VI.アフリカ

 93年6月の大統領選挙が無効とされた後の政治的混乱の収拾を唱えて同年11月成立したアバチャ軍事政権の下で、94年ナイジェリアの内政は混迷の度を加え民主化は後退した。大統領選挙一周年にあたる6月には、大統領選の事実上の当選者と見なされたアビオラの釈放と大統領就任を求めて政治ストライキが行われたが、多数の民主勢力要人の逮捕と主要3紙の発行禁止により弾圧された。6月に発足した制憲会議は3大部族間の対立を内包したまま民政移管の時期をめぐり対立し、憲法草案の採択も95年に持ち越された。経済政策面では、前政権の下で進められてきた構造調整政策を放棄し、外貨交換率と貸出し金利の固定化と民間部門の規制強化を行った。加えて石油ストもあり経済活動は混乱に陥り回復の兆しは見られない。国民生活は一段と窮乏の度を深め、犯罪も増加している。
 以上を受けて欧米先進諸国はナイジェリア政府要人への査証発給制限などナイジェリアとの関係について規制を強化し軍事援助も停止した。同国は安保理常任理事国入りの意図表明にもかかわらず次第に国際的な孤立化の様相を見せ始めている。
 3月、日本は対ナイジェリア措置を発表し、民政移管へ向けて明確な施策が認められるまで、新規の経済協力は人道的かつ緊急のものを除き原則として停止した。貿易投資活動も石油関連部門で一部進展はあったものの大幅な低下を余儀なくされ回復の兆しは全く見られない。加えて、6月に出された邦人渡航者向け観光旅行自粛勧告は10月解除されたが、注意喚起は継続されている。

目次へ