【中東和平】 <イスラエル・パレスチナ間の紛争の現状>  2003年4月に公表された「ロードマップ」(注9)の履行は、その後、パレスチナ過激派によるテロ事件の発生とイスラエル軍による軍事行動が継続し、停滞状態が続いた。イスラエルは、パレスチナ自治政府のテロ取り締まりが十分でないことを理由に、2004年3月に過激派ハマスの指導者ヤシン師を、4月には同ハマスのランティーシ氏を殺害した。このイスラエルの殺害行動は、中東地域諸国のみならず、国際社会から強い非難を招いた。その後、5月には、イスラエル軍がラファハ地区(ガザ地区南部)で武器密輸の地下トンネルを摘発し、同地区の住宅を破壊する(注10)作戦を実行した。  また、6月にイスラエルは、2005年末までにガザ地区及び西岸の一部から一方的に入植地及び軍事施設を撤去し、イスラエル軍が撤退する計画を閣議決定した。国際社会は、この撤退がパレスチナ側との調整の下に「ロードマップ」と整合的な形で実施されることが重要と考え、そうした形で実施されることを前提に歓迎している。イスラエルが1967年の第三次中東戦争以前の停戦ラインよりも西岸内に入り込んだ場所に建設中の「バリア」(注11)については、6月にイスラエル最高裁が建設ルートの変更を命じる判決を下した。更に、7月、国際司法裁判所は、「バリア」の建設が国際法に違反するとの勧告的意見を発出した。また、7月、国連特別緊急総会において、「バリア」の問題を含め当事者の交渉によりパレスチナ問題を解決することを促す決議が採択された。イスラエル政府内では最高裁判決を受けて、「バリア」の建設ルートの変更に関する検討がなされた結果、2005年2月にルートの変更について閣議決定がなされた。  9月には、ガザ地区北部からイスラエル領内に向けた手製ロケット弾による攻撃でイスラエル人幼児2名が死亡した。これに対し、イスラエル軍は、ガザ地区北部で大規模なパレスチナ武装勢力の掃討作戦を行った。  このように、イスラエル・パレスチナ間の暴力の連鎖が続き、「ロードマップ」の履行が長らく停滞状態に陥っていた中、11月、1969年以降パレスチナ解放機構(PLO)議長を務め、1996年以降パレスチナ自治政府長官の地位にあったアラファト議長が逝去した。パレスチナ自治政府は、基本法に基づきアラファト議長の死去後60日目にあたる2005年1月9日に、パレスチナ自治政府長官選挙を実施した。この選挙は概ね自由かつ公正に実施され、アッバースPLO議長が62.5%の得票率で当選を果たし、15日に正式に自治政府長官に就任した。同長官は、治安を最重要課題と位置づけ、ガザ地区にパレスチナ治安部隊を配置し、パレスチナ過激派に対し暴力の停止を働きかけるなど、治安維持のための積極的取組を行っている。一方、2005年1月、イスラエルのシャロン首相は、ガザ地区等からの撤退計画の推進のため、労働党を組み入れた新たな連立内閣を組織し、議会で多数派を確保した。同年2月8日には、エジプトのシャルム・エル・シェイクにおいて、エジプト大統領及びヨルダン国王参加の下、4年4か月ぶりにイスラエル首相とパレスチナ自治政府長官間の直接対話が実現した。この首脳会談では、イスラエル・パレスチナ双方による暴力の停止が表明され、「ロードマップ」が改めて履行される見通しとなった。国際社会は、和平プロセスを前進させる歴史的機会が存在しているとの認識の下、11月の米英首脳会談、同月のパウエル米国務長官、2005年1月の町村大臣及び同月のライス新国務長官のイスラエル及びパレスチナ自治区訪問等を通じて、アッバース長官の基盤を強化し、イスラエル・パレスチナ両当事者の和平努力を支援する働きかけを行っている。  シリア・トラックについては、交渉再開の条件をめぐって両者間で同意がみられず、再開は実現していない。レバノン・トラックについてもシェバア農地の帰属をめぐる対立が継続している。 ▲中東4首脳会談を前に握手するアッバース・パレスチナ自治政府長官(左)とシャロン・イスラエル首相(右)(2005年2月 提供:AFP=時事) <日本の取組>  中東和平問題の進展は、イラク情勢、湾岸情勢等の関連する諸問題に好影響を及ぼし、中東地域の平和と安定に寄与し、ひいては、国際社会の平和と安定を通じて日本の平和と繁栄に直接の影響を与える。また、中東和平問題は、イスラム教を含む三大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地でもあるエルサレムの問題ともかかわることから、アラブ諸国をはじめイスラム諸国にとって共通問題でもあり、これら諸国の国民感情に大きな影響を及ぼす問題である。このため、日本としては、イスラエルやアラブ諸国のいずれにも偏らない関係を活用し、米国やEUといった中東和平問題において主要な役割を果たしている関係国・機関とも緊密に連携して、この問題の解決に向けて積極的な役割を果たしている。  日本は、イスラエル・パレスチナの二つの国家の平和的共存の実現こそが中東和平問題解決の唯一の途であるとの認識に基づき、1)政治的働きかけ、2)対パレスチナ支援、3)信頼醸成措置を3本柱として、政治、経済両面にわたり和平問題の解決に向けた取組を行ってきている。  政治面での役割としては、イスラエル・パレスチナ両当事者への働きかけや関係諸国との積極的な意見交換が挙げられる。2月には第3回日パレスチナ閣僚級政務協議をシャアス外務庁長官(当時)出席のもと東京で開催した。9月にはニューヨークで川口外務大臣(当時)がシャアス外務庁長官と会談を行った。有馬龍夫中東和平担当特使は、1月、8月、12月及び2005年3月に現地を訪問し、イスラエル・パレスチナ双方の関係者との対話を通じた働きかけを行うとともに、周辺国との対話を通じ、和平推進に向けた当事者及び周辺国との間の建設的協力関係の構築に貢献している。また、11月のアラファト議長の逝去を受けて、川口特派大使(総理大臣補佐官、前外務大臣)は、パレスチナ西岸地区のラマッラを訪問し、弔意を表した。2005年1月には、町村外務大臣がイスラエル及びパレスチナ自治区を訪問し、双方の首脳に対し、この機会を捉えて対話を早急に再開し「ロードマップ」に沿った取組を行うよう働きかけて、両者の対話の橋渡しを行った。これら一連の協議を通じて、日本は、当事者によるロードマップの着実な履行を通じ二国家構想を実現し、中東和平問題の公正、永続的かつ包括的な解決を実現することを働きかけている。  経済面では、1993年のオスロ合意以降、積極的なパレスチナ支援を実施している。具体的には、1)民生安定のための人道支援、2)将来の独立国家運営のための改革支援、3)当事者間の信頼醸成を柱とした支援を行っており、93年以降、こうしたパレスチナ支援の実績は、2005年3月段階で約7.6億ドルに上る。1月には、日本は、経済的困難が続くパレスチナ自治区住民に対し、国連による要請に応えて約907万ドルの緊急支援を実施した。さらに9月には、世界銀行のパレスチナ財政改革信託基金を通じて1,000万ドルの財政支援を実施したほか、12月には、パレスチナ新指導部支援のため、2004年度補正予算を通じた6,000万ドルの追加支援を決定した。また、2005年1月の長官選挙の成功裡の実施に向けて河井克行外務大臣政務官を団長とする政府選挙監視団を派遣したことに加えて、選挙実施のために100万ドルを超える支援を行った。和平プロセスの再開を受け、今後は中長期的なパレスチナ経済の自立のための経済開発支援にも取り組んでいく考えである。  また、信頼醸成については、7月にイスラエル・パレスチナ双方の関係者を日本に招待して箱根で「第2回信頼醸成会合」を開催し、中東和平の現下の問題等を率直に意見交換する機会を提供した。また、暴力の犠牲となった双方の遺児の交流や双方の学校教師の交流等、草の根レベルの信頼醸成のための活動を支援している。 ▲シャロン・イスラエル首相との会談に臨む町村外務大臣(2005年1月) ▲アッバース・パレスチナ自治政府長官との会談に臨む町村外務大臣(2005年1月)