第1章 2020年の国際情勢と日本外交の展望 1-1 情勢認識 世界は今、時代を画する変化の中にある。国際社会におけるパワーバランスの変化が加速・複雑化する中、経済安全保障などの新たな課題や、宇宙、サイバーなど新領域における脅威が顕在化するなど、安全保障上の課題が広範化・多様化し、もはやどの国も、一国のみで自国の平和と安全を守ることができなくなっている。 同時に、グローバル化の急速な進展への反動が広がり、米国や欧州など、これまで自由貿易の恩恵を受けていた国々の中でも保護主義・内向き志向が顕著となっている。また、力を背景とした一方的な現状変更の試みやテロ及び暴力的過激主義の拡大などにより、日本を含む世界の安定と繁栄を支えていた自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値に基づく国際秩序が挑戦を受けている。 そうした中、新型コロナウイルス感染症(以下「新型コロナ」という。)の世界的拡大に伴い、人間の安全保障が脅かされるとともに、上述した傾向が増幅され、世界各地で経済社会の変革をもたらしている。 (1)中長期的な国際情勢の変化 ア パワーバランスの変化 新興国の台頭などに伴い国際社会のパワーバランスは大きく変化し、自らに有利な国際秩序の形成や影響力の拡大を目指した国家間の競争が更に顕在化している。こうした中、新型コロナ危機に乗じた現状変更の試みが見られるなど、普遍的価値に対する挑戦は厳しさを増し、既存の秩序をめぐる不確実性は増大している。 イ 脅威の多様化と複雑化 大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、深刻化する国際テロといった脅威は、引き続き国際社会にとっての重大な課題である。 同時に、近年、安全保障の裾野が経済・技術分野にも一層拡大していることを踏まえ、これらの分野における安全保障政策に係る取組の強化が必要となっている。取り分けIoT(モノのインターネット)、5G(第5世代移動通信システム)、AI(人工知能)、量子技術など、今後の社会や国民生活の在り方に本質的な変化をもたらし得る新たな技術革新が進展している。各国は、国の競争力に直結するこれらの技術開発にしのぎを削るとともに、技術を安全保障領域に応用する動きを活発化させており、今後、イノベーションの成否が安全保障環境にも大きな影響を与えることが予測される。 また、近年の科学技術の進歩により、宇宙・サイバー空間における活動が活発化しているが、これは大きな機会とともに新たなリスクや脅威も生み出しており、国際的なルール作りが安全保障上の観点からも課題となっている。 ウ 世界経済の動向(保護主義、内向き傾向の顕在化、経済摩擦) 世界経済は、グローバル化やデジタル技術を始めとするイノベーションの進展とともに、世界的なサプライチェーンと金融システムの発達により、これまで以上に相互依存が深まっている。これにより、一地域における経済ショックや商品相場の変動などが、他の地域又は世界経済全体に及ぼす影響が増大している。加えて、AI、ロボティクス、ビッグデータなどに代表される、第4次産業革命による情報通信技術の革新的な進歩は、国際経済秩序に一層の変容を迫っている。また、国境を越えた経済活動を更に円滑なものとするため、ルールに基づいた経済秩序の維持・構築の必要性が一層高まっている。 一方、グローバル化に逆行する動きとして広がった保護主義や内向き志向は、引き続き世界各地で見られる。その背景は、国内所得格差の拡大、雇用の喪失、移民の増加、地球環境問題など一様ではないが、新型コロナの感染拡大により、その傾向は一層顕著となっている。 エ 地球規模課題の深刻化 国際社会全体の開発目標である「持続可能な開発目標(SDGs)1」が、その第一の目標として掲げているのが貧困の撲滅である。新型コロナ危機により、新たに貧困に陥る人や、より深刻な貧困状態に陥る人が世界的に増え、より脆弱な人々にとっての負の影響が甚大になる中で、人間の安全保障の観点からも貧困の撲滅に向けた取組を改めて加速する必要がある。 また、感染症は、人々の生命・健康を脅かし、社会全体に大きな影響を及ぼす深刻な課題である。グローバル化により国境を越える人の移動が飛躍的に増加し、感染症の流行・伝染の脅威も深刻さを増している。2019年12月以降、世界各地で猛威を振るっている新型コロナの勢いは衰えておらず、2021年1月には世界全体の累計感染者数が1億人を突破した。引き続き世界経済にも甚大な影響を及ぼしており、ワクチン接種が進むことに伴う経済社会活動の再開に期待がかかっている。 さらに、今後も気候変動の影響により自然災害が激甚化することが予想されており、特に脆弱(ぜいじゃく)な環境にある人々に深刻な影響をもたらすことが懸念されている。新型コロナ危機からの復興においても、気候変動対策に注目が集まっている。 これらの地球規模課題を解決するためには、SDGsへの取組を着実に実施し、科学技術・イノベーションを積極的に活用して、社会・経済・環境分野の課題に統合的に取り組むことが重要である。 (2)大変厳しい状況にある東アジアの安全保障環境 日本を取り巻く安全保障環境は、格段に速いスピードで厳しさと不確実性を増している。また、日本の周辺には、質・量ともに優れた軍事力を有する国家が集中し、軍事力の更なる強化や軍事活動の活発化の傾向が顕著となっている。 ア 北朝鮮による核・ミサイル開発 北朝鮮は、累次の国連安保理決議に従った、全ての大量破壊兵器及びあらゆる射程の弾道ミサイルの完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法での廃棄を依然として行っていない。北朝鮮は、2019年に引き続き、2020年3月に4回、2021年3月にも弾道ミサイルの発射を行った。また、10月の朝鮮労働党創建75周年記念閲兵式や2021年1月の朝鮮労働党第8回大会記念閲兵式では、新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)の可能性があるものなどを登場させた。 イ 中国の透明性を欠いた軍事力の強化と一方的な現状変更の試み 中国の平和的な発展は、日本としても、国際社会全体としても歓迎すべきことである。しかし、中国は国防費を継続的に増大させ、透明性を欠いたまま軍事力を広範かつ急速に強化・近代化しており、宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域における優勢の確保を目指している。また、東シナ海、南シナ海などの海空域で、既存の海洋法秩序と相容(い)れない主張に基づく行動や力を背景とした一方的な現状変更の試みを継続している。 東シナ海では、尖閣諸島周辺海域における中国海警船舶による領海侵入事案が続いており、これら船舶による領海侵入時間や接続水域内での航行日数が過去最長を更新し、日本漁船への接近事案が繰り返し発生している。また、中国軍艦艇・航空機による活動も拡大・活発化している。さらに中国は、排他的経済水域及び大陸棚の境界が未画定の海域で、一方的な資源開発を継続するとともに、近年、東シナ海を始めとする日本周辺海域で、中国による日本の同意を得ない調査活動や同意内容と異なる調査活動も多数確認されている。 南シナ海をめぐる問題は、地域の平和と安定に直結する、国際社会の正当な関心事項である。中国は、南シナ海で、「南沙区」や「西沙区」と呼ばれる新たな行政区の設置を発表し、また、埋め立てられた地形の一層の軍事化など、法の支配や開放性とは逆行する一方的な現状変更の試み、さらにはその既成事実化を一段と進めている。また、中国は、度重なる軍事演習の実施やミサイルの発射など、地域の緊張を高める行動を継続している。 1 SDGs:Sustainable Development Goals