第2章 第5節 各論 1.ロシア (1)日露関係 イ 北方領土問題と平和条約交渉 日本は、日本固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結するとの基本方針の下で、日ソ共同宣言(注1)、東京宣言(注2)、イルクーツク声明(注3)等のこれまでの諸合意及び諸文書に基づき、精力的にロシア政府との間で交渉を行っている。 2008年11月の日露首脳会談において、メドヴェージェフ大統領が領土問題の解決には並々ならぬ考えが必要であると述べ、その後ロシア側事務方に対し、「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」で解決を模索するよう指示を出したことを受け、2009年には、5度の首脳級会談や外相会談が実施された。サハリンでの日露首脳会談(2月)やプーチン首相の来日(5月)等を通じ対話の機運は高まりつつあったが、いわゆる北特法の改正(注4)にロシア側が反発したことなどから、G8ラクイラ・サミットの際の首脳会談(7月)においては、日本側として満足のいく結果は得られなかった。 こうした状況の下、9月に鳩山政権が発足すると、ロシア側は日露関係の前進に強い意欲を示した。国連総会の際の首脳会談(9月)では、鳩山総理大臣とメドヴェージェフ大統領がアジア太平洋地域において新たな日露関係を切り拓く意思を確認するとともに、同大統領は、領土問題を含め日露関係に新たな道筋を付けるよう努力したいとの立場を表明した。これに対し日本側は、ロシアをアジア太平洋地域におけるパートナーと位置付けるとともに、政治と経済を車の両輪として進めていく方針を明確にした。APEC首脳会議の際の首脳会談(11月、於:シンガポール)では、メドヴェージェフ大統領から、鳩山政権との間で領土問題を是非前進させたいと心から思っている旨の発言がなされた。これらを踏まえ、12月にはロシアで日露外相会談が行われた。岡田外務大臣からは、「日露行動計画」(注5)に基づき日露関係が進む一方、領土の帰属の問題について目に見える進展がないことが問題であることを強調し、この問題についてのロシア側の積極的な対応を求めた。これに対し、ラヴロフ外相は、ロシアにとって日本との外交は優先事項である、ロシア側首脳には日露双方に受け入れ可能な解決策を模索する政治的意思があるなどと述べるに留まった。 また、政府は、北方領土問題の解決のための環境整備に資する事業にも積極的に取り組んでいる。北方四島への渡航等に関する枠組みとして、四島交流、自由訪問及び墓参(注6)を実施すると同時に、北方四島を含む日露両国の隣接地域における協力として、防災や生態系保全等の分野での協力を進めている。 アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議に出席し、メドヴェージェフ・ロシア大統領と会談する鳩山総理大臣(左) (11月15日、シンガポール 写真提供:内閣広報室) ロ 日露経済関係 日露経済関係は近年急速に拡大していたが、2009年には、世界経済・金融危機の影響などにより、貿易額は121億米ドルと2008年に比べ大きく減少した。一方で、4月には日本企業も参加した石油・天然ガスプロジェクトであるサハリンUで生産された液化天然ガスの日本への輸入が開始されるなど、極東・東シベリア地域を中心とする両国間の互恵的協力に進展が見られた。 近年、ロシアが極東・東シベリア地域の発展を通じたアジア太平洋地域への統合を目指していることを受け(注7)、日露政府間では、極東・東シベリア地域における互恵的な協力の促進に取り組んでいる。5月に訪日したプーチン首相が、極東・東シベリア地域において日本との協力を期待する各種プロジェクトに言及したことを受け、12月にロシアを訪問した岡田外務大臣は、「貿易経済に関する日露政府間委員会」(注8)の共同議長間会合を行い、同委員会の下に、新たに次官級の貿易投資分科会を立ち上げることで一致した。 エネルギー分野では、サハリン1・2プロジェクトに加え、東シベリアにおける石油・天然ガスの探鉱活動を日露共同で行っているほか、12月末から、「東シベリア−太平洋」パイプライン(及び一部鉄道)を利用してアジア太平洋地域への石油の出荷が始まった。また、5月には、日露原子力協定が署名された。 さらに、シベリア鉄道を利用した輸送・物流、環境・省エネ、情報通信等の分野でも協力が進んでいる。 日本は、1994年以降、ロシア国内6地域に日本センターを設置し、将来のロシア経済を担い、日露経済交流の分野で活躍する人材の発掘・育成のため、経営関連講座、訪日研修、日本語講座等を実施している。これまでに約46,000人が受講し、約3,700人が訪日研修に参加した。同センターは、日露貿易投資促進機構(注9)のロシア国内における支部としても活動し、両国企業間の連携促進等のビジネス支援活動を行っているほか、近年増加している日本の地方自治体によるロシアへのミッション派遣を支援するなど、地域間経済交流にも積極的に貢献している。 日ソ・日露貿易高の推移 外相会談後、共同記者会見に臨む岡田外務大臣(左)とラヴロフ・ロシア外相 (12月28日、ロシア・モスクワ) プーチン・ロシア首相訪日(5月)の際の成果文書一覧 ハ 様々な分野における日露間の協力 ロシアとの間では、国際場裏(じょうり)において、北朝鮮問題やイランの核問題などに関し協力を進めてきたが、12月の日露外相会談において、アフガニスタンについても、その平和と安定に向けた対話を日露間で開始することで一致した。 防衛交流の分野では、3月の陸自北部方面総監の訪露や、9月のロシア地上軍による陸自第2師団演習へのオブザーバー派遣が行われた。治安当局間の交流では、6月の海上保安庁巡視船のサハリン州訪問、11月のロシア国境警備局若手職員の招へいなど、活発な交流が行われた。 国民間交流の分野では、9月22〜24日の3日間、山梨県において開催された「第4回 日露学生フォーラム2009」を始めとして、両国の青年の交流が様々な分野で活発に行われた。そのほか、モスクワにおける日本の若者のファッション写真展や、日本におけるロシア文化フェスティバルの開催等、文化交流も活発に進められた。 (2)ロシア情勢 イ ロシア内政 メドヴェージェフ大統領は、プーチン路線を継承しつつ、経済の「近代化」を最重要視し、「賢明な」外交及び内政に取り組む姿勢を表明した。このほかの優先課題として、自由と法の尊重、汚職対策、司法改革、報道の自由、民主主義の発展、官僚制度の改善、国家に対する依存の強い国民性打破、国営企業の在り方の見直しなどを掲げた。なお、メドヴェージェフ大統領とプーチン首相との二頭体制は順調に機能していると見られる。 社会面では、国民生活向上を重視し、年金増額等の社会安定化政策を行ったほか、保健等の「優先的国家プロジェクト」に引き続き取り組んだ。政治面では、2008年に提案した選挙制度の改正等の政治改革を行ったほか、地方の政治改革を提案した。治安面では、特にロシア南部では、政府高官や治安機関を狙(ねら)ったテロが多発しており、治安の安定化の兆しは見えない。 ロ ロシア経済 世界経済・金融危機の影響で2008年に下落した通貨と株価は、年初に底を打った後急速に回復したが、自動車等の大手企業が生産・投資縮小を行ったため、GDP成長率は2009年第2四半期に過去15年で最大の落ち込みを記録した(-10.9%)。政府は、金融機関・企業支援、国民生活保護、雇用創出等の危機対策を実施したほか、長期的には経済の「近代化」を最重要視して、5つの方向性(医療、エネルギー効率、熱核融合、宇宙・通信、IT)を提唱している。その結果、第3四半期にはGDP成長率は下げ止まり、回復の兆しを見せている。 ハ ロシア外交 「近代化」への志向は外交面でも見られる。メドヴェージェフ大統領は、国連総会演説(9月)や年次教書演説(11月)において、「賢明な外交」を行っていくと語り、時代遅れとなった考え方を捨て、新たに実利主義的な外交を進めていく必要があると強調した。また、年次教書演説では、経済近代化のための外交を行っていく意図もうかがわせた。 ロシアは、エネルギー分野などでの実務協力を中心に、あらゆる地域との関係発展を図っている。特に独立国家共同体(CIS)諸国は外交上の優先地域で、要人の往来も頻繁に行われている。 米国とは、平等・対等及び相互信頼という原則の下、第一次戦略兵器削減条約(START I)に代わる新たな条約を締結するために交渉している。また、欧州に対しては、欧州全体を対象とする安全保障の新たな法的枠組みを構築すべきと主張して、欧州安全保障条約草案を公表した。 中国とは、10月にプーチン首相が北京を訪問するなど、両国指導者の相互訪問を通じて戦略的パートナーシップ関係を対外的にアピールしている。 また、ロシアは、世界経済・金融危機後のG20形成の動きを国際システムの多極化であるととらえており、6月にSCO首脳会合とBRICs首脳会合をエカテリンブルグで同時に開催した。 (注1)ソ連によるサンフランシスコ平和条約の署名拒否を受け、1955年6月から1956年10月にかけて、日ソ間で個別の平和条約を締結するために交渉を行ったが、色丹島、歯舞群島を除いて、領土問題につき意見が一致する見通しが立たなかった。そのため、平和条約に代えて1956年10月19日、日ソ両国は、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言(両国の議会で批准された条約)に署名した。同宣言第9項において、平和条約締結交渉を継続すること、平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島が日本に引き渡されることが合意されている。 (注2)1993年10月のエリツィン大統領訪日の際に、同大統領と細川護熙総理大臣との間で署名された宣言。第2項において、領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化するとともに、領土問題を、@歴史的・法的事実に立脚し、A両国の間で合意の上作成された諸文書及びB法と正義の原則を基礎として解決するとの明確な交渉指針を示した。 (注3)1956年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認し、その上で1993年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結し、日露関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。 (注4)2009年7月、「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」を改正し、前文において北方四島が日本固有の領土であることを明記した。 (注5)2003年1月にロシアを訪問した小泉総理大臣とプーチン大統領との間で採択され、「政治対話の深化」、「平和条約交渉」、「国際舞台における協力」、「貿易経済分野における協力」、「防衛・治安分野における関係の発展」、「文化・国民間交流の進展」の6つの柱からなる。 (注6)四島交流、自由訪問及び墓参は、日露両国いずれか一方の法的立場をも害するものとみなしてはならないとの共通の理解の下に設定された枠組み。1992年から、四島交流の枠組みの下で日本国民と北方四島の住民との間で相互訪問が実施されている。自由訪問は1999年に設定された、北方四島の元居住者等による最大限簡素化された北方四島訪問の枠組み。北方墓参は1964年から断続的に実施されており、対象者は元島民及びその家族。 (注7)2007年には、「2013年までの極東・ザバイカル経済社会発展連邦目的プログラム」が承認され、2012年APECのウラジオストク開催が決定した。2009年も、メドヴェージェフ大統領が2回、プーチン首相が4回極東地域を訪問し、世界経済・金融危機にもかかわらずウラジオストクAPEC関連予算は削減されないなど、極東・東シベリア地域重視の姿勢が示されている。こうした中、日本側は、2007年に「エネルギー」「運輸」「情報通信」「環境」等の8分野から成る「極東・東シベリアにおける日露間協力に関するイニシアティブ」を提案し、ロシア側の支持を得て、フォローアップを行ってきた。 (注8)1994年11月、サスコベッツ第一副首相と河野洋平外務大臣との間で署名された覚書に基づき、第1回会合を1996年3月に開催。現在は、日本側は外務大臣、ロシア側は産業貿易相が共同議長。2008年10月に第8回会合を開催。 (注9)日露貿易投資促進機構は、[1]情報提供、[2]コンサルティング、[3]紛争処理支援を通じて日露間の貿易投資活動を拡大・深化させることを目的として設置された。日本側組織は2004年6月から活動しており、ロシア側組織が2005年4月に設立されたことにより、全体としての活動が開始された。