VII.国際機関等
(1)域内情勢
EUは依然新しい欧州の在り方を模索しており、93年の欧州連合条約(マーストリヒト条約)で欧州の統合につき大枠が定められたものの、94年においても明確な方向性を見出し得なかったと言えよう。
94年のEU経済は、世界的な景気回復基調の中、予想を上回るペースで成長した(94年春のGDP成長率見通し2.6%)。しかし、景気の回復が競争力の強化・雇用創出に直結しておらず、約11%と依然高い失業率は最大の懸案の一つとなっている。こうした観点から、94年においては93年12月に出された「成長・競争力・雇用に関する白書(ドロール白書)」のフォローアップの形で対策が検討されている。
経済・通貨統合(EMU)については、94年1月に欧州通貨機構(EMI)が発足して第2段階に入ったが、EMU第3段階(統一通貨ECUの発行と欧州中央銀行の発足)への移行に関しては、大多数の加盟国が条約上の条件をすべて満たしている状態にはなく、一層の経済収斂努力が要請されている。 85年以来3期10年間にわたり欧州建設を推進してきたドロール欧州委員会委員長の後任問題は、一時難航したものの、7月のブラッセル臨時欧州理事会にてサンテール・ルクセンブルグ首相を選出し、95年1月下旬よりサンテール新委員会が発足する運びとなった。
また、8月及び9月にはバラデュール仏首相、独ショイブレCDU/CSU党院内総務より相次いで「機構問題」(同時に機能問題でもある)に関する考察が提示され、多くの議論を呼んだのをはじめ、96年に予定されている欧州連合条約見直しのための政府間会合に向けて様々な問題提起がされ始めた。
(2)域外国等との関係
94年は域外国との関係強化の動きが特に顕著に見られた1年となった。93年より開始されたEFTA 4か国(オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノールウェー)のEU加盟交渉は、種々の問題をめぐり厳しい利害対立が見られたが、6月のコルフ欧州理事会において加盟協定の署名が行われた。しかしノールウェーについては11月、国民投票でEU加盟が否決され、95年1月よりの新規加盟国はオーストリア、スウェーデン、フィンランドの3か国となった。
中・東欧諸国との関係については、94年12月のエッセン欧州理事会において、EUと既に欧州協定を締結済みの中・東欧6か国(ポーランド、ハンガリー、チェッコ、スロヴァキア、ブルガリア、ルーマニア)の将来の加盟に向けての戦略文書が採択された。 旧ソ連諸国との関係においては、ロシア、ウクライナ、カザフスタン、キルギス、モルドヴァとの間で提携・協力協定が署名あるいは仮署名された。
(3)日本との関係
94年の日・EU関係は基本的に非常に良好に推移した。
日本側による対EU輸入促進協力、EU側官民の対日輸出・投資努力や円高の昂進などの要因により、93年に続いて日本の対EU貿易黒字は目立って縮小した(94年累計(速報値)では対前年比円ベースで23.4%減少、またドルベースで16.2%の減少)。現在日・EU間には定期的協議が20以上存在するが、94年もこれらの枠組みにおいて活発に具体的協力ないし情報交換が行われた。11月の日・EU閣僚会議は、日米包括経済協議の一部決着を契機に欧州側より呈示された日本国は「対米偏重」との懸念を払拭する上で有益であった。さらに、羽田総理大臣が5月に訪欧しドロール委員長との意見交換を行った。政治分野についても、9月の日・EUトロイカ(独、仏、ギリシャ)外相協議などを通じ、日・EU協力関係は着実に進展した。