第1章 概観 2013年の国際情勢と日本外交の戦略的展開 1 情勢認識 (1)中期的な国際情勢の変化 【パワーバランスの変化】 現在、国際社会において、国家間のパワーバランスが大きく変化している。その背景として、まず中国やインドといったいわゆる新興国が急速に経済成長し、国際社会における存在感を増大させていることが挙げられる。特に中国は、一時ほどではないが引き続き高い経済成長率を維持し、グローバル経済における影響力を増大させるとともに、政治的な発言力や軍事力をも急速に拡大させている。 国際社会における米国の影響力にも相対的な変化が見られるが、軍事力及び経済力、価値や文化といったソフトパワーを含めた総合的な国力では、その主導的な地位に変わりはない。 こうしたパワーバランスの変化により、国際社会全体の統治構造において強力な指導力を発揮することがますます困難となり、また責任ある幅広いコンセンサスの形成に一層時間と労力がかかるようになっている。 【グローバル化とリスクの多様化・複雑化】 加えて、グローバル化とITを始めとする技術革新が、そのスピードを更に高めながら不可逆的に進行している。国家間の相互依存が高まる一方で、NGO(非政府組織)や多国籍企業といった国家以外の主体の影響力を増大させる効果も生んでいる。このことは、経済成長とより民主的な意思決定に貢献しているが、一方でリスクを多様化し、複雑化させる要因ともなっている。 大量破壊兵器や弾道ミサイル等の移転・拡散・性能向上に関する問題は、日本や国際社会にとって大きな脅威となっている。特に北朝鮮による核・ミサイル開発は、地域と国際社会全体の平和と安全に対する重大な脅威である。また、イランの核問題は、国際社会における懸念事項である。シリアにおいて化学兵器が使用されたように、大量破壊兵器は必ずしも潜在的な脅威にとどまっているものとは限らない。加えて、国際テロ組織を始めとする非国家主体による大量破壊兵器等の取得・使用は、国際社会にとって引き続き重大な懸念である。 国際的なテロ組織は、情報・通信ツールの多様化や輸送・交通手段の改善などグローバル化と技術革新の進展を利用して、その活動の範囲を世界規模に拡大させている。日本人や日本企業が国際的に活動の幅を広げるに伴い、テロ等に巻き込まれるリスクも増大しており、現実に、2013年1月のアルジェリアにおけるテロ事件で10人の日本人が犠牲となった。 【国際公共財(グローバル・コモンズ)における新たな機会とリスク】 海洋、宇宙空間、サイバー空間といった国際公共財(グローバル・コモンズ)は、人類の活動領域を広げるフロンティアとして大きな機会を提供している。しかし、同時に、その利用が広がることに伴うリスクも深刻化している。 海洋の秩序は、国連海洋法条約が根幹を成す国際法により規律されており、日本は、海洋における「法の支配」の確立を推進している。海洋に囲まれ、資源の輸入や貿易の大部分を海洋に依存する日本にとって、「開かれ安定した海洋」は極めて重要である。近年、力を背景とした一方的な現状変更を図る動きが増加しているほか、海賊や不審船、環境汚染といった問題もあり、こうした様々な課題に各国が対応していくとともに、適切な国際ルール作りとその遵守に国際社会が一致して取り組むことが必要となっている。 宇宙空間については、民生分野での活用のみならず、情報収集や警戒監視機能の強化といった安全保障上の役割に注目が集まっている。そのような中、宇宙利用国の増加に伴って宇宙空間の混雑化が進んでおり、加えて、いわゆる宇宙ゴミ(スペースデブリ)の増加、衛星破壊兵器の開発の動きを始めとして、その利用が妨げられるリスクが高まっている。 現代社会において、サイバー空間は、アクセスできる者が限定されている宇宙空間や深海底とは異なり、万人にアクセス可能で、人々の生活に密着し切り離せない存在となっている。また、情報通信のシステム及びネットワークは、重要な社会及び経済の基幹インフラを提供している。サイバー空間においては、秘密情報の窃取やインフラシステムの破壊、軍事システムの妨害を意図したサイバー攻撃などによるリスクが深刻化しつつある。一方、その匿名性や非対称性、領域が存在しないことによる管理の困難さといった特徴から、対応は容易ではない。しかし、サイバー空間の重要性からすれば、こうしたリスクを放置しておくことはできず、総合的な取組が必要となる。 宇宙空間やサイバー空間における秩序については、国連海洋法条約などの関連国際法により規律される海洋と比較すると、いまだ法的基盤は脆弱(ぜいじゃく)である。宇宙空間については、安全かつ安定的な利用の確保を目指し、国際行動規範策定に向けた努力が求められている。サイバー空間については、自由な利用とセキュリティの両立を目指し、既存の国際法の適用を前提とした国際的なルール作りが必要である。 【人間の安全保障に関する課題】 人間の安全保障とは、人間一人ひとりに着目し、広範かつ深刻な脅威から人々を守り、それぞれの持つ豊かな可能性を実現するために、保護と能力強化を通じて持続可能な個人の自立と社会づくりを促す考え方である。日本は、長年にわたりこのような考え方を国際的な場で提唱し、その定着に努めてきた。 グローバル化の進展と国際経済活動の拡大の恩恵を受けつつ、高い経済成長を成し遂げる開発途上国もある一方で、いまだ深刻な貧困から脱出できずにいる最貧国もある。加えて、感染症、気候変動、自然災害などの地球規模の問題は、国境を越え、一国の対処能力を超えて個人の生存と尊厳を脅かしており、人間の安全保障の観点から重要かつ緊急の取組を必要としている。 【世界経済のリスクと格差の拡大】 世界経済そのものもリスクを抱えている。各国の経済はますます国際的な結びつきを強めており、欧州債務危機の際に見られたとおり、一国の経済危機が世界経済全体に大きな影響を及ぼす状況が生まれている。また、各国の財政問題、新興国経済の減速や構造的な問題により、今後の先行きが不透明な状況が続いている。その一方で、資源国によるナショナリズムの高揚や、世界的な需要の高まりを背景とした資源獲得競争が激しさを増している。 (2)厳しさを増す東アジアの安全保障環境 【北朝鮮の核・ミサイル開発と体制の不透明な動向】 北朝鮮は、核兵器を始めとする大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発を進めるとともに挑発的な言動を繰り返し、日本及び東アジア地域にとって安全保障上の最大のリスク要因となっている。特に、米国本土をも射程に含む弾道ミサイルの開発や、核兵器の小型化及び弾道ミサイルへの搭載の試みは、地域及び国際社会の安全保障に対する深刻な脅威となっている。 また、金正恩(キムジョンウン)国防委員会第一委員長を中心とした体制固めが進行しているが、2013年12月には、義理の叔父である張成澤(チャンソンテク)国防委員会副委員長が粛正されるなど注目すべき動きが見られた。今後の金正恩体制の動向を引き続き注視していく必要がある。 北朝鮮による拉致問題は、日本の主権と国民の生命・安全に関わる重大な問題であると同時に、基本的人権の侵害という国際社会全体の普遍的な問題である。国際社会とも協力しつつ、引き続きその解決に全力を尽くす考えである。 【中国の不透明な軍事力強化と一方的な現状変更の試み】 中国には、増大する国力を背景とした主張が目立つが、国力に伴う責任を自覚し、国際的な規範を共有・遵守するとともに、地域や地球規模の課題に積極的かつ協調的な役割を果たすことが期待される。一方で、国防費の継続的な高い伸びを背景として、十分な透明性を欠いた軍事力の強化が広範かつ急速に進められている。 中国は東シナ海、南シナ海などの海空域で、既存の国際法秩序と相容れない一方的な主張に基づき、「力」に基づく一方的な現状変更の試みと見られる対応を示している。日本との関係では、日本の固有の領土である尖閣諸島付近での領海侵入及び領空侵犯を始めとする活動を拡大・活発化させている。特に2013年11月には、東シナ海に「防空識別区」を一方的に設定した。これは、公海上空を飛行する航空機に対して、一方的に自国の手続に従うことを義務付け、従わない場合に「防御的緊急措置」をとるとするなど、国際法上の一般原則である公海上空における飛行の自由の原則を不当に侵害するものである。 台湾との両岸関係については、経済関係の緊密化が進んでいるが、中国と台湾、そして地域の軍事バランスの変化も同時に進行しており、安定化の動きと潜在的な不安定性が併存している。 (3)混迷の度合いを増す中東・北アフリカ情勢 【シリア情勢】 シリアでは、2011年以降の混乱に拍車がかかり、人道的な危機が続いている。政府と反政府勢力との間の暴力的衝突に国外からイスラム過激派勢力が加わり、混迷は深まっている。 8月に発生した首都ダマスカス郊外での化学兵器の使用は、武力行使を伴う介入をめぐる国際的な危機に発展した。米国などによるシリアへの軍事行動の是非が取り沙汰される中、最終的に米露間でシリアの化学兵器を国際管理下に置くことなどについて合意がなされた。これを受けて、化学兵器禁止機関(OPCW)の決定やこれを補強する国連安保理決議第2118号が採択された。 政治プロセスについては、2013年5月に米露主導でシリアに関する国際会議(いわゆる「ジュネーブ2」会議)開催のイニシアティブが発表され、2014年1月に同会議が開催され、日本もこれに参加した。 【不透明なポスト「アラブの春」の見通し】 2011年に突如吹き荒れた「アラブの春」と呼ばれる中東・北アフリカ諸国における変革の波は、複数の国で既存の権威主義的体制を崩壊させた。しかし、これら諸国において、その後の安定的な秩序を打ち立てることに成功した例は少なく、なお不透明な情勢が続いている。 エジプトにおいては、2013年6月にムルスィー大統領の退陣を求める大規模デモが発生したのに応じ、軍が介入し、同大統領は事実上失脚した。ムルスィー大統領を支持するムスリム同胞団を始めとするイスラム主義勢力と、軍及び警察との衝突は、数千人の死傷者を生んだ。今後の大統領選挙や議会選挙の結果が同国の安定をもたらすのかが注目される。 チュニジアでは、2月及び7月に相次いで野党議員が暗殺されたことにより議会機能が麻痺(まひ)し、首相が交代に追い込まれた。リビアでは、5月に政治的罷免法が成立したことを受け、マガリエフ制憲議会議長(元首)が辞任したほか、10月にはゼイダーン首相が拉致される事件が発生した。 【イラン情勢】 イランは国連安全保障理事会(安保理)決議に反し、核関連活動を進めてきたが、問題の平和的解決に向け、国際社会の外交努力が続けられている。2013年8月、国際社会との協調を掲げるローハニ大統領が就任し、事態は進展を見つつある。11月に、ジュネーブにおいて実施されたEU3(英仏独)+3(米中露)との協議において、6か月間で実施する第一段階の措置及び最終段階の包括的合意の要素を含んだ「共同作業計画」が合意され、実行に移された。現在、この合意に基づいたプロセスが進められており、今後の動向が注目される。 (4)成長の一方で不安定さを抱えるアフリカ情勢 近年、アフリカは、アフリカ連合(AU)などによる統合が進み、また高い経済成長を背景に、国際社会においてその存在感を示すようになってきている。 その一方で、依然として、南スーダン、中央アフリカ、大湖地域などでは国家建設プロセスでの混乱、民族や宗教の相違を背景とする紛争を抱え、「アフリカの角」やギニア湾岸を中心に海賊への対処が必要となるなど、平和と安定に課題を残している。また、深刻な貧困・開発問題、格差が存続しており、これらの解決が求められている。 「アラブの春」後の混乱は、テロリストの活動範囲をアフリカに広げる結果をもたらしており、2013年1月にはアルジェリアにおける日本人等に対するテロ事件が発生した。北アフリカとサブサハラ・アフリカの結節点となるサハラ・サヘル地域にも影響は拡大しており、マリにおいては、「アラブの春」以降、イスラム過激派らが北部へ流入して治安が悪化したことにより、従来存在していた南北の格差問題が先鋭化した。現在は、2013年4月の国連安保理決議により設立された国連マリ多角的統合安定化ミッション(MINUSMA)が、1月に治安の回復のため展開したアフリカ主導国際マリ支援ミッション(AFISMA)を引き継ぐ形でフランス軍と連携して活動を継続している。 南スーダンでは、与党内の主導権争いが、2013年12月には自衛隊が活動している首都ジュバにおける銃撃戦にまで発展した。同国各地に広がった衝突で、多数の避難民が生まれたが、地域諸国の仲介により、2014年1月末に敵対行為の停止などの合意が成立した。 中央アフリカでは、2013年3月、主としてイスラム教徒で構成される反政府勢力連合が、ボジゼ大統領の政権を打倒した。その後、キリスト教自警団との間で衝突が続き、2014年1月時点で90万人以上の国内避難民が発生するなど、人道状況は非常に悪化している。