国際機関で活躍する日本人職員 〜和気UNFPA事務局次長〜  私の国連職員としての生活は今年で35年目になりました。27歳のときユニセフに就職し、インドのニューデリーに赴任したのは1971年の1月でした。結婚したばかりで、その上ユニセフもインドも何も知らないで私の国際公務員としての生活がはじまりました。当時私はただ一人の日本人職員として、また将来の幹部候補生として上司から大変大事に扱ってもらったのを憶えています。すぐに北インド代表として一か月のうち10日間は州政府との交渉や村や保健所や学校を訪問し、援助プロジェクトの実施現場を見て回ったりしていました。  それから26年間ユニセフで勤務し、任地もバングラデシュ、ニューヨーク本部、バンコク東アジア地域事務所、パキスタン、ナイジェリア、東京事務所と変わり、緊急援助や物資の調達から長期社会開発計画に関連した仕事や資金の調達まで色々な経験をしました。  1997年にはアナン国連事務総長が新しい国連改革構想を打ち出したことを受けて、その実施のために国連開発グループ(UNDG)の事務局次長として出向することになりました。各国連機関が協力しチームワークで仕事をすることになり、新しいことばかりで私のアイデアも取り入れてもらうこともありました。  2000年の2月からは日本政府の推薦で国連人口基金(UNFPA)の事務局次長として働くことになりました。それから5年間が経ちますが国連最後の仕事を楽しんでいます。私が今重点的に押し進めているのは妊産婦の死亡率を下げることです。子どもの死亡率を下げることにはこの20年間かなり成果を上げてきましたが、最貧国で妊産婦の死亡率を下げることは失敗しています。男が最優先、そして子ども特に男の子、それから女の子、最後にお母さんという順番で妊産婦はいつも後回しというのが現状です。  妊産婦の死亡率を下げるのには、緊急産科ケア、妊娠中・出産時・産後の資格のある保健スタッフによるケアが重要です。それから家族計画を普及して望まれない出産を避ける事も大切です。出産の15%は危険が伴うと考えられていますので近くに医師と設備が整った病院があることも死亡率を下げるのに不可欠です。電話もなく交通機関も限られていて、手遅れで死んでいく母親がまだ沢山いるのは我々にも責任があると思っています。  それからHIV・エイズに感染する女性、特に若い女の子が多いので、HIVの感染予防に力を入れています。大変難しい仕事ですが手遅れにならないように世界中で特別の努力が必要です。  国連は自分の良心と信念を曲げないで自由に仕事の出来るよい職場だと思います。世界中から能力のある人が集まっていますし、競争はあっても地味に成果を上げている人もその貢献を認めてもらっていると思います。私はあと二年がんばって退官し、そのあとは後輩に任せ、次の世代の国際人の養成に力を入れたいと思っています。 執筆:国連人口基金事務局次長 和気 邦夫 ▲UNFPA本部で活躍する和気事務局次長