VI.アフリカ
94年は、政治面では比較的落着いた年であった。与党ケニア・アフリカ人国民同盟(KANU)は、野党からの異動や3回の補欠選挙を通じ着実に議席を増加した。一方、野党の2党は、選挙で統一候補を立てられないなど、伸び悩んでいる。注目される動きは、連邦主義ないし地域主義導入を求める発言がKANU内からなされ、また、ワコ司法長官が次回総選挙(97年)前の憲法改正の可能性を示唆したことである。
経済面では、世銀、IMFの指導の下に継続してきた金融引締め等経済改革の成果が現われ、インフレが鎮静化するとともに、農業生産の回復、観光の好調、コーヒー価格の上昇等によりかなりの回復を見た(世銀の見通しによれば、94年のGDP成長率は3.3%程度)。ケニアの外貨準備は著しい改善をみせ、94年末で輸入4か月分の水準に回復した。一方、今後、公社・公団改革、公務員削減、財政支出コントロール等かなりの困難を伴う改革が求められている。
対外関係では、ケニアは援助諸国との良好な関係の確立・維持に努力している。経済状況の改善により、12月の対ケニア援助国会合では、総額で8億ドルの援助表明が行われた。
また、東アフリカ地域全体の政治的安定、経済的成長をその外交目的として重視している。特に「アフリカの角」問題に対する早魃開発政府間機構(IGADD)を通じての関与、ルワンダ難民に対する各国の人道援助に対する協力等を続けている。また、域内経済協力推進のため、11月にはウガンダで、ケニア、ウガンダ、タンザニアの大統領による東アフリカ協力(EAC)三国首脳会談が開催され、EAC事務局設立等が合意された。
日本との関係では、日本は86年以来ケニアとにって最大の援助国(90年のみ第3位)である。また、ルワンダ難民支援のための自衛隊派遣にあたっては、ナイロビに支援基地を置くなどケニア政府と密接に協力した。