4 南アジア (1)インド ア インド情勢 2009年春の総選挙で発足したコングレス党を中心とする第2次シン政権は、「包摂的成長」を掲げ、農村や貧困層などの社会的弱者対策を積極的に進める基本方針の下で、概ね安定した政権運営を行っている。しかし、原子力被害賠償責任法の議会審議が難航するなど、議会では守勢に立たされる場面も度々見られた。 経済面では、インド政府による2010年度の成長率見込みが8.6%(最大9.25%)と、経済・金融危機以前の成長率に戻りつつある。一方、野菜や果物などの食料価格の高騰が課題となっている。 外交面では、引き続き主要国との関係強化に取り組んでいる。米国とは民生用原子力を始め、テロ対策、保健など幅広い分野で協力を強化しており、オバマ米国大統領は訪印時にインドの国連安保理常任理事国入りの支持を表明した。中国とは外交関係開設60周年に当たり、5月にパティル大統領が訪中した他、12月の温家宝中国国務院総理訪印時には、総額160億米ドルに上る商談が成立し、2015年までの目標貿易額を1,000億米ドルとすることで一致した。パキスタンとの間では、4月の首脳会談で関係改善に向けた話合いを行うことで一致したことを受け、7月にクリシュナ外相がパキスタンを訪問し、外相会談が行われた。2011年2月には、両国が全ての事項に関する対話を再開することで一致した。 日・インド首脳会談に臨む菅総理大臣(右)とシン・インド首相(10月25日、東京 写真提供:内閣広報室) イ 日印関係 日本にとってインドは、民主主義などの基本的価値を共有し、シーレーン(海上交通路)上の要衝に位置するという地政学的な重要性を持ち、また南アジア地域の安定にも重要な役割を担う戦略的なパートナーである。経済面では、多くの人口を抱え、成長著しい新興国として、日本企業にとっての潜在市場、生産拠点としての重要性も増している。日・インド両政府は「戦略的グローバル・パートナーシップ」を構築し、毎年交互に首脳が相手国を訪問し年次首脳会談を行っており、様々な分野で関係を強化している。安全保障分野では、7月に第1回次官級「2+2」対話が開催されるなど協力が強化されている。経済面では、10月のシン首相訪日の際に、包括的経済連携協定(CEPA)の交渉が完了(2011年2月に署名)した他、閣僚級経済対話の設置に合意した。また、貨物専用鉄道建設計画(DFC)やデリー・ムンバイ間産業大動脈構想(DMIC)などのインフラ整備協力を継続している。6月には、地球温暖化対策やインドとの二国間関係の強化など様々な観点を総合的に勘案し、インドとの原子力協定交渉を開始しており、早期妥結に向けて交渉を行っている。 (2)パキスタン パキスタンでは、ギラーニ首相が経済改革やテロ・治安対策などの課題に引き続き取り組んだが、ザルダリ大統領の資金洗浄疑惑に関する司法との対立や、夏の記録的な豪雨による洪水被害、閣僚人事や税制改革をめぐる連立与党内の対立など、2010年も引き続き困難な政権運営となった。 経済面では、経済成長率や貿易赤字に改善の兆しも見られたが、物価上昇、財政赤字の増加、電力不足など多くの課題が残っている。特に、改正一般売上税の導入や財政赤字の削減といった財政健全化への取組が停滞している。 パキスタンでは、7月後半から広範囲で記録的な豪雨が続き、国土全体の5分の1が冠水し、インダス川流域を中心に、1,800名以上の死者、2,100万人以上の被災者が生じた。これに対し、国連は総額約19.4億米ドルの緊急支援要請を発表し、8月の国連総会特別会合や、10月のパキスタン・フレンズ閣僚会合、11月のパキスタン開発フォーラムにおいて、早期復旧・復興に向けた国際社会の取組が議論され、各国から相次いで大規模な支援が表明された。日本も、総額約5.68億米ドルに上る緊急人道・復旧支援を実施するとともに、パキスタン中部の被災地に国際緊急援助隊として自衛隊ヘリコプター部隊や医療チームを派遣した。 治安情勢は、軍による連邦直轄部族地域でのパキスタン・タリバーン運動掃討作戦が一定の効果を収めたものの、2010年のテロ発生件数及び死者数は過去最悪を記録した2009年とほぼ同水準で推移した。アフガニスタンとの国境地域では自爆テロ事件が多発し、都市部でも軍による掃討作戦に起因すると思われる報復テロ事件、宗派・民族間抗争によるテロ事件が相次いだ。 日本は、パキスタンを国際社会のテロ撲滅のための取組における最重要国の1つと位置付け、現在困難に直面しつつも、民主政権下で取組が進められているテロ対策や経済改革を支援している。7月に、ハノイ(ベトナム)においてASEAN関連外相会合に出席中の岡田外務大臣が、クレーシ外相と会談した他、9月には、就任直後の前原外務大臣が国連総会の機会に、クレーシ外相と会談を行い、洪水被害に対する日本の支援、経済関係、軍縮・不拡散などについて意見交換を行った。11月には、菅総理大臣とザルダリ大統領との間で電話会談が行われ、同大統領から、引き続きテロ掃討作戦及び経済改革に取り組む旨の決意が示された。さらに、2011年2月には、ザルダリ大統領が訪日して、首脳会談が行われ、アフガニスタンを含む地域の安定化やテロ対策、両国の投資・貿易といった経済関係強化などについて意見交換を行った。ザルダリ大統領からは、貿易投資促進のための行動計画を策定する旨表明し、両首脳は二国間の経済関係強化のための方途を検討していくことで一致した。また、菅総理大臣は日本としてもパキスタンへの支援を継続していく用意があり、インフラ分野や水管理、エネルギーなどの分野における協力も重視していきたい旨述べた。 パキスタン開発フォーラムで演説する菊田外務大臣政務官(左)(11月15日、パキスタン・イスラマバード) (3)スリランカ、バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブ ア スリランカ スリランカでは、2010年1月26日に大統領選挙が実施され、ラージャパクサ大統領(得票率約58%)が対立候補となったフォンセーカ前国防参謀長(同約40%)を大差で破り、再選され、11月から2期目の任期(6年)を開始した。また、4月8日に実施された議会総選挙では、ラージャパクサ大統領率いる与党統一人民自由連合が全225議席中過半数を大きく上回る144議席を獲得し、政権基盤を固めた。 スリランカ政府は、内戦終結直後は29万人とも言われた国内避難民(IDP)の再定住を進めるとともに、IDPへの支援を継続している。また国民和解を進めるために、5月に「過去の教訓・和解委員会」を設置し、同委員会は8月から各地で公聴会を開き、政府関係者、有識者、軍人、各地の住民などから意見聴取を行っている。また、国連はスリランカ政府が内戦末期の人権問題について説明責任を果たす上で必要な基準などを明らかにし、潘基文(パンギムン)事務総長に報告するための専門家パネルを6月に設置した。スリランカ政府は当初このような国連の取組に反対する意向を表明し、国連との関係が悪化したが、9月の国連総会時のラージャパクサ大統領と潘事務総長との会談などを通じて国連との関係が改善した。 日本との関係では、7月にスリランカのピーリス外相及びラージャパクサ経済開発相が来日し、岡田外務大臣、直嶋正行経済産業大臣、前原国土交通大臣らと会談した。外相会談では岡田外務大臣から、スリランカ政府がIDP再定住、国民和解及び内戦末期の人権問題について前向きな対応を取るよう働きかけた。ピーリス外相はスリランカ政府のこれまでの対応を説明し、日本のNGOや報道関係者の北部地域へのアクセス改善などに便宜を図る旨を述べた。 イ バングラデシュ 人口約1億5,000万人を抱えるバングラデシュは、後発開発途上国ではあるものの、経済は堅調に成長し、安価で質の高い労働力が豊富な生産拠点として、また、インフラ整備などの潜在的な需要が大きい市場として注目を集めている。 2009年1月に発足したハシナ政権は、独立50周年に当たる2021年までに中所得国となることを目標とする「ビジョン2021」政策を掲げ、教育・保健の充実、食料供給安定、物価対策、エネルギー供給確保などで一定の成果を上げている。ただし、野党は1年半以上にわたり国会審議を拒否し続けており、厳しい与野党対立が継続している。 経済面では、近年5%以上の経済成長を持続し、縫製品を中心とした輸出も好調を維持しているが、安定した電力・天然ガスの供給が引き続き課題となっている。また、海外移住者及び出稼ぎ労働者からの海外送金が多く、2009年度経常収支は約31億米ドルの黒字となっている。 日本との関係では、7月に岡田外務大臣とモニ外相との間で外相会談が実施され、11月末には、ハシナ首相が公式実務訪問賓客として訪日し、天皇陛下に謁見した他、首脳会談、ビジネスセミナー出席、広島・大阪訪問を行った。首脳会談では経済分野における政府間協議の立ち上げの提案や、ニット製品の一般特恵関税の基準緩和、投資環境改善に向けた行動計画の策定など、幅広い分野での二国間の経済関係の強化が議論された。菅総理大臣からは、パドマ多目的橋建設計画に対する約4億米ドル相当の円借款の支援を表明した。 日・バングラデシュ首脳会談に臨む菅総理大臣(左)とハシナ・バングラデシュ首相(11月29日、東京 写真提供:内閣広報室) ウ ネパール ネパールでは、2006年11月の内戦終結後、制憲議会の下、新憲法の制定及びマオイスト34兵の国軍への統合・社会復帰問題を始めとする民主化・和平プロセスに取り組んでいる。しかし、2010年6月には、マオイストの妨害による予算審議の遅れが原因となって、共産党UMLのネパール首相が辞意を表明し、その後16回もの首相選挙にも関わらず次期首相は選出されず、政情は膠(こう)着状態が続いた。2011年1月には、国軍とマオイスト兵の武器と兵士を監視することを目的とする国連ネパール政治ミッション(UNMIN)のマンデートが終了し、2007年1月から日本が軍事監視要員として派遣した自衛隊員6名が帰国した。その後、2月になり、共産党UMLのカナル氏が首相に選出されたものの、組閣が遅れるなど膠着状態が続いている。 エ ブータン ブータンでは、先代国王の下で議会制民主主義を基本とする立憲君主制への移行が進められ、2007年12月(上院)及び2008年3月(下院)に初の民主的な選挙が実施され、ティンレイ首相を首班とする内閣が発足した。2008年7月に憲法が施行され、11月にはケサル現国王が戴冠し、現在ティンレイ政権の下で民主化の定着のための取組が行われている。2010年4月には、ティンレイ首相が来日し、鳩山総理大臣など日本政府要人との会談が行われた。 オ モルディブ モルディブでは、ナシード大統領率いる与党モルディブ民主党(MDP)が国会で過半数を有しておらず、政府提出の法案に野党の協力が得られないなど政治的停滞を理由に、6月には全閣僚が辞任するという事態へと発展した。ナシード大統領は辞任した閣僚全員を再任したものの、野党が多数を占める国会では半数以上の閣僚について再任の承認が行われず、与野党対立が継続している。 (4)南アジア地域協力連合(SAARC) 日本は2007年からSAARCにオブザーバーとして参加し、民主化・平和構築支援、域内連携促進支援、人的交流促進支援などを通じて南アジアの域内連携を支援している。また、日本は「日本・SAARC特別基金」を通じて、これまで3回のエネルギー・シンポジウムを開催しており、「21世紀東アジア青少年大交流計画」の一環として、2010年には、高校生や理工系大学院生、日本語学習者・教師など約190人の青少年を招へいした。また、4月にはブータンで開催されたSAARCの首脳会議に西村外務大臣政務官が出席し、開会式セッションで、気候変動・環境分野や南アジアの安定と発展に対する日本の支援に関するスピーチを行った他、ブータンやアフガニスタン、モルディブの首脳らと二国間会談をそれぞれ行った。 34 中国の毛沢東思想に影響を受けた者を指す。特にネパールでは、ネパール共産党毛沢東主義の通称となっている。