3 国際経済分野の法秩序 (1)多角的貿易体制の強化 ア 多角的貿易体制と日本 戦後、日本の経済発展は、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)/WTOを中心とする多角的自由貿易体制に支えられてきたところが大きい。これまで、GATT体制の下での多角的貿易交渉(ラウンド)を通じて各国の関税が引き下げられ、ウルグアイ・ラウンドの妥結により1995年に設立されたWTOでは、規律の対象分野の拡大や各国の貿易政策の監視、紛争処理機能の強化などがなされた。世界経済の不安定さが増す中、保護主義を抑止し自由貿易体制を維持する上で、WTOが果たす役割はますます重要になっている。 特に保護主義の抑止に関しては、2011年12月に開催されたWTO第8回定例閣僚会議(MC8)において、G20カンヌ・サミットやAPECホノルル首脳会議での合意を踏まえ、政治的メッセージ(9)が全加盟国の合意を得て発出された。 また、MC8での合意を受けて、2012年にはモンテネグロ、サモア、ロシア及びバヌアツがWTO新規加盟を果たしたほか、ラオスとタジキスタンの加盟が承認された。また、加盟までに多大な時間を要する後発開発途上国(LDC)に対し、早期加盟を促すためのガイドラインの見直しが合意された。 イ 2012年のWTOにおける交渉 WTOドーハ・ラウンド(正式名称は「ドーハ開発アジェンダ」(DDA))交渉は、以下の8分野について一括妥結を目指しており、当初は進展が見られたものの、新興国と先進国の対立により、現在は膠着(こうちゃく)状態に陥っている。 2011年末のMC8では、目標としての一括受諾は断念しないことや先行合意などの「新たなアプローチ」を探求することが合意された。現在、この合意に基づき、全加盟国による交渉(貿易円滑化、農業、開発)や有志国による交渉(情報技術協定(ITA)の拡大及びサービス貿易自由化)が行われている。 〔DDAの8分野〕 @ 農業:@一般的な関税削減の方式、その例外などの問題(市場アクセス(10))、A貿易を歪(ゆが)める国内農業補助金など(国内支持)の削減、B輸出補助金の撤廃(輸出競争)などについての交渉 A 非農産品市場アクセス(NAMA):鉱工業品及び林水産品の関税や非関税障壁(NTB)の削減に関する交渉。 B サービス:@リクエスト&オファー方式(11)による市場アクセスの改善、Aサービスの貿易に影響を及ぼす国内措置などに関するルールの策定を目的とした交渉。 C ルール:ダンピング(12)防止、補助金についての規律の強化及び明確化などを目的とした交渉。 D 貿易円滑化:税関における貿易手続の透明化、簡易化、迅速化などを目的とした交渉。 E 開発:WTO協定における開発途上国に対する配慮条項である「特別かつ異なる待遇(S&D)」条項をより実効的にするための交渉。 F 環境:@WTO協定と多国間環境協定(ワシントン条約など)との整合性や事務局間の協力、A環境物品(13)・サービスに対する関税及び非関税障壁の削減・撤廃などについての交渉。 G 知的財産権:ワインやスピリッツの地理的表示(GI)(14)の多国間通報登録制度創設についての交渉。 (ア)全加盟国による取組 a 貿易円滑化 貿易円滑化の分野では、GATT第5条(通過の自由)、第8条(輸入及び輸出に関する手数料及び手続)及び第10条(貿易規則の公表及び施行)に関連する事項の明確化と改善などを内容とする貿易円滑化協定の新設を目指して交渉が行われている。現在の統合交渉テキストは、各国が貿易円滑化のためにとるべき措置に関する規定と開発途上国優遇規定により構成されている。 2012年には、4回の交渉会合が開催された。統合交渉テキストにおいて加盟国間で意見が収れんされていない箇所は、2012年当初に約800あったが約650まで減少するなど、一定の進捗が見られた。 b 農業 2012年は、2008年12月に発表された農業交渉に関する議長テキスト(交渉文書)の残された論点などについての協議に大きな進展は見られず、農業交渉は全体として膠着状態が続いた。こうした中、2012年後半には、新興国を中心とする開発途上国グループが、関税割当について透明性の確保や運用方法などに係る規律強化を求める提案(ブラジル主導)と公的備蓄や国内食料援助の目的で低所得農家から食料を買い上げるための政府支払いを削減義務の対象外とする提案(インド主導)を行い、これらについてDDA農業交渉における進展可能な項目であるとして先行合意を求めた。 c 開発 2012年は、開発分野の議論が活発に行われ、7月には、LDCのWTO加盟促進に向けたガイドライン見直しに合意した。また、2003年に開催されたカンクン閣僚会議(於:メキシコ)において実質合意されたにもかかわらず、同会議が決裂し採択できなかった28件のS&D提案、衛生・植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)や輸入ライセンス協定のS&D条項に関する提案、S&D条項の実施を監視するためのモニタリング・メカニズム設立に関する提案について議論が重ねられた。 (イ)有志国による取組 a 情報技術協定(ITA)拡大 2012年5月以降、WTOのITA(15)対象品目拡大について、関心国間(16)の協議が行われている。ITAは、発効以来15年間にわたり対象品目の見直しが行われていないため、その間の技術進歩により開発された製品(17)を対象とする品目拡大が急務であり、早期妥結を目指して交渉が進められている(18)。 ITA対象品目の拡大により、情報技術製品の貿易拡大、情報技術を通じた各国経済の成長・生産性向上が促進される。また、DDAの膠(こう)着が続く中、ITA品目拡大交渉の早期妥結は、WTOを中心とした多角的貿易体制の信認を維持する観点からも重要である。 b サービス貿易新協定 多国間のサービス貿易を規律するWTOサービス貿易一般協定(GATS)の発効から18年が経過した。DDAが停滞する中、2011年、米国などのサービス貿易推進国から、有志国によるサービス貿易自由化交渉が提唱された。この動きは、2011年末のMC8で決定された「新たなアプローチ」の一環として、2012年初頭から具体化した。 以降日本を含む有志国は、自由化の約束方法、新たなルール、参加国の拡大方法など、21世紀にふさわしい新たなサービス貿易協定に向けた議論を進めてきた。12月に開催された有志国会合(21の国・地域が参加)において、2013年早期からの交渉開始を目指すことで一致した。 (ウ)紛争解決(DS) WTO紛争解決制度は、WTO協定に基づき個別の貿易紛争について解釈し、WTO体制に安定性と予見可能性を与える柱として、有益に機能している(19)。日本が当事国である最近の案件は以下のとおり。 ○オンタリオ州(カナダ)の風力・太陽光発電による電力の長期固定価格保証制度(Feed In Tariffプログラム)における州産品使用要求(20):2012年12月、パネル(紛争処理小委員会)は、当該要求がWTO協定に非整合的であるとする日本の申立てを認める判断を下した。 ○中国のレアアース、タングステン及びモリブテンの輸出規制措置(21):2012年7月、米国及びEUと共同で手続を進め、パネルが設置された。 ○アルゼンチンの輸入制限措置(22):2013年1月、EU及び米国と共同で手続を進め、パネルが設置された。 ○中国の日本産高性能ステンレス継目無鋼管(23)に対するアンチ・ダンピング税を賦課する措置:2013年1〜2月、中国とWTO協定に基づく二国間協議を行った。 日本はまた、DDAの一環として行われているDSU(24)改正交渉などにおいて、紛争解決制度の更なる改善に向け積極的に貢献してきている。 (2)投資協定/租税条約/社会保障協定 ア 投資協定 貿易の自由化及び円滑化に関しては、WTOが多国間の包括的なルールを定めているが、投資に関してはこのようなルールが存在しないため、各国は、二国間又は複数国間で投資協定を締結することにより、投資を促進するための環境整備に努めている。日本もこのような取組を積極的に進めており、2012年には、クウェート及びイラクとの間で、二国間投資協定に署名し、中国・韓国との間で三国間投資協定に署名した。この結果、これまで日本は、20件の投資協定を締結又は署名したことになる(25)。また、サウジアラビア、アンゴラ、カザフスタン、ウクライナ、アルジェリア、モザンビーク、ミャンマー、ウルグアイとの間で、それぞれ二国間投資協定交渉を進めている。さらに、ASEAN(26)、オーストラリア、GCC、オマーン、モンゴル、カナダとの間でも、投資に関する規定を含むEPAについて交渉中である。 このほか、日本は、OECDやAPECなどの国際的な枠組みにおいても、投資の自由化及び円滑化を促進するために多国間のルールを形成する必要性を主張するなど、積極的に取り組んできている。 イ 租税条約 租税条約は、国境を越える経済活動に対する国家間の課税権を調整することにより国際的な二重課税を回避するとともに、投資所得(配当、利子、使用料)に対する源泉地国課税の減免などを通じて国際的な投資交流を促進するための重要な法的基盤である。日本は、これまで租税条約ネットワークの拡充に積極的に取り組んでいる。また、脱税及び租税回避行為などを防止する観点から、租税に関する情報交換などといった税務当局間の国際協力を推進するための規定の整備も進めている。具体的には、ニュージーランドとの間の条約改正の署名が12月に、米国との間の改正議定書の署名が、2013年1月にそれぞれ行われた。また、米国との間の条約改正(6月)及びアラブ首長国連邦との間の条約(10月)について基本合意に達した。 なお、租税に関する情報交換ネットワークの整備や拡充を目的とした協定については、リヒテンシュタインとの間の協定が12月に発効した。この結果、日本は2012年末時点で54の租税条約(65か国・地域に適用)を締結したことになる。このほか、2012年末時点でドイツとの間で改正協定の締結に向けた交渉を行っている。 ウ 社会保障協定 社会保障協定は、社会保険料の二重負担や掛け捨てなどの問題を解消することを目的としており、海外に進出する日本企業や国民の負担を軽減し、ひいては相手国との人的交流や経済交流を一層促進する効果が期待されている。 3月には、ブラジル及びスイスとの協定が発効し、11月にはインドとの協定に署名した。この結果、日本は、16の国と社会保障協定を締結又は署名したこととなる。また、2012年中には、ハンガリー、中国、オーストリア、フィンランド、フィリピン及びトルコとの間で、それぞれ政府間交渉又は交渉開始に向けた意見交換を行った。 (3)知的財産権保護の強化 知的財産保護の強化は、技術革新の促進、ひいては経済の発展にとって極めて重要であり、日本はそのために様々な取組を行っている。日本の提唱に端を発する新しい国際的な法的枠組みであるACTA(27)については、10月に日本が受諾書を寄託し、同協定の最初の締約国となった(28)。今後は、協定の早期発効を目指すとともに、アジア諸国を中心に協定への参加を働きかけることとしている。そのほか、G8サミット、APEC、OECD、WTO(TRIPS理事会(29))、世界知的所有権機関(WIPO)などでの多国間の議論に積極的に参画している。また、EPA(30)についても、可能な限り知的財産権に関する規定を設けることとしている。 9 保護主義抑止に関し、2011年11月に開催されたG20カンヌ・サミットにおいて、新たな輸出制限を課さないことなどの現状維持(スタンドスティル)や現在とられている保護主義的措置の撤回(ロールバック)のコミットメント(政治的約束)が再確認されたほか、同月に開催されたAPEC首脳会議においては、スタンドスティルのコミットメントを2015年末まで再延長することが合意された。2011年12月末のWTO閣僚会議では、WTO整合的な措置を含むあらゆる形態の保護主義を抑止することが合意された。G20及びAPECにおけるコミットメントは、2012年6月に行われたG20ロスカボス・サミット、同年9月に行われたウラジオストクAPEC首脳会議において、それぞれ再確認された。 10 ある国の国内市場への物・サービスの市場参入の機会や条件のこと。 11 各加盟国が相互に自由化要望(リクエスト)を提出し、これを踏まえて自国の自由化提案(オファー)を行う方式。 12 ダンピング(不当廉売)とは、国内価格よりも安い価格で国外で販売すること。WTOでは「不公正貿易」と位置付けられており、輸入国の国内産業が損害を被っている場合は、当該製品の価格を国内価格まで引き上げるためのダンピング防止税としての関税を課すことができる。 13 環境負荷の低減に寄与する物品。 14 ある商品に関し、その品質や社会的評価などの特性がその商品の地理的な原産地に主として帰せられる場合に、その商品が一定の地域を原産地とするものであることを特定する表示。 15 「情報技術製品の貿易に関する閣僚宣言」。情報技術製品(半導体、コンピューター、携帯電話、プリンター、FAX、デジタルカメラ(静止画用)など)の関税を撤廃する複数国間貿易協定(プルリ協定)。1996年作成、1997年発効。現在の締約国は日本、米国、EU(27か国等)、中国など75か国で、ロシア及びタジキスタンが加入手続中。 16 日本、米国、EU、台湾、韓国、コスタリカの6メンバーにより協議が開始され、2012年12月時点でこれに加えカナダ、オーストラリア、中国などを含む計17メンバー(EUを27か国と数えると43か国)が参加。 17 デジタルテレビカメラ、DVDレコーダー、新型集積回路など。 18 2012年9月のAPECウラジオストク首脳宣言や2012年11月の日ASEAN首脳会議議長声明にも、ITA拡大交渉の早期妥結に向けた取組が盛り込まれた。 19 他の加盟国によるWTO協定非整合的な措置によって不利益を被ったとする加盟国は、当事国間での協議を要請でき、協議を通じて通常60日以内に紛争が解決されない場合、問題をパネル(小委員会)に付託し、問題とされる措置と協定との整合性についてパネルで争うことができる。パネルによる法的判断に不服のある当事国は、最終審に相当する上級委員会に対して上訴を行い、同判断を争うことができる。1995年のWTO発足時から2012年末までの紛争案件数(協議要請が行われた件数)453件のうち、日本が当事国(申立国又は被申立国)として関わった案件は32件。なお上級委員会は7人の委員で構成されており、委員の任期は4年(再任可能)。日本は1995年のWTO発足以降3人の委員を輩出している。 20 Feed In Tariffプログラムの適用条件として、一定割合以上の同州産付加価値を与えられた発電設備を使用することを求めるもの。 21 輸出税、輸出割当及びその管理。 22 事前輸入宣誓供述制度、非自動輸入ライセンス及び輸出入均衡要求。 23 石炭火力発電所のボイラーなどに使用される高付加価値特殊鋼。2011年9月、中国商務部は、日本及びEU産の高性能ステンレス継目無鋼管に対するアンチ・ダンピング調査の開始を公告し、2012年11月、アンチ・ダンピング措置をとるとの最終決定を行った。 24 紛争解決に係る規則及び手続に関する了解(Understanding on Rules and Procedures Governing the Settlement of Disputes)。 25 これらの投資協定に加えて、日本が締結した13のEPAのうち、10のEPAに投資に関する規律を規定した章が設けられている。 26 ASEANとの間ではEPAが既に締結されているが、投資章及びサービス章は継続交渉中。 27 日本は、2005年のG8グレンイーグルズ・サミットにおいて、模倣品・海賊版の拡散防止に向けた法的枠組み策定の必要性を提唱して以来、先進国及び知的財産権の保護に高い志を有する開発途上国と共に、本構想の実現に向けて積極的に議論を行ってきた。2008年6月から関係国との間で条文案に基づく交渉を開始し、交渉には日本を始め、米国、EU、スイス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコ、韓国、モロッコ及びシンガポールが参加した(模倣品・海賊版対策の取組については、第4章第2節2(2)模倣品・海賊版対策参照)。 28 そのほか、2012年末時点では、オーストラリア、カナダ、EU及びEU加盟22か国、韓国、メキシコ、モロッコ、ニュージーランド、シンガポール、米国が同協定への署名を終えている。 29 TRIPS理事会とは、TRIPS協定の実施、特に加盟国による義務の遵守を監視し、同協定に関する事項の協議を行う場。 30 ASEAN、ブルネイ、チリ、インド、インドネシア、マレーシア、メキシコ、ペルー、フィリピン、シンガポール、スイス、ベトナム、タイとの間で知的財産権に関する規定を含む協定を締結し、既に効力が発生している。