【バルカン情勢】  バルカン情勢は、全体として引き続き安定化と民主化の方向に向かっている。西バルカン諸国の改革努力、及び旧ユーゴ紛争終結後に国際社会が行ってきたこれまでの支援が漸く効果を挙げつつある中、和解・改革の機運が高まり、かつての紛争当事者が一堂に会する機会も増えつつある。6月のテッサロニキで行われたEU・西バルカン・サミットにおいては、西バルカン諸国(アルバニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア)についても、将来のEU加盟に向けた展望が支持されたほか、9月には、セルビア・クロアチアの首脳会談で過去の残虐行為に対する謝罪が交わされ、さらに10月にはコソボ紛争後初めて紛争当事者による直接対話も開始された。  しかしこのように全体的には民主化・安定化の方向に進みつつあるとはいえ、これらのバルカン諸国では長年の紛争の傷跡が癒えたとは言えず、依然として民族間不和・組織犯罪・経済的困難等の共通の課題を抱えている。とりわけ、3月にはセルビア共和国のジンジッチ首相が暗殺され、12月のセルビア議会選挙では、改革推進政党が敗北し、民族主義政党が躍進する結果となった。また、二度のセルビア大統領選挙の投票率が選挙の成立に必要な50%を下回ったため不成立となり、セルビアでは大統領不在の状態が続いている。さらに、コソボの最終的地位問題も未解決であるなどの問題も抱えており、引き続き国際社会の支援が不可欠である。  日本はバルカン地域に対し、〔1〕バルカン紛争は欧州のみならず、国際社会全体に影響を与え得る問題であること、〔2〕バルカン紛争への取組は、国際社会の新たな規範・仕組みの形成過程への参画にもつながるものであること、〔3〕いずれ欧州の一員となるバルカン諸国との間で長期的視点から関係強化を図ることが将来の日欧関係という観点からも有益であること、などの理由から、選挙監視要員の派遣といった人的貢献や経済協力を通じて、地域の安定化・市場経済化のために積極的な支援を行ってきた。その一環として例えば、2003年10月に史上初めてマケドニアからトライコフスキー大統領が訪日した際には、同国の「ズレトビツァ水利用改善計画」に円借款を供与する交換公文を締結した。  また、ボスニア・ヘルツェゴビナについては、1998年の小渕外務大臣及び1999年の町村外務大臣政務次官に続くハイレベル訪問として2004年1月に松宮外務大臣政務官が訪問し、政府要人や国際機関代表との会談を行うとともに、日本が経済協力を行ったプロジェクトの現場を視察している。 ▼ボスニア・ヘルツェゴビナで地雷などによる負傷者のリハビリセンターを視察する松宮外務大臣政務官(2004年1月)