VI.アフリカ

 94年4月全国民が参加する初めての民主的な選挙が行われ、340余年に及ぶ白人支配体制に終止符が打たれ、ネルソン・マンデラ氏を大統領とする新政権が誕生した。同政権は選挙の結果、62.7%の得票を獲得したアフリカ民族会議(ANC)と前政権党の国民党及びインカタ自由党(IFP)の連立による国民統一政権として発足した。また、同月、90年以来の交渉プロセスを通じて起草・採択された暫定憲法が発効し、全国民の平等な権利を保障する同憲法によって法的にもアパルトヘイトは完全に姿を消した。マンデラ政権は5年の任期の間に、国民和解の達成、正式憲法の制定(2年以内)、復興開発計画(RDP)を通じた国内格差是正等の新たな課題に取り組むこととなったが、RDP実施体制造りは遅々として進まず、黒人急進派の中には不満の声も聞かれるようになっている。
 94年の経済は、政治の混乱に左右されながらも順調に推移し、GDP成長率も2%を上回る見通しである(昨年1.1%)。消費者物価上昇率についても、4月には一時7%程度に落ち着いたが、その後徐々に上昇し、94年後半には10%前後での動きとなっている。また、外国資本の流入が拡大しており、外貨・金準備が増加し、この結果通貨(ランド)の為替相場も安定している。
 新政権成立と同時に国際社会に復帰した南アフリカは、アフリカ統一機構(OAU)、英連邦、国連等への加盟と、モザンビークやアンゴラ等のアフリカ平和プロセスへの貢献を外交政策の柱として掲げた。国連については全会一致で完全復帰が承認され、更には南アフリカは南部アフリカ開発共同体(SADC)、G77及び非同盟にも加盟した。
 また、新政権はルワンダの平和維持活動に関し、医療チーム、緊急物資等の提供を行った。また、アフリカ外交重視の立場をとる新政権は、レソト危機の仲介、アンゴラ和平協議におけるマンデラ大統領の関与、モザンビーク選挙への物的支援のように、協力を行う態度を示している。南アフリカは、世界でも有数の武器製造国であるが、「責任ある態度」で武器輸出を振興する方針を発表している。
 日本は6月の経済協力調査団の派遣を受けてODA3億ドル、輸銀ローン5億ドル、5億ドルの貿易保険・海外投資保険のクレジット・ラインの設定からなる総額13億ドル(今後2年間)の対南アフリカ経済支援策を発表したが、これは同国の安定と発展がアフリカ全体の発展のためにも重要であるとの認識から決定したものである。

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