V.中近東

 バシール回教主義独裁政権は、94年央、南部出身者の第二副大統領任命、南部都市ジュバでの和平国民集会、首都ハルトゥームでの宗教間対話集会及び高等平和評議会設置等を通じ国家的統一・平和及び宗教的融和の増進を図ったが、実効は挙げ得ず、また、10月、「民主主義化推進」のための政治対話を反政府勢力に呼びかけたが、不首尾に終わった。
 南部内戦についてのIGADD和平会議が3回にわたり、ナイロビにて開催され、7月には双方が一方的停戦宣言を行ったが、停戦は長続きしなかった。
 スーダン人民解放軍側は国法としてのシャリーア(回教法)の廃止及び南部人の民族自決を要求しているのに対し、政府側はこれを拒絶しており、話合いによる和平達成のめどは立っていない。
 経済面では、94年のGNP成長率は8%強に達したといわれるが、パン、電力、ガソリン等に対する補助金の撤廃及び二重為替レートの一本化(平価切下)などにより物価の上昇、食糧不足等が甚だしく、一般国民の困窮は益々高まった。
 対外関係面では、94年においてもスーダンの「人権侵害」及び「国際テロ支援」問題をめぐりほとんど改善されず、米国、EC、エジプト、エリトリア(12月5日、エリトリアはスーダンとの外交関係を断絶)等との間ではむしろ悪化し、仏との関係のみが、スーダン当局による国際的テロリスト、カルロスの逮捕、引渡しにより多少改善された。
 対外経済面では、IMFに対する債務返済を開始したため、IMF理事会にかけられていたスーダンのIMF強制脱退案は9月撤回された。

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