【2003年における交渉の概観】  2002年1月に開始された「ドーハ開発アジェンダ」交渉は、2005年1月1日の妥結を目指し、2003年9月のWTO第5回カンクン閣僚会議にて実質的にはドーハ開発アジェンダの結果の大枠が決定され、2005年までの残りの交渉に弾みをつけることが予定されていた(注4)。  9月10日〜14日に開催されたカンクン閣僚会議では、いずれの交渉分野も対立を抱え、困難な交渉が行われた。最大の課題である農業では、8月に米国とEUが具体的な数値目標を設定しない枠組み(注5)に合意したのに対して、主要開発途上国はG20(注6)と呼ばれるグループを結成し、米・EU合意は農業補助金の大幅削減・撤廃の面で不十分であると主張するなど、農業の輸出補助金等をめぐり開発途上国と先進国との対立が鮮明になった。また、シンガポール・イシュー(注7)でも4分野一括交渉化を目指す先進国を中心とするグループに対し、開発途上国はこれに反発した。会議はシンガポール・イシューをめぐる先進国と開発途上国の対立を引き金に、所期の合意に至ることなく終焉を迎えた。 (注4)WTO交渉を促進するために東京(2月)シャルム・エル・シェイク(6月)、モントリオール(7月)で非公式閣僚会合が開催された。東京会合では川口外務大臣が議長を務めた。 (注5)自由化の程度や方式を事細かに定めるモダリティではなく、例えば、「全体の[ ]%の品目は平均[ ]%、最低[ ]%削減する。」といったように具体的な数字を定めない枠組みのこと。 (注6)ブラジル、インド、中国を中心とする開発途上国グループ。構成国には何度か入れ替えがあったが前述の主要国には変動はない。 (注7)1996年シンガポール閣僚会議において今後議論していくことが決定した貿易円滑化、政府調達透明性、投資、競争の4分野。 WTOカンクン会議