネシアで行われた ARF 及び ASEAN 拡大外相会議への池田外務大臣の出席とその後のシンガポール、ヴィエトナムへの訪問、さらには11月の APEC フィリピン会合における対話等を通じ、これら諸国及び地域との対話・協力の一層の強化に努めてきた。

ASEAN拡大外相会合に参加する池田外務大臣(7月)

ASEAN拡大外相会合に参加する池田外務大臣(7月)

   (4) 南西アジア
 経済自由化を進める南西アジア諸国は、東アジアとの関係の強化に努めている。特にインドでは、91年より導入した経済自由化政策の結果、欧米及び東アジアからの投資が急増するとともに、年率6~7%の経済成長を遂げている。また、インドは、96年に ASEAN 拡大外相会議及び ARF に初めて参加し、さらにカナダ、韓国、中国、マレイシア、英国などの首脳の来訪も相次いでいる。特に、11月の江沢民主席の訪印は、中国国家主席として初めての訪印であった。南西アジア域内では、SAARC(南アジア地域協力連合)の下で域内の関税引き下げが合意されるなど、域内協力の進展が見られるが、その一方で、カシミール問題、インド及びパキスタンの核開発疑惑などの不安定要因は引き続き存在している。
 96年から97年初頭にかけて、南西アジア地域では多くの国で総選挙が実施され(インドでは4月から5月にかけて、バングラデシュでは6月、パキスタンでは97年2月)、政権の交代が行われた。
 日本は、南西アジア諸国との関係の強化に努めており、96年にはブットー・パキスタン首相及びクマーラトゥンガ・スリランカ大統領を公式訪日招待したほか、ASEAN 拡大外相会議の際には日印外相会談を行った。また、この地域の民主化プロセスを支援するとの観点から、バングラデシュ及びパキスタンの総選挙に選挙視察団を派遣した。

   (5) 大洋州
 豪州では、3月の総選挙で保守連合が大勝し13年振りに政権に復帰し、ハワード新政権は銃規制、労使改革及び電電公社の一部民営化などの内政課題で着実に成果を挙げている。ハワード首相は、政権成立後最初の外遊先の一つとして9月に訪日し、橋本総理大臣との間で行われた首脳会談では、日豪関係は非常に良好であること、政権が交代しても豪州の対日関係重視の姿勢には変化がないこと、前政権が進めてきた親アジア外交政策を継続することを表明した。また、この首脳会談では、96年から98年にかけて、在シドニー日本国総領事館開設100周年、日豪基本条約締結20周年や日豪通商協定40周年などの両国間関係の歴史的節目が重なることに着目して、この間に民間の協力も得て、「日豪友好記念事業」を実施することで一致した。この他、豪州からは、5月にフィッシャー副首相兼貿易相が、6月にダウナー外相が訪日した。
 ニュー・ジーランド(NZ)では、10月に総選挙が実施され、12月に国民党・NZ第一党連立政権が成立し、経済改革を推進してきたボルジャー首相が再任された。70年代の英国の EEC 加盟による特恵的輸出市場の喪失、2度のオイル・ショックなどにより深刻な経済的危機に直面した NZ は、84年の労働党政権から、貿易の自由化、補助の撤廃、財政、金融、税制改革、労働市場改革、行政改革など一連の改革を実施してきた。この一連の改革の結果、最近になり国内景気も回復するなどの成果が現れる一方で、受益者負担の導入による地域間の教育格差の問題など、改革の負の側面も指摘されてきた。10月の総選挙でもこの負の側面が一つの争点となり、これを指摘したNZ第一党が支持を伸ばした。なお、5月には、ボルジャー首相が訪日し、橋本総理大臣と会談した。
 豪州及びニュー・ジーランドは、先進民主主義国として日本と基本的価値観を共有している。また、両国は、歴史的、文化的には欧州との紐帯が強いが、近年、経済面でのアジアとのつながりを背景に、「アジア太平洋国家」として APEC などのアジア太平洋の地域協力に積極的な役割を果たしてきているほか、ASEM への参加を希望している。日本としては、二国間関係の強化に努めつつ、両国の ASEM 参加を積極的に支持するなど、そのアジア太平洋地域への姿勢を歓迎、支持している。
 太平洋島嶼国との関係では、南太平洋フォーラム(SPF)事務局と日本政府が、10月に貿易・投資・観光促進のため太平洋諸島センターを東京に開設したほか、パプア・ニューギニア、パラオ、マーシャルなどの首脳が来日した。9月に行われた SPF 首脳会議のコミュニケでは、10月の安保理非常任理事国選挙において日本を全加盟国として支持する旨表明するなど、日本の外交政策への種々の支持が打ち出された。

   (6) 「女性のためのアジア平和国民基金」を巡る動き
 政府と国民が共に協力しつつ進めている「女性のためのアジア平和国民基金」(95年7月発足)は、7月、韓国、台湾、比の元慰安婦に対し、(イ)国民の募金を原資として200万円の「償い金」を届けること、(ロ)政府資金を原資として医療・福祉支援事業を実施することを決定した。8月には比においてこれらの事業を開始し、12月末現在、9名に、心からのお詫びと反省の気持ちを表す橋本総理大臣の手紙とともに、「償い金」などが届けられた(なお、97年1月、韓国においても、7名を対象に、これらの事業を開始したほか、インドネシアにおいては高齢者福祉事業に対し「基金」が支援することが決定された)。政府としては、今後とも、「基金」事業の円滑な実施のために全面的な協力を行っていく考えである。