2 中南米諸国との関係強化と協力 日本は、中南米諸国との経済関係の強化、安定的発展に対する支援及び国際社会における連携強化を重視した外交を行っている。2010年は、1月に、中南米18か国、アジア16か国の外相などが参加した第4回アジア中南米協力フォーラム(FEALAC)外相会合を東京で開催した。またその際に、第3回日・中米外相会合が開催された。さらに、9月は、カリブ共同体(カリコム)14か国の外相などが参加した第2回日・カリコム外相会議を東京で開催するなど、ほぼ全ての中南米諸国から外相又は外相級を招へいして精力的な外交活動を展開した。 また、1月に発生したハイチの大地震に対し、日本は総額約1億米ドルの支援を表明するとともに、自衛隊施設部隊を同国で活動するPKOに派遣するなど、積極的な復旧・復興のための協力に取り組んでいる。さらに11月に行われた大統領選挙においては、選挙監視団の派遣や選挙関連機材の供与といった支援も実施した。 (1)経済関係の強化 日本は、ブラジル、メキシコなど近年成長著しい新興国を多く含む中南米地域を、世界経済における生産・輸出拠点、資源の一大供給地及び有望な市場として重視し、経済関係の強化に重点的に取り組んでいる。 中南米では経済における政府の役割が大きく、近年、特に一部の国では資源を国家が管理する傾向が強まっていることから、日本としても官民一体となった取組がますます重要になっている。日本政府は、経済連携協定(EPA)・自由貿易協定(FTA)、投資協定、租税協定などの締結推進、官民合同の協議枠組みの創設などビジネス環境の整備に努めている。具体的には、ペルーとのEPA交渉が2010年11月に完了し、コロンビアとの投資協定交渉は12月に実質合意に至った。また、既に発効済みのメキシコ、チリとのEPAの効果的運用により、これらの国々との貿易・投資関係が強化されている。特に、メキシコとのEPAについては、2011年2月に再協議などが実質合意に達し、今後これまで以上に貿易・投資が活発になることが期待されている。資源・食料の安定的確保に向けた取組も進めている。リチウムを始めとする鉱物資源の豊富なボリビアとの間では、12月にモラレス・ボリビア大統領が訪日した際に、リチウム開発に関する内容を含む共同声明に署名した。 さらに、地上デジタルテレビ放送の方式に関しては、域内主要国であるブラジルとの緊密な連携もあり、高度な技術力を生かした日本方式(ISDB-T)を、2010年は新たに、エクアドル、パラグアイ、コスタリカ、ボリビア及びウルグアイが採用を決定した。今後は方式を決定していない中米諸国への普及拡大が期待される。 (2)地域の安定的発展への貢献 日本は、中南米各国が民主主義を堅持しながら、貧困や社会格差是正といった課題への取組を通じ、安定的な発展を遂げることを重視しており、その努力を支援していく方針である。 このような観点から、特に教育や保健・医療などの社会開発、産業インフラ整備、各種研修や専門家派遣などの人材育成の分野などにおいて、ODAを通じた積極的な支援を行っている。また、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン及びチリとの間では、パートナーシップ・プログラム1を通じて、第三国に対する「三角協力」を行っている。中南米地域はハリケーンや地震といった自然災害に対して脆弱(ぜいじゃく)な地域であり、日本は、災害時の被災者救援のため、緊急援助物資や緊急無償資金協力の供与による迅速な支援に努めている。 特に、2010年1月13日に発生したハイチ大地震に際し、日本は国際緊急援助隊(医療チーム及び自衛隊部隊)をハイチに派遣し医療活動などを行い、延べ3,488名の診療を行った。また、総額約1億米ドルの支援を打ち出すとともに、国連平和維持活動(PKO)(国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH))に自衛隊施設部隊(約330名)を派遣している。また、2010年2月に起きたチリ大地震においても、国際協力機構(JICA)緊急調査団を派遣するなど、支援に努めた。 主要な動き(各国・地域別) (3)国際社会における協力 民主主義と市場経済が定着した中南米諸国は、基本的な価値の共有を基盤として、国際社会の諸課題に日本と具体的に協力して取り組んでいくことができるパートナーである。 2010年1月に東京で中南米18か国、アジア16か国が参加した第4回FEALAC外相会合が開催された。日本は、主催国としてアジアと中南米の「架け橋」としての役割を担い、特に環境分野において熱帯雨林の保全、環境ビジネスの促進など5分野を柱とする「FEALAC岡田グリーン・イニシアティブ」(FROGイニシアティブ)を提示した。会合の成果として、環境・持続可能な発展、経済・金融危機の克服及び社会的包摂など両地域が直面する共通課題について、経験共有と相互学習を通じた協力を進めることを謳(うた)った「東京宣言」が採択された。 (4)交流の強化 2010年には、メキシコ(2月及び11月)、エクアドル(9月)、グアテマラ(10月)、チリ(11月)、ペルー(11月)及びボリビア(12月)の大統領が訪日し、首脳会談を行った。また、FEALAC外相会合や日・カリコム外相会議とは別に、メキシコ、アルゼンチン、パラグアイ、チリ及びコスタリカから外相が訪日し、外相会談を行った。 一方、日本からは、3月に岡田外務大臣が、大地震が発生したハイチを訪問し、現地の状況を視察した。さらに、武正公一外務副大臣がベネズエラ、セントルシア、ジャマイカ、パナマ、エルサルバドル及びコスタリカを、吉良州司外務大臣政務官がブラジル、ボリビア、ペルー、チリ及びコロンビアを、山花郁夫外務大臣政務官がメキシコ、グアテマラ、トリニダード・トバゴ及びコロンビアをそれぞれ訪問し、ハイレベルでの活発な意見交換を行った。 モラレス・ボリビア大統領の就任式に出席する吉良外務大臣政務官(右から2番目)(1月22日、ボリビア) Column ハイチにおける復興支援の現場から 〜自衛隊のハイチPKOへの派遣を中心に〜 2010年1月に発生したハイチ大地震。2月初旬には、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に派遣された自衛隊施設部隊の姿が現地にありました。国連の要請からわずか2週間余り、新規に部隊を派遣した国の中では最も早い展開でした。 通常、国連平和維持活動(PKO)への部隊派遣に際しては、数箇月をかけて周到な準備が行われます。しかし、今回はそのような準備期間はなく、しかも現地の司令部も被災して機能が低下しているという異例の状況での派遣でした。1月末には先遣調査団が現地入りしましたが、国連側の責任者を見つけ出すだけでも一苦労、情報も二転三転するといった状況の下、宿営地の決定を始めとする調整が部隊到着の直前まで行われました。 また同じ頃、在ハイチ大使館では、応援出張者も加わり、現地情報の収集、政府開発援助(ODA)を含む緊急・復興支援のための調整などに当たっていました。宿舎は断水や停電が続くホテルの一室を3名ずつで共有し、食事は基本的にレトルト食品や缶詰といった非常食、たまにレストランに行けば下痢、嘔吐(おうと)、発熱に襲われるといった厳しい勤務環境でしたが、余りに甚大な被災状況を目の当たりにし、皆がひたすら自己の職務を遂行していました。秘書、運転手、ボディガードなど、大使館のハイチ人職員も、彼ら自身が被災者であり、交通・通信手段や、人によっては住む家さえ失いながらも、懸命に、かつ、誠実に、私たちの仕事をサポートしてくれました。 自衛隊施設部隊は、これまでに倒壊した公共施設の解体・瓦礫(がれき)の除去、国境道路の整備、孤児院施設の建設などの作業を次々と実施してきました。その迅速な展開や卓越した活動には、ハイチの人々や国連関係者から幾(いく)度となく感謝と賞賛の声が寄せられ、規律の高さは他国部隊の模範とも評価されています。日本のハイチ復興支援の中でも、約330名の要員が汗を流して行う活動は、正に顔の見える支援として重要な位置を占めています。 外務省総合外交政策局国際平和協力室 鴨川 央(ひさし) (自衛隊施設部隊派遣に当たって、先遣調査団に参加) ◆51 被災民キャンプの子供たちと露店を行き交う人々。逆境にも負けない姿が復興への希望(ハイチ・ポルトープランス 2月) 1 日本の協力を受けて、ある程度発展段階に達した国が、日本と共同で、より開発程度の低い近隣国や、言語、歴史、文化などが似通った国や地域に対して技術協力を実施する枠組み。