第4章 国民と共にある外交 各論 1 海外における危険と日本人の安全 (1)2016年の事件・事故等と対策 7月、ダッカ(バングラデシュ)のレストランが襲撃され、邦人8人が被害に遭うテロ事件が発生した。いまやテロの脅威は、イスラム過激派組織の拠点のある中東・アフリカのみならず、日本人が数多く渡航・滞在する欧米やアジアにも拡大している。また、実行主体がインターネットなどを通じて国外のイスラム過激思想に感化されたテロ(ホームグロウン型)や、組織的背景が薄く単独で行動する「一匹狼(おおかみ)」であるテロ(ローンウルフ型)が多数見られるほか、テロリストが日常的な場所で一般人を狙う傾向もあり、テロの発生を防止することはますます困難になっている。 2016年には、これらのような傾向を示す事件として、ほかにもジャカルタ(インドネシア)での爆発・銃撃テロ事件(1月)、ブリュッセル(ベルギー)の空港・地下鉄におけるテロ事件(3月)、オーランド(米国)のナイトクラブにおける銃撃テロ事件(6月)、イスタンブール(トルコ)の国際空港におけるテロ事件(6月)、ニース(フランス)の花火大会における大型トラック突入事件(7月)、ベルリン(ドイツ)のクリスマスマーケットにおける大型トラック突入事件(12月)などが発生した。今後も不特定多数の人が集まる場所でのテロ事件の発生が懸念されている。 その他の犯罪被害としては、日本人が犠牲となる殺害事件が、フィリピン、米国、カナダ、トリニダード・トバゴ、コロンビアなどで発生した。また、日本人留学生が被害に遭った事例として、カナダでの日本人女性殺害事件(9月)や、コロンビアでの男子大学生の強盗殺害事件(11月)などが挙げられる。 日本人の人的被害があった事故としては、マッキンリー山(米国)登山中の死亡事故(6月)、台湾での観光バス横転事故(9月)、ニュージャージー州(米国)ホーボケン・ターミナルでの列車衝突事故(9月)、ネパールのヒマラヤ山脈における登山中の滑落事故(10月)、スランガン島(インドネシア)におけるグラスボート転覆事故(11月)、ハワイ(米国)におけるヘリコプター墜落事故(11月)などが挙げられる。 政情不安などに起因した情勢悪化に日本人が巻き込まれたものとしては、7月にジュバ市内(南スーダン)で政府側と反主流派の間で繰り返し衝突が発生し、治安情勢が急激に悪化したため国外退避した事案や、トルコで、7月に軍の一部勢力が蜂起し、現地治安情勢が著しく変化したため、日本人の渡航者が一時空港内に取り残された事案などがある。 そのほか、中高齢者が海外で山岳・海難事故に遭遇したり、旅行中に発病し滞在先のホテルにおいて急病のために亡くなる事例も引き続き報告された。これら事故や疾病への対応において、日本国内に比べて高額の医療費や搬送費用が発生したり、不十分な医療サービスなどのために家族などがその対応に窮する事例も散見された。 感染症については、ブラジルを始めとする中南米でジカウイルス感染症が流行し、胎児の小頭症例が急増したことから、2月、世界保健機関(WHO)が「国際的に懸念される公衆の保健上の緊急事態(PHEIC)」を宣言するなど、世界的な注目を集めた。11月、WHOはPHEICの終了を発表したが、米国の一部や東南アジア・大洋州等にも感染地域が拡大しており、感染地域に渡航・滞在する際には引き続き注意が必要である。 また、9月、スペインでクリミア・コンゴ出血熱の感染例が報告されたほか、中東では中東呼吸器症候群(MERS)の感染例、中国などでは鳥インフルエンザA(H7N9)のヒト感染例が引き続き報告されている。デング熱やマラリアも引き続き世界各地で流行した。 外務省は、感染症や大気汚染など、健康・医療面で注意を要する国・地域についても随時関連の海外安全情報を発出し、在外邦人に対して、流行状況や感染防止策などの情報提供及び渡航や滞在に関する注意喚起を行っている。 邦人援護件数の事件別・地域別内訳(2015年) 〈海外に渡航・滞在する場合の心得〉 このように、日本人の安全を脅かすような事態は世界中の様々な地域で絶え間なく発生している。海外に渡航・滞在する場合には、外務省海外旅行登録「たびレジ」への登録や在留届の提出を必ず行うとともに、@海外安全ホームページや報道等を通じて現地の治安などに関する情報を事前に十分に確認すること、A滞在中は緊急事態に備えた安全対策を充実させ、危険を回避する行動をとること、B緊急事態が発生した場合には最寄りの大使館・総領事館などの在外公館や留守家族などに連絡をとることなどが重要である。また、海外での病気や事故被害などのため高額な医療費が求められた場合、海外旅行保険に加入していなければ、医療費などの支払のみならず、適切な医療機関での受診にも困難を来しかねないことから、それぞれの渡航者が十分な補償内容の海外旅行保険に加入することが非常に重要である。 (2)海外における日本人の安全対策 日本人が国際社会で広く活躍している一方、海外で日本人が被害に遭うケースも多い。日本の在外公館及び公益財団法人交流協会が2015年に支援した海外における日本人の援護人数は、2万387人、援護件数は1万8,013件と引き続き高い水準で推移している(1)。 援護件数の多い在外公館上位20公館(2015年) 順位 在外公館名 件数 1 在タイ日本国大使館 1,028件 2 在フィリピン日本国大使館 974件 3 在上海日本国総領事館(中国) 927件 4 在ロサンゼルス日本国総領事館(米国) 752件 5 在ニューヨーク日本国総領事館(米国) 669件 6 在英国日本国大使館 591件 7 在ホノルル日本国総領事館(米国) 525件 8 在フランス日本国大使館 502件 9 在バルセロナ日本国総領事館(スペイン) 416件 10 在デュッセルドルフ日本国総領事館(ドイツ) 371件 11 在大韓民国日本国大使館 326件 12 在中華人民共和国日本国大使館 324件 13 在香港日本国総領事館 311件 14 在バンクーバー日本国総領事館(カナダ) 292件 15 在イタリア日本国大使館 291件 16 在サンフランシスコ日本国総領事館(米国) 273件 17 在シアトル日本国総領事館(米国) 268件 18 在ハガッニャ日本国総領事館(米国) 241件 19 在ボストン日本国総領事館(米国) 233件 20 在ヒューストン日本国総領事館(米国) 232件 海外で被害に遭わないためには、事前の情報収集が重要である。外務省は、広く国民に対して安全対策に関する情報発信・共有を行って、安全意識の喚起と対策の推進に努めている。 「海外安全情報」の体系及び概要 外務省は「海外安全ホームページ」上で各国・地域の最新の安全情報を発出している。新たに発出された情報は、在留届を提出した在外邦人や「たびレジ」に登録した短期旅行者等に対してメールで配信されている。また、在外公館は、個別に独自の安全情報を発出しており、在留届の提出者や「たびレジ」登録者にはこれらの情報もメールで配信されている。「たびレジ」は、旅行の予定がなくても登録することができ(簡易登録)、こうして配信される安全情報は、海外で事業を行う日本企業関係者の安全対策などに幅広く活用されている。 外務省海外安全ホームページ(http://www.anzen.mofa.go.jp/) 外務省海外旅行登録「たびレジ」 (https://www.ezairyu.mofa.go.jp/tabireg/) 外務省海外安全アプリ 海外安全ホームページ「海外安全アプリの配信について」 (http://www.anzen.mofa.go.jp/c_info/oshirase_kaian_app.html)よりダウンロード可能 セミナー・訓練を通じて安全対策・危機管理に関する国民の知識や能力の向上を図る取組も行っている。外務省主催の国内安全対策セミナーを各地で実施したほか、各組織・団体等が全国各地で実施するセミナーに外務省領事局から講師を派遣し安全対策に関する講演を行った。また、企業関係者の参加を得て、「官民合同テロ・誘拐対策実地訓練」を実施した。これらの取組は、テロ等の被害の予防に役立つことはもちろん、万が一事件に巻き込まれた場合の対応能力向上にも資するものである。 また、海外においても官民が協力して安全対策を進めている。各国の在外公館では、「安全対策連絡協議会」を定期的に開催し、在留邦人との間で情報共有や意見交換、有事に備えた連携強化を行っている。 さらに、7月のダッカ襲撃テロ事件の後、特に国際協力事業関係者や安全に関する情報に接する機会が限られる中堅・中小企業、留学生、短期旅行者などに焦点を当て、安全対策意識の向上と対応能力強化の促進に努めている。 日本企業、特にその大部分を構成する中堅・中小企業の国内外での活躍を安全対策面からサポートするため、8月に日本商工会議所との間で「海外安全タスクフォース」を、9月には外務省が中心となり、日本企業の海外展開に関係する組織が参加する「中堅・中小企業海外安全対策ネットワーク」を立ち上げた。外務省はこれらの枠組みを通じ、幅広い企業関係者に対して、安全対策に関するノウハウや情報を効率的に共有するとともに、各企業が抱える安全面における懸念や問題点を迅速に把握・解決することを目指している。加えて、企業向け安全対策の基本的な内容を分かりやすく解説した「ゴルゴ13の中堅・中小企業向け海外安全対策マニュアル」を作成し、順次公表している(コラム「ゴルゴ13への依頼〜日本企業の海外安全対策〜」250ページ参照)。 また、留学生に関しては、多くの教育機関において安全対策及び緊急事態対応に係るノウハウが十分に蓄積されていない実情を踏まえ、大学等からの要請を受け、外務省員が講演を実施し、安全対策の意識向上に努めている。一部の留学関係機関とは「たびレジ」自動登録の仕組みを開始するなど、政府機関と教育機関、留学エージェント及び留学生をつなぐ取組を進めている。 短期旅行者の安全対策としては「たびレジ」への登録を促進するため、広報活動に取り組んでいる。外務省は、2018年夏をめどに累計登録者数を240万人とすることを目指しており、登録者数は2016年1月の約6万1,000人から同年12月には約149万人に増加した。 ゴルゴ13への依頼 〜日本企業の海外安全対策〜 【劇画より引用】 「東郷さん、我々に力をお貸しいただけないだろうか……」 外務大臣は、相手の男を真っ直ぐ見つめると、意を決したように口を開いた。東郷と呼ばれた男は、勧められた椅子に座ることもなく、無言でじっと大臣を睨み返した。 「……俺に依頼する訳を聞こう」 重苦しい静寂が大臣室を支配していた。男の名は、デューク東郷、またの名をゴルゴ13……。生年月日、年齢、国籍、全て不詳。分かっていることは、彼がどんなに困難な仕事も完遂するプロフェッショナルだということ。 大臣はある種の確信を持ってこう述べた。 「東郷さん、強いて言えば、あなたが『臆病』だからでしょうか。そのような人間がこの仕事に相応しい……」 デューク東郷は、再び無言で大臣を見つめ返していた。それが、相手に対する威嚇なのか、それとも、東郷に投げかけられた「賛辞」に対する彼なりの答礼なのか、それは誰にも分からなかった。東郷は呟いた。 「わかった、引き受けよう……」 近年、テロは中東やアフリカのみならず、日本人が多く滞在する欧米やアジアを含め、世界中に拡散しています。今や日本人は、テロに巻き込まれるのみならず、その標的にさえなっています。 外務省は、海外展開する日本企業、特に中堅・中小企業の安全対策に役立てていただくことを目的として、劇画『ゴルゴ13』に登場するデューク東郷が安全対策を指南する『ゴルゴ13の中堅・中小企業向け海外安全対策マニュアル』を、外務省ホームページに掲載しています。半世紀にわたり激動の国際情勢の第一線で、常に生き残ってきた一方で、自分自身がうさぎ(ラビット)のように臆病だということを自覚しているデューク東郷が語る安全対策が、圧倒的な迫力と説得力を持って日本企業関係者に受け止められるものと期待しています。海外で日本人がテロの被害に遭わないために、このマニュアルを「自分の身は自分で守る」という意識と能力を高めることに役立てていただければと思います。外務省としても、引き続き効果的な情報発信を行い、海外における日本企業の安全対策強化に貢献していく考えです。 (注:デューク東郷氏は劇画『ゴルゴ13』内の架空の人物です。) 1 海外日本人援護統計は、日本の在外公館及び公益財団法人交流協会が、海外において事件・事故、犯罪加害、犯罪被害、災害など何らかのトラブルに遭遇した日本人に対し行った援護の件数及び人数を年ごとに取りまとめたものであり、1986年に集計を開始した。