VI.アフリカ

 94年政府は1月のCFAフラン切下げによる物価上昇への対応に忙殺され、公共料金の値上げと公務員の給与アップを最小限度内に抑えて行政の正常化と学校の再開にこぎつけた。さらに、財政再建・保険医療の整備・教育の復興を3本柱とする基本政策大綱を策定し、4月にはIMF指導の下、1994年度予算を成立させたが、歳入の不足を外国の援助に依存せざるを得ず、5月、援助国会議を開催し、理解と協力を求めた。しかし構造調整計画推進の遅れからIMF融資の第2回分も明年に延期された。
 12月、パタセ大統領は、新憲法成案に大統領権限を強化する修正を加え、性急に国民投票実施を決めたが、これに反発して4党が与党連合を脱退する事態に発展した。そのため政府・与党連合は僅差で過半数を維持している。
 対外関係では、大統領が、3回にわたる中部アフリカ関税経済同盟会議出席、公式訪問及び仏・アフリカ首脳会議のための3度にわたる訪仏、台湾初訪問を行ったほか、チャド政府と同国南部の反政府ゲリラとの和平交渉をまとめた。日本は、中央アフリカの民主化を支援するため、93年の総選挙に引き続き11月の補欠選挙に資金援助を行ったほか、仏に続き独と並ぶ主要援助国の地位を維持した。

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