第2章 地球儀を俯瞰する外交 3 東南アジア (1)インドネシア インドネシアでは、2014年7月に実施された大統領選挙の結果、同年10月、ジョコ第7代大統領が就任した。ジョコ大統領は、2015年4月にインドネシアでバンドン会議60周年行事を主催したほか、世界経済が減速する中、規制緩和等を内容とする一連の経済政策パッケージを発表するなど、経済対策に注力してきている。 日本との関係では、ジョコ政権発足後も引き続き首脳及び閣僚間の会談が活発に行われ、新政権との意思疎通が行われた。3月にはジョコ大統領が訪日して首脳会談を実施し、「日・インドネシア共同声明 ―海洋と民主主義に支えられた戦略的パートナーシップの更なる強化に向けて―」を発出し、相互互恵協力、友好関係と基本的価値の共有を基礎とし、海洋と民主主義に支えられた戦略的パートナーシップの強化を確認した。また、4月には、安倍総理大臣がアジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議でインドネシアを訪問した際に首脳会談を実施し、11月にも、ASEAN関連首脳会談(於:マレーシア)の機会に首脳会談を行った。また、岸田外務大臣は、12月に訪日したルトノ外相と会談したことに加えて、インドネシアと初の外務・防衛閣僚会合を実施し、両国の安全保障・防衛協力を強化し、地域及び世界の平和と安定そして繁栄のために緊密に連携していくことを確認した。 また、これ以外にも3月と5月にはカッラ副大統領が訪日したほか、日本の経済団体や、1,000人以上の規模の日本インドネシア文化経済観光交流団がインドネシアを訪問するなど、活発な交流が行われた。 (2)カンボジア カンボジアは、メコン地域の連結性と域内の格差是正の鍵を握る国であり、南部経済回廊の要衝に位置している。2030年の高中所得国入りを目指し、ガバナンス(統治)の強化を中心とする開発政策を推進している。 日本は、1980年代後半のカンボジアの和平プロセスやその後の復興・開発に積極的に協力してきており、両国関係は良好である。日・カンボジア友好条約署名60周年の2015年には、2013年に両首脳により格上げされた両国間の「戦略的パートナーシップ」の一層の強化のための取組が行われた。3月の国連防災世界会議及び7月の日・メコン首脳会議出席のためのフン・セン首相訪日、さらに11月のASEAN関連首脳会議(於:マレーシア)の機会を捉え、3度の首脳会談が開催された。フン・セン首相からは、日本の「積極的平和主義」への高い評価と支持が改めて表明されるとともに、日本の選挙改革支援に対する感謝が述べられた。4月には、日本のODAによるネアックルン橋梁(きょうりょう)が開通し、フン・セン首相によって「つばさ橋」と命名された。6月の故チア・シム前上院議長の葬儀には、塩谷立衆議院議員(日本・メコン地域諸国友好議員連盟会長)が総理大臣特使として参列した。10月には中根一幸外務大臣政務官が訪問し、12月には、青年海外協力隊50周年の機会に日カンボジア友好議連国会議員が訪問した。 ネアックルン(つばさ橋)橋梁(きょうりょう)建設計画(カンボジア) 内政面では、2013年の国民議会(下院)選挙の結果をめぐり与野党が対峙(たいじ)し、2014年7月に与野党が政治情勢打開に合意した後、2015年に入り、国家選挙管理委員会設置法及び改正選挙法が成立し、新国家選挙管理委員会も始動した。一方で、11月の野党党首への逮捕状発出など、2017年の地方選挙及び2018年の国政選挙を控えて、与野党間の対立の高まりも見られる。 (3)シンガポール 9月に総選挙が実施され、リー・シェンロン首相率いる与党人民行動党(PAP)が89議席中83議席を獲得して圧勝し、引き続き政権を担うこととなった。前回2011年の総選挙以降、与党の政策がどれだけ国民に受入れられたかという点が注目を集めた選挙だったが、それまでの積極的な外国人受け入れ政策の一部見直し、大学教育以外の教育制度の充実、高齢者層及び低所得者層への支援拡大、住宅事情改善といった、前回総選挙以降の民意に配慮したきめ細やかな政権運営が評価され、与党の支持率低下傾向を反転させる結果となった。総選挙の結果を受け、10月に15省のうち8省に新大臣が就任するという大規模な内閣改造が行われた。加えて、いわゆる「第4世代」といわれる次世代の指導者候補の閣僚起用を進めるなど、世代交代も着実に進められている。 日本との関係では、2014年に続き、活発な要人往来が行われた。3月には安倍総理大臣がシンガポールの建国の父であるリー・クアンユー元首相の国葬に参列するため、3年連続でシンガポールを訪問した。また、両首脳は、11月のASEAN関連首脳会議(於:マレーシア)の際に会談を行い、両国の一層の協力強化を確認した。閣僚レベルでは、3月にシャンムガム外相兼法相が来日し、岸田外務大臣との外相会談において、2016年の両国外交関係樹立50周年に向けて一層連携を強化していくことで一致した。 経済面では、多くの日系企業がシンガポールに地域統括拠点を設置しており、インフラなどの分野で引き続き両国企業の連携が進んでいる。また、両国は「21世紀のための日本・シンガポール・パートナーシップ・プログラム(JSPP21)」を通じて、開発途上国に対して共同で技術協力を行っているほか、知的交流や文化交流も活発に行われている。 (4)タイ タイは、メコン地域の中心に位置し、東南アジア諸国の主要国の1つとして、日本とは「戦略的パートナーシップ」関係にある。また、長年にわたる投資の結果、多くの日本企業が活動しており、今日では地球規模でのサプライチェーンの一角として、日本経済にとって欠くことのできない存在になっている。 2006年のクーデターによって政権の座を追われたタクシン元首相を支持する世論と同元首相を糾弾する世論に社会が深く分断される中、2013年から2014年にかけて、デモ活動や暴力事件が政府機能や市民生活に影響を及ぼす状況が続いた。これを受け、事態を収拾するとして2014年5月に軍部中心のクーデターが発生した。軍政によって設置された官選議会と暫定内閣の下で、新憲法起草プロセスが進められており、議会選挙の実施を経た民政復帰は2017年末以降と見込まれている。 日・タイ両国間では、皇室・王室の緊密な関係を礎に、政治面、経済面を含む様々なレベルで交流が行われている。タイの安定化・民政復帰を後押しし、両国関係を深めるため、2015年の間に4度(二国間訪問(2月)、第3回国連防災世界会議出席時(3月)、第7回日メコン地域諸国首脳会議出席時(7月)、ASEAN関連首脳会議出席時(11月))にわたる日・タイ首脳会談が行われ、11月にはソムキット副首相が主要な経済閣僚と共に訪日した。 また、2013年に日本がタイ人短期旅行者に対する査証免除措置を開始した結果、2015年通年のタイ人訪日者数は約80万人(査証免除措置以前の約3倍)を数え、増加傾向は続いている。 (5)東ティモール 東ティモールは21世紀初の独立国家として、国際社会の支援の下で平和と安定を実現し、2012年に選出されたルアク大統領、2015年に任命されたアラウジョ首相の下、民主主義に基づく国づくりを実践してきている。2011年7月には、「戦略開発計画(SDP)」(2030年までの開発政策の長期的指針)が策定され、現在、紛争後の復興から本格的な開発の段階へ移行中である。7月にはポルトガル語諸国共同体(CPLP)(1)閣僚会合がディリで開催され、オブザーバーとなった日本から中根外務大臣政務官が出席した。 日本は、紛争後の復興から本格的な経済成長・発展という新たな段階に移行した東ティモールの努力を引き続き全面的に後押しするとともに、国際場裏でも緊密な協力を続けている。また、東ティモールが目標とする円滑なASEAN加盟の方針を支持しており、その実現に向けて人材育成等を支援している。 また、中根外務大臣政務官の訪問に加え、木村太郎総理補佐官の訪問やコエーリョ外務協力相の訪日など両国間の要人往来も引き続き活発に行われた。 (6)フィリピン 1月、フィリピン南部ミンダナオ島のマギンダナオ州ママサパノ町において、フィリピン国家警察特殊部隊とモロ・イスラム解放戦線(MILF)とが衝突し、双方に死傷者が出る事件が発生した。フィリピン政府とMILFは、2014年3月に包括和平合意に署名し、ミンダナオに新たな自治政府を設立する準備を進めていたが、この事件を受けて、フィリピン議会における自治政府を設立するための法案審議が停滞し、和平プロセスにも遅れが生じている。 ママサパノ町での衝突事案を受けて、アキノ大統領の支持率も一時的に下落したが、その後回復に転じ、12月の調査では58%となった。フィリピン憲法の規定により、大統領の任期は1期6年(再選なし)と定められているため、アキノ大統領の任期は2016年6月末で満了となる。2016年5月には次期大統領選挙が予定されており、アキノ大統領は、2015年7月にロハス内務自治相を自身の後継に指名した。 中国との間での南シナ海をめぐる紛争に関し、フィリピン政府は国連海洋法条約に基づく仲裁裁判を進めており、10月、仲裁裁判所は、フィリピンの申立ての一部について管轄権を認め、11月、本案に係る口頭手続を行った。 2015年6月、日本政府は、アキノ大統領を国賓として招へいした(P37特集参照)。訪日中、アキノ大統領は、宮中晩餐会を始めとする皇居での関連行事、安倍総理大臣との首脳会談及び夕食会、ビジネス界主催によるフィリピン投資フォーラム等に出席したほか、参議院において国会演説を行った。 フィリピンは、2015年のAPEC議長国を務めたことから、11月には、安倍総理大臣及び岸田外務大臣がそれぞれAPEC首脳会議、閣僚会議への出席のためフィリピンを訪問し、首脳会談及び外相会談を実施した。 2016年1月、天皇皇后両陛下がフィリピンを御訪問になった。両陛下は、皇太子同妃時代の1962年にフィリピンを御訪問になっているが、天皇皇后両陛下としてのフィリピン御訪問は今回が初めてであった。両陛下は、フィリピン大統領府での歓迎式典、アキノ大統領主催の晩餐会等に出席されたほか、フィリピン人の元国費留学生・研修生や訪日前日本語研修を受講中の看護師・介護福祉士候補者と懇談された。また、ラグナ州カリラヤの比島戦没者慰霊碑を訪問され、供花された。 フィリピン大統領の国賓訪日〜新たな高みに至った日・フィリピン関係〜 ASEANの主要国であるフィリピンは、2010年6月に就任したアキノ大統領によるリーダーシップの下、近年、高い経済成長を遂げており、世界の注目を集めています。2015年6月、日本政府はアキノ大統領を国賓としてお招きしました。大統領の国賓訪日を通じて日・フィリピン関係が更に強化され、新たな高みへと至りました。 1 戦後の両国による友好関係構築を確認 第二次世界大戦中、フィリピンでは日米間の激しい戦闘に巻き込まれ、多くの現地のフィリピンの方々が命を落とされました。戦後しばらく、フィリピンには厳しい対日感情が存在しましたが、日・フィリピン両国は1956年に国交を正常化し、以来、着実にその関係を改善してきました。現在では、フィリピンは世界で最も親日的な国の1つといわれます。アキノ大統領も訪日時に、戦後の二国間の友好関係構築の進展について以下のとおり言及されました。 〈宮中晩餐会におけるアキノ大統領のスピーチでの発言〉 「過去に経験した痛みや悲劇は、相互尊重、尊厳、連帯に根ざした関係構築に努めるという貴国の約束によって、癒やされてまいりました。我々両国は59年にわたり、双方の発展と互恵のためにともに力を合わせて進むことができることを、証明してきたのです。」 宮中晩餐会(6月3日、写真提供:官内庁) 2 戦略的パートナーとしての二国間協力の深化 2011年9月、日本とフィリピンは、二国間関係を「戦略的パートナーシップ」と位置付けました。安倍総理大臣は就任以来、アキノ大統領との間で毎年首脳会談を実施し、関係を強化してきました。今回のアキノ大統領の訪日においても、赤坂迎賓館で首脳会談が行われ、両国の関係が更に強化された戦略的パートナーシップ段階に入ったことを確認する共同宣言が発出されました。 首脳会談(6月4日、写真提供:内閣広報室) 二国間協力の象徴として、マニラ首都圏のインフラ整備における協力が挙げられます。マニラ首都圏は慢性的な交通渋滞に見舞われており、これを改善していく必要に迫られています。今次の首脳会談では、マニラ首都圏の運輸交通セクターにおけるインフラ整備のため、両国が協力していくこととし、そのための具体的な事業(鉄道整備等)を盛り込んだロードマップに合意しました。 (7)ブルネイ ブルネイは、豊富な天然資源を背景に、高い経済水準と充実した社会福祉を実現してきたが、ここ数年は原油・天然ガス価格下落によって経済成長率は落ち込んでいる。 日本とブルネイは、長年の液化天然ガス(LNG)の安定供給を基盤とした良好な関係を維持している。日本は、ブルネイが目指している産業多角化にも積極的に貢献する考えである。また、ブルネイは2015年8月から3年間ASEANの対日調整国を務めている。 10月にはハサナル・ボルキア国王により5年ぶりとなる内閣改造が実施された。同月末には木原誠二外務副大臣がブルネイを訪問して政府要人との会談を行い、二国間関係及び地域や国際場裏における連携の強化を確認した。 (8)ベトナム ベトナムは、南シナ海のシーレーンに面し、中国と長い国境線を有する地政学的に重要な国である。また、東南アジア第3位の人口を有し、中間所得層が急増していることから、有望な市場になりつつある。2000年代後半から経済が停滞したものの、インフレ抑制等のマクロ経済安定化への取組、インフラ整備や投資環境改善を通じた外資誘致を進め、近年は回復傾向にある。また、金融セクターや国有企業の改革に取り組んでいるほか、TPP協定交渉にも参加し、経済の多角化を図っている。 内政面では、2016年1月に5年に一度のベトナム共産党大会が開催され、チョン書記長が再任されるとともに、党の新指導部が発足した。同年6から7月頃にかけて召集される次期国会第1会期において、元首である国家主席や政府首相等が選出される。集団指導体制をとるベトナムでは、内外政について大幅な方針の変更はないと見られる。近年、国会において閣僚等に対し、また、共産党内において政治局員・書記局員に対して信任投票を実施するなど、一党指導体制にありつつも民主的要素を取り入れることの重要性に対する認識が徐々に高まっている。 中国による南沙諸島での埋立てや拠点構築や西沙諸島周辺海域での中国による石油リグ設置などにより、南シナ海情勢をめぐってベトナムは中国に対する警戒感を有しているものと見られている。米国との関係では、7月にベトナム戦争終結後初となるベトナム共産党書記長の訪米が実現し、米・ベトナム関係は発展傾向にある。 日本は、ベトナムにとって最大のODA供与国であり、第2の投資国となっている。日・ベトナム関係は、「広範な戦略的パートナーシップ」に基づき、経済協力、安全保障、文化交流等、幅広い分野において協力が進展している。7月の日・メコン首脳会議に際してズン首相が訪日、また、同年9月にチョン書記長が公賓として訪日するなど、引き続き活発な要人往来が行われている。 トゥオン・ホーチミン市党委副書記と会談する中根外務大臣政務官(8月29日、ベトナム・ホーチミン) (9)マレーシア ナジブ政権は、「ワンマレーシア(国民第一、即実行)」のスローガンの下、2010年に発表した「政府変革プログラム」、「新経済モデル」、「第10次マレーシア計画」及び「経済変革プログラム」を着実に実施し、民族融和、行政改革や国民福祉の充実を図っている。2020年までの先進国入りを目指し、国際競争力強化のため規制緩和・自由化を進め、国内では投資と国内消費に支えられた安定した成長を維持している。2015年には、ASEAN議長国を務めた。 日本との関係では、2013年、2014年に続き、2015年も、首脳の相互訪問が実現した。5月、ナジブ首相が公式実務訪問賓客として訪日し、安倍総理大臣との間で首脳会談を行った。両首脳は、両国関係を「戦略的パートナーシップ」に格上げし、地域や国際社会の幅広い課題について一層協力を強化していくことで一致した。また11月に安倍総理大臣が、ASEAN関連首脳会議出席のためマレーシアを訪問した際にも首脳会談が行われた。 経済面では、日本はマレーシアに対する最大の投資国であるほか、マレーシアへの進出日系企業数は1,400社にも上るなど、引き続き緊密な協力関係にある。 良好な二国間関係の基盤である東方政策(2)は2012年で30周年を迎え、これまでに約1万5,000人が日本に留学・研修を行っており、現在、「東方政策2.0」と称して、留学分野の拡大等、東方政策の質の検討を図っている。また、2011年9月に開始したマレーシア日本国際工科院(MJIIT)をASEANにおける日本型工学教育の拠点とするための協力が進められているほか、マレーシア・シンガポール間の高速鉄道事業での協力について検討を進めている。 (10)ミャンマー ミャンマーは、2011年の民政移管以降、テイン・セイン大統領の下、民主化、国民和解、経済改革、法の支配の強化などの改革を進めてきている。11月、2011年の民政移管後初めての総選挙がおおむね平和裏に実施され、アウン・サン・スー・チー議長率いる国民民主連盟(NLD)が全議席の6割弱を獲得して勝利した。これを受けて、2016年3月末に新政権が発足する見込みである。このほか、2015年10月には、ミャンマー政府と少数民族勢力8勢力との間で停戦合意文書への署名が行われるなど国民和解実現に向けた前向きな動きが見られた。 ミャンマーは、中国とインドとの間の地理的な要衝に位置し、発展への潜在力が高い。また、ミャンマー国民はおおむね親日的であり、日本企業の関心も高い。こうした点を踏まえ、日本はミャンマーの改革努力を後押しすることにより、同国が地域の繁栄と安定に貢献する国として発展していくことを期待している。 こうした中、7月にはテイン・セイン大統領が第7回日・メコン首脳会議に出席するため訪日し、安倍総理大臣との間で首脳会談が行われた。同会談で、安倍総理大臣は、「積極的平和主義」を通じて地域の平和と安定に貢献すべく、ミャンマーの民主化や社会経済改革を官民挙げて支援することのほか、笹川陽平ミャンマー国民和解担当日本政府代表と共にミャンマー政府と少数民族勢力との和平プロセスを後押し、総額約1,000億円の円借款供与を表明した。このほか、日・メコン首脳会議の機会を捉えて、ミャンマー南部のダウェー経済特別区のプロジェクト開発のための協力に関する意図表明覚書を日本、ミャンマー及びタイの3か国の間で署名し、ダウェー経済特別区の開発に向けた協力を確認した。 日・ミャンマー首脳会談(7月4日、東京 写真提供:内閣広報室) また、上記の総選挙に際しては、この選挙の実施がミャンマーの民主化進展において重要であることに鑑み、その自由・公正な実施を支援する観点から、笹川ミャンマー国民和解担当日本政府代表を団長とする日本政府選挙監視団を派遣した(P39コラム参照)。 ミャンマー総選挙(日本政府による選挙監視団の派遣)ミャンマー国民和解担当日本政府代表●笹川 陽平 ミャンマーは長い軍事政権から解放され、テイン・セイン政権の下、急速に民主化を進め、11月8日には本格的な総選挙が実施されました。 投票日までは、ミャンマーで自由と公正な総選挙が実施されるか否か、懐疑的な報道が国際社会では大勢を占めていました。選挙前日、私はミャンマー総選挙監視団長として7か所の投票所を訪問しましたが、どこも私たちの訪問を歓迎してくれ、係官も質問にも笑顔で応えてくれました。ある投票所では、狭い敷地に4か所の投票場所があり、住民が混乱するのではないかとの質問に、住民には事前に詳しく説明しているので問題はないとの返答でした。投票日当日、その投票所に早朝5時30分に到着したところ、すでに100人以上の有権者が列をなして静かに待機しており、投票所が開かれると、前日の係官の説明どおりそれぞれが投票場所に向かい、何の混乱もなく投票していました。また、投票が16時に終了するので、遅れてきた人の取り扱いが懸念されていましたが、16時に投票所の敷地内に入った人には投票を認めることになっていて、16時前後に沢山の人が来る事態はどこにも起こらなかったようです。 投票前にスタッフと懇談する筆者 投票のために列を作る住民 当日の夕方からの開票には立候補者の政党代表、オーストラリア、タイ、オランダの監視団とともに開票する最前列の椅子に座り、監視活動を行いました。先ず200票近い事前投票の開票から始まりました。係官は1票毎に投票用紙を私たちに見せ、それぞれの党派別の箱に入れるとともに、黒板にも党派別の投票数字を書き込んでいきます。無効投票については、候補者の出ている党の立会人に理由を説明して無効票としました。そのため200票近くの開票に約1時間近くを要しましたが、非常に公平で正確な開票でした。二重投票を防止するため、投票が終わった人には小指にインクを付ける仕組みになっていました。これは48時間消えないインクで、日本政府が提供したものです。有権者は皆、投票の後はにこやかに互いにインクのついた小指を見せ合いながら、自分たちの1票が国の政治に関われるという喜びの笑顔にあふれていたのが印象的でした。 小指の消えないインクは投票したことの証 外国からの選挙監視団1,000人、国内の選挙監視団9,000人、合計1万人が各投票所で選挙の模様を監視しました。米国、EUの選挙監視団と印象を話し合いましたが、そこでも自由で公正な選挙が行われたということで意見が一致しました。 開票の様子を見守る筆者 選挙前の報道と違い、暑い中、1時間以上も列をなして静かに投票を待つ姿を見て、改めて一票の大切さを実感しました。 日本でも今年から18歳から選挙権が与えられます。特に若者に選挙への関心を持ってもらいたいものです。 (11)ラオス ラオスは、中国、ミャンマー、タイ、カンボジア及びベトナムの5か国と国境を接し、メコン連結性の鍵を握る内陸国である。その地理的制約と過去の内戦などの影響から経済発展が遅れていたが、近年、インドシナ半島の中央に位置する地理上の優位性に着目した域内物流の拠点化など、連結性向上による経済発展を目指している。また、人民革命党の一党支配体制の下、内政は概して安定している。経済面でも引き続き電力、鉱物資源がけん引する形で堅調な経済成長を維持している。 2015年、日・ラオス外交関係樹立60周年を迎え(P40コラム参照)、両国関係は、「戦略的パートナーシップ」の関係へと格上げされた。2015年だけで3度の日・ラオス首脳会談が実施されるなど、首脳レベルの交流が活発化したほか、両国において様々な60周年を記念する事業が開催され、草の根レベルでの相互理解も一層深化した。さらに、最近では、日系企業のラオスに対する関心が高まってきており、2014年7月の日本貿易振興機構(JETRO)事務所開設に象徴されるとおり、これまでの開発協力のみならず、民間投資を含む経済面での交流も活発化している。 日本・ラオス関係を支える、心の民間交流日本ラオス協会会長(元駐ラオス大使)●橋本 逸男 2015年は、日本とラオスの外交関係樹立60周年にあたります。この間、ラオス側の政治体制の変化や若干の曲折も経ましたが、両国の関係は、穏やかに、順調に発展し、今や、「戦略的パートナーシップ」の間柄にあります。私は、「心のパートナーシップ」と呼んでいます。ラオスとの関係では、政府・外交レベルでも、民間の往来でも、他の国と比べても、温かい心の触れ合い、心と心の交流が見られるからです。ラオスが、日本国内で、突出してポピュラーな国ではないとはいえ、各地に十余の、友好交流団体があり、様々な活動をしています。 私共「日本ラオス友好協会」は、「60周年」を祝賀し、ラオスの官民の人士と交流する訪問団の派遣を企図して、そうした団体の主だった方々をお誘いし、11月11日、約150名ほどでラオスを訪問しました。私共は、民間ながら、「国を挙げた」祝賀を象徴する晩餐会を行いたいと念じましたが、現地大使館の御支援もあり、翌12日、ラオス側からパンカム副首相以下の政府要人、日本関係者と、日本側から外務大臣政務官、岸野大使と現地駐在の方々等の御出席を得て、約250名の祝賀会を行うことが出来ました(写真1、は、主催者側を代表して挨拶する筆者)。訪問団は、「60周年」を記念して行われた、「ジャパン・フェスティバル」の開幕式にも参加したほか、グループに分かれ、要人表敬、経済シンポジウム、工場視察などを行いました。 写真1:祝賀会で主催者を代表して挨拶する筆者 共に訪問団を構成した、川崎商工会議所、埼玉ラオス友好協会、学校法人さくら国際高等学校は、ラオスと活発な交流を行って実績があります。さくら国際高等学校の生徒諸君は、晩餐会と「ジャパン・フェスティバル」でパフォーマンスを披露し、大きな拍手を浴びました。 私共の協会とこれらの団体、特に「さくら国際高等学校」の尽力で「60周年」を記念して行った「ラオス・フェスティバル」も特記に値します。これは、在京ラオス大使館ほかと協力して、実行委員会を作り、5月23日、代々木公園で、わざわざラオスから担当大臣が出席して行った、祝賀行事です(写真2、は、フェスティバルの開幕式)。ラオス政府派遣の歌舞団と日本の各種芸術団体などが、丸々2日間、様々なパフォーマンスを行いました。それを鑑賞し、会場の店舗で、ラオスの展示や物産、食べ物を楽しむ来場者は、実行委員会によれば、2日間で、約20万人に上りました。 写真2:フェスティバル 1 東ティモールは、2014年7月にCPLPサミットを開催しており、これは東ティモールにとって初の国際会議主催となった。 2 1981年にマハティール首相が提唱した政策で、日本や韓国の労働理論や経営哲学などを学ぶことによって、経済発展を目指す構想