【イラン】  内政面では、2004年2月に第7期国会選挙が実施され、改革派のこれまでの成果に対する国民の失望感が広がる中、現職の改革派系国会議員を含む大量の候補者の立候補が認められない形で保守派が大勝した。5月に新国会が発足したが、10月にはホラム運輸相が運輸行政を非難されて弾劾され解任に追い込まれたほか、行政府と国会との調整の任にあたっていたアブタヒ副大統領も責任をとって辞任した。イランの核問題をめぐっても、国会は原子力の平和的利用の権利を放棄するものであるとして、対外交渉の責任者のローハニ国家安全保障最高評議会書記やハラズィ外相を強く非難している。なお、2005年6月予定の大統領選挙では、憲法の規定上、連続による三選は禁止されていることから、既に二期目にある現職ハタミ大統領は立候補できず、大統領選挙を巡る動向が注目される。  外交面では、前年に引き続きイランの核開発疑惑が国際社会の注目を集めた。2004年6月のIAEA理事会決議に反発したイランは、累次のIAEA理事会決議の要請に反してウラン濃縮関連活動を再開した。これを受けて、9月のIAEA理事会では、イランがウラン濃縮関連・再処理活動を再開していることなどを大変残念であるとした上で、次回11月理事会で更なる措置が適切かどうか決定する旨の決議が採択されたため、イランの核問題が国連安保理に報告される可能性が出てきた。こうした状況を受け、英国、フランス、ドイツがイランと協議を行った結果、イランがウラン濃縮関連等の活動を停止することなどで合意したことから、11月のIAEA理事会では、国連安保理への報告の決定は見送られた。12月に入り、上記の合意に従って、イランと英仏独は、政治・安全保障、技術・協力、原子力に関する長期的取決めについての交渉を開始したが、同交渉は容易ではないと見られており、今後の交渉の行方が注目されている。  イラク情勢については、イランは、イラクの安定によって最も裨益する立場として、10月に開催されたイラク復興信託基金東京会合で1,000万ドルの支援を表明するとともに、11月には、シャルム・エル・シェイクで開催されたG8及び近隣諸国等による閣僚会合に参加したり、イラク近隣国内相会議を開催するなど積極的な姿勢を示した。 <日本とイランの関係>  日本は、中東地域の大国であるイランが国内改革や国際社会との関係の拡大を推進し、中東地域や国際社会の平和と安定のために一層積極的な役割を果たすよう、活発な政治対話を通してイランに働きかけを行ってきている。1月の川口外務大臣(当時)のイラン訪問を皮切りに5月には高村正彦元外務大臣が総理大臣特使として、8月には橋本龍太郎元総理大臣がイランを訪問したほか、11月にはシャルム・エル・シェイクで町村外務大臣がハラズィ外相と会談した。これらの会談を通じて、日本は、特にイランの核問題について、イランが累次のIAEA理事会決議のすべての要求事項を誠実に履行するよう働きかけてきている。  経済面では、2000年11月のハタミ大統領訪日以来契約の合意を目指して交渉が行われてきたアザデガン油田の開発について、2004年2月、日本企業とイラン関連企業との間で契約が署名された。また、2003年12月に発生したバム地震に対して、日本は、国際緊急援助隊医療チームの派遣に加え、無償資金協力及びNGOによる協力など総額約2016万ドルの支援を行っており、2005年1月にも、「アルゲ・バム遺跡」の修復保存機材購入のために約1億円の文化遺産無償協力を決定した。 ▲ハタミ・イラン大統領と会談する川口外務大臣(1月)