【イラク(注4)】 <政治プロセスの進展状況>  2004年に入り、イラク統治評議会と連合暫定施政当局(CPA)(注4参照)は、国民議会選挙等の実施時期・方法等に関する検討作業を本格的に開始し、ブラヒミ国連事務総長特別顧問を団長とする国連調査団の報告書(2004年2月)等を踏まえつつ、イラクが民主制に移行するまでの政治プロセス等を規定する「移行期間のためのイラク国家施政法」(以下、「基本法」)の制定に着手した。  2004年3月8日、イラク統治評議会メンバーによって署名された基本法は、次の政治プロセスが規定している。  −2004年6月30日までにイラク暫定政府を発足させること。  −可能な限り12月31日までに、また遅くとも2005年1月31日までに、国民議会選挙を実施し、選挙後にイラク移行政府を発足すること。  −2005年8月15日までに、国民議会が恒久憲法の草案を起草すること。  −2005年10月15日までに、憲法草案についての国民投票を実施すること。  −2005年12月31日までに、新政府を発足させ、基本法を失効させること。  アナン国連事務総長の命を受けたブラヒミ国連事務総長特別顧問は、2004年5月6日にイラク入りし、イラク統治評議会や国内の主要各派の指導者の意見を幅広く聴取し、6月1日、ヤーウェル大統領他副大統領2名、アッラーウィー首相をはじめとする33名の暫定政府閣僚が発表された。  6月8日には、国連安保理決議1546が全会一致で採択され、同決議の中で、上記の政治プロセスに対する国際社会の一致した支持が示された。このほか、同決議においては、多国籍軍の任務・駐留期限を明確化し、加盟国に対してイラク復興支援への協力を要請するとともに、国連事務総長特別代表及び国連イラク支援ミッション(UNAMI)が政治プロセス支援において主導的役割を果たし、また人道復興支援等を行うことが明記された。6月28日、CPAからイラク暫定政府に対し統治権限が移譲され、これをもってCPAは消滅し、イラクの完全な主権が回復された。  7月12日、安保理決議1546においてイラクの政治プロセス及び復興について国連の役割が明記されたことを受けて、カジ駐米パキスタン大使(当時)が国連事務総長イラク特別代表に任命され、8月13日にバグダッド入りした。  8月15〜18日には、国民会議が開催され、暫定国民評議会委員100名が選出された。同会議には、カジ国連事務総長特別代表のほか、イラク18県の代表、政党・宗教指導者、NGO関係者等約1,300人が参加した。  国民議会議員等を選出する選挙については、イラク独立選挙管理委員会(IECI)が5月30日に選挙実施機関として発足し、国連選挙支援チームの支援を受けつつ、必要な準備を行ってきた。11月1日からは有権者登録、政治団体登録、候補者登録が各々行われ、12月15日に選挙運動が開始された。  国連をはじめとする国際社会は、この選挙の実施を含む政治プロセスの進展を注視し、支援してきた。11月23日にエジプトのシャルム・エル・シェイクで開催されたイラクに関するG8及び近隣国等による閣僚会合には、町村信孝外務大臣を含む27か国・機関の外相、事務総長等が参加し、政治プロセスの進展、復興支援、テロに対する断固とした取組などにつき国際社会が一致して協力することが全会一致で確認された。2005年1月30日、国民議会選挙はクルド自治区議会選挙及び県評議会選挙と同時に実施され、各選挙の最終結果は2005年2月17日、独立選挙管理委員会から発表された(注5)。日本は選挙の実施は、イラクの民主化に向けた重要な一歩であり、治安など様々な困難にもかかわらず、投票の実施にこぎつけたイラク暫定政府の努力及び投票所に足を運んだイラク国民に敬意を表する旨の見解を発表した。  日本は、イラクの復興と政治プロセスの進展は一体不可分との立場から、国民議会選挙を積極的に支援した。具体的には、4,000万ドルの選挙支援を拠出するとともに、12月24日から28日までIECI職員に対する選挙管理の研修を実施したほか、8か国(注6)において各国日本大使館員による在外選挙の国際監視を行った。 ▲発足したイラク暫定政府閣僚(前列左からアッラーウィー首相、ブラヒミ国連事務総長特別顧問、ヤーウェル大統領)(6月 提供:AFP=時事) <治安情勢>  暫定政府に統治権限が移譲された後も、イラクの治安情勢は、地域により脅威の度合いは異なるものの、予断を許さない状況が続いた。全般的には駐留多国籍軍・イラク治安組織と武装勢力の衝突、車両爆弾等によるテロ、民間人の殺害・拘束をはじめとする様々な事件が頻発した。これに対し、イラク暫定政府は、治安組織の強化、国家治安維持令の制定、非常事態宣言の発出等を行う一方、恩赦を決定するなどの硬軟両様の施策を実施してきた。  2004年3月末、ファッルージャで発生した米国民間人殺害事件を機に、駐留米軍は同市の掃討作戦を強化し、4月11日以降、停戦と散発的な戦闘が繰り返されるといった緊迫した情勢が継続した。また、駐留米軍は、アル・カーイダと関係があるとされるヨルダン人ザルカーウィーが潜伏しているとして6月19日以降、ファッルージャに対する空爆を断続的に実施した。  6月以降小康状態を保っていたシーア派の聖地ナジャフでは、8月に入り、サドル派民兵組織「マハディ軍」とイラク治安組織・駐留多国籍軍との間で戦闘が発生したが、8月26日、シーア派大アヤトッラー・シスターニの仲介で停戦合意が成立した。  10月に入り、イラク治安組織と駐留米軍はサーマッラーで掃討作戦を実施するなど、武装勢力に対する断固とした姿勢を強めた。11月7日、イラク暫定政府は、北部のクルド地域を除くイラク全土に対し非常事態を宣言した。また同8日、イラク治安部隊と駐留米軍はファッルージャの反政府武装勢力に対する掃討作戦を開始し、11月中旬頃までに同市の大半を制圧した。なお、ファッルージャの民間人の大半は掃討作戦前に同市から避難していたが、2004年12月23日から帰還が開始された。  自衛隊が駐留するサマーワの治安情勢は、自衛隊宿営地内でロケット弾等が発見されるといった事案(いずれも不発、死傷者なし)や駐留オランダ軍に対する襲撃事件等が発生するなど、予断は許さないものの、2005年1月末現在、イラクの他の地域と比較して安定した状況が継続している。  また、2004年を通じて、外国の民間人が被害者となる誘拐事件や襲撃事件が頻発した。被害者は企業従業員、NGO、ジャーナリストなど多岐にわたり、拘束・人質事件の被害者の中には、イラクに部隊を派遣していない国も含まれた。日本人の被害も発生しており、前年11月の外交官2名の殺害事件に続き、4月にはファッルージャ近郊で日本人3名が誘拐された後、さらに別の2名がファッルージャ近郊で誘拐され、いずれも解放されたが、5月には、バグダッド郊外で日本人ジャーナリスト2人が殺害された。さらに、10月にも日本人1名がバグダッドで人質となり、殺害される事件が発生した。 <日本の取組>  イラクの安定と復興は、国際社会全体の安定のために不可欠であるが、特に中東地域に原油供給の9割近くを依存する日本にとっては、国益に直結する問題として極めて重要である。米国をはじめとする各国及び国連等の国際機関がイラクの国家再建のために支援を行う中で、日本も、国際社会の責任ある一員として日本に相応しい支援を行う必要があるとの認識の下、人道復興支援のために自衛隊をイラクに派遣するとともに政府開発援助(ODA)を提供し、これらを「車の両輪」として最大限努力してきている。このほか、文化・教育面においてもイラクを支援してきている。 (ア)ODAによる支援  ODAによる支援は、経済・社会面での復興に向けたイラクの主体的な取組を支援するとともに、イラクの政治プロセスを後押しする役割も担っている。2003年10月にマドリッドで開催されたイラク復興支援国際会議で川口順子外務大臣(当時)が表明した最大50億ドルの支援のうち、総額15億ドルの無償資金による「当面の支援」(電力、教育、水・衛生、保健、雇用等のイラク国民の生活基盤の再建及び治安の改善を重点)が本格化し、2004年末時点で約14億ドルが実施・決定されている。  この約14億ドルの支援の内訳は、イラク暫定政府や地方行政機関等に対する直接支援が約7億6,900万ドル、国際機関経由の支援が約1億100万ドル、イラク復興関連基金を通じた支援が約5億ドル、NGO経由の支援が約2,200万ドルであり、日本は様々な形態でイラクを支援してきている。日本のイラク支援は当初、国際機関経由の支援が中心であったが、2003年10月に採択された安保理決議1511により、イラク統治評議会がイラクの国家主権を体現するイラク暫定行政機構の主要な機関であるとされたことを受けて、直接支援が再開された(118ページ図表「日本の対イラク支援の概観」参照)。  復興が着実に進展するためには、直接支援や国際機関経由による資金協力に加え、人材育成が極めて重要との考えから、日本は、エジプトやヨルダンといった周辺国や日本国内において医療、電力、統計、水資源、上下水道、TV放送技術、選挙支援等の分野の研修を実施してきており、2004年末時点で総計475名のイラク人が研修を受けている。  自衛隊が派遣されているイラク南部のムサンナー県でも、自衛隊が運河から取水して浄水した水を配給するための給水車をODAで供与したり、ODAにより供与された医療機材の使用方法を自衛隊医官が指導したり、自衛隊が砂利舗装した道路をODAによりアスファルト舗装するなど、ODAによる支援は自衛隊の活動とも有機的な連携が図られている。また、UNDPの雇用創出事業やUN-HABITATの学校再建事業、コミュニティ再建事業を支援することによって、ODAは雇用創出にも貢献している。なお、ムサンナー県では、在サマーワ外務省連絡事務所に所長以下5名が常駐し、現地関係機関等との調整を通じた経済協力案件の形成及び実施に関する業務のほか、通訳・情報提供などの自衛隊と現地社会の「潤滑油」としての役割、ムサンナー県知事、県・市評議会、オランダ軍その他からの政務情報の収集・分析、ムサンナー県関係者の訪日の準備等を行っている。  イラク復興支援にあたっては国際協調の強化が重要との考えに基づき、日本は上記マドリッド会議で設立が合意されたイラク復興信託基金に4.9億ドル(国連管理部分に3億6,000万ドル、世銀管理部分に1億3,000万ドル)を拠出した。日本はUNEPが実施する信託基金の事業に拠出し、メソポタミア湿原の環境管理等に協力しているほか、UN-HABITATを通じた教育施設の再建等も実施している。日本はイラク復興信託基金に対する最大の拠出国であり(2005年1月末現在、総資金の約半分を拠出)、イラク復興信託基金のドナー委員会の議長を務め、2月のアブダビ会合、5月のドーハ会合に続き、10月にはドナー委員会の第3回会合を東京で開催した(議長:城田安紀夫イラク復興支援等調整担当大使)。東京会合の初日に行われた拡大会合には、ドナー委員会メンバー国(注7)に加え、ドイツ、フランス、ロシア及びアラブ諸国等を含め53か国及び4機関が参加した(イラクからはサーレハ副首相を団長とする代表団が参加)。同会合では、イラク暫定政府が2005〜2007年の「国家開発戦略」(注8)を発表し、経済開発について、マドリッド会議での拠出表明を各ドナーが早急に実施する必要があることが確認された。政治プロセスについても、イラク暫定政府から、治安改善及び全国規模の選挙実施等を予定通り行うとの強い決意が示された。また、日本の4,000万ドルをはじめとして、ドナー側から選挙実施のための資金協力が表明された。  2004年11月にはパリクラブ(23ページ参照)において債権国間の意見が一致し、イラクとの間でイラクの公的債務の削減に関する合意(3段階にわたり公的債務を計80%削減)がなされ、イラク債務問題に一応の決着が見られた。 (イ)自衛隊による支援  2003年5月22日に全会一致で採択された安保理決議1483により、国際社会が団結してイラクの復興に取り組むことの重要性が確認されたことを受け、日本としても、イラクの復興のために主体的かつ積極的な貢献を行うことを目的とするイラク人道復興支援特別措置法を7月26日に制定し、12月9日には同法に基づく対応措置に関する基本計画が閣議決定された。これに基づき、12月26日から航空自衛隊の先遣隊がイラクに向け出発し、さらに2004年1月19日には陸上自衛隊の先遣隊が現地入りした。その後順次本隊が派遣され、サマーワを中心とした医療、給水、学校などの公共施設の復旧・整備といった人道復興支援活動が本格的に開始された。  6月8日、安保理において、イラクの完全な主権回復に対する歓迎やイラク暫定政府から国際社会への支援要請を内容とする安保理決議1546が全会一致で採択された。この新たな決議において、それまで自衛隊が行ってきたような人道復興支援活動が多国籍軍の任務に含まれることが明らかになったことなどを踏まえ、6月28日のイラクの主権の回復時をもって、自衛隊は多国籍軍の中で活動を行うこととなった。自衛隊は、多国籍軍の中で、統合された司令部の下にあって、同司令部との間で連絡・調整を行っているが、同司令部の指揮下にはなく、日本の主体的な判断の下に、日本の指揮に従い、イラク人道復興支援特別措置法及びその基本計画に基づいて人道復興支援活動等を行ってきている。  これまで自衛隊が行ってきた医療、給水、学校などの公共施設の復旧・整備といった人道復興支援を中心とする活動は、ODAによる支援との連携を「車の両輪」として保ちながら、現地の人々の生活基盤を回復、充実させるとともに、雇用も生み出してきた。  こうした自衛隊の活動は、現地の人々やイラク暫定政府から高い評価を受けており、累次にわたり謝意とともに活動の継続を求める強い要請が寄せられてきた。基本計画では、当初、自衛隊の派遣期間は2004年12月14日までとされていたが、政府は、イラク側からの累次の要請を受け、また、イラクをテロの温床とせず、平和で民主的な国として復興させることは、中東地域のみならず、国際社会全体の平和と安全の観点から重要であり、また日本の国益にもかなうとの判断から、12月9日、基本計画を変更し、自衛隊による活動を継続するために、派遣期間を2005年12月14日まで延長する閣議決定を行った。  2005年1月10日現在の活動状況としては、陸上自衛隊により、1日あたり100〜280トンの水を浄水し、ODAにて供与した給水車への給水を実施している。学校などの公共施設の復旧・整備については、自衛隊専門部隊の監督・指導の下、現地業者により、計27か所の学校・道路等の補修を完了し、現在24か所の補修を行っている。また、医療活動として、サマーワ総合病院等において、現地医師への助言・指導、ODAで供与した医療機材の操作についての指導等を行っている。さらに、航空自衛隊は、クウェート・イラク間でこれまで110回、計197.3トンの人道復興関連物資や人員等の輸送を行ってきている。 ▲イラクに派遣される陸上自衛隊第2次復興支援隊の隊員と握手を交わす小泉総理大臣(5月 提供:時事) (ウ)文化・教育面での協力  日本はイラクの文化・教育分野の復興を支援し、また日本について、親しみやすく礼節があるというソフトなイメージが普及することを目的として、イラクの文化面で様々な支援を行った。  例えば、外務省は草の根文化無償協力のスキームを用いて、様々なスポーツ関連支援を行った。イラク・ムサンナー県においては、サッカースタジアム(オリンピックスタジアム)の修復のほか、同県青年スポーツ局に対し、サッカーボール等のサッカー器材供与等を行った。 ▲来日したアテネ五輪の柔道イラク代表選手と山下泰裕氏(中央)(7月 提供:(財)全日本柔道連盟)  そのほかにも、イラク・サッカー協会に対するサッカー中古器材輸送費支援、イラク柔道連盟に対する柔道着や柔道畳の供与などを実施している。また、イラク復興支援の一環として、アテネ五輪に出場する柔道代表選手及びコーチ各1名を招聘したほか、アルジェリアで開催されたアラブ大会に向け、柔道代表選手2名、陸上代表選手3名他3名を招聘した。このうち、柔道選手1名はアラブ大会にて銅メダルを獲得している。  さらに、独立行政法人国際交流基金は、イラク現代演劇グループや、イラク音楽グループの招聘を行った。  国際連合教育科学文化機関(UNESCO)を通じた文化協力としては、イラク国立博物館(文化財の修復研究作業室)の再生支援を実施しているほか、イラク復興信託基金への拠出を通じて、UNESCOが実施する各種事業を支援している。 <日本とイラクとの関係>  2004年6月28日、イラク暫定政府に統治権限が移譲されたことを受け、日本は同政府を承認した。9月13日、鈴木敏郎特命全権大使を任命し、10月5日には、ジュマイリー駐日イラク特命全権大使が着任した。また、9月20日に小泉純一郎総理大臣とアッラーウィー首相との間で行われた日・イラク首脳会談(於、ニューヨーク)をはじめ、要人間の会談が活発に行われた。イラク側要人の訪日も多数に及び、3月にはウルーム3月期統治評議会議長他4名の閣僚、10月にはハッサーニ・ムサンナー県知事、及びサーレハ副首相(団長)他4名の閣僚を含む東京会議代表団がそれぞれ訪日し、小泉総理大臣、町村外務大臣をはじめとする日本政府関係者等と会談を行い、政治プロセスの着実な進展、経済社会分野の復興等の重要性について意見が一致するとともに、イラク側から日本の人道復興支援に対する謝意が表明された。 ▲ イラク統治評議会のウルーム議長との会談に臨む小泉総理大臣(3月 提供:時事)