IV.欧州
(1)内政
パヴラック政権は、下院での安定過半数に守られ、この1年を無事に
乗り切ったといえよう。パブラック政権にとり当初最大の課題であった94年度予算も、緊縮財政を主眼とする予算案を成立させ、6月には、97年までに平均4%の成長率を見込む「ポーランドのための戦略」と題する中期的な社会・経済政策の目標を打ち出した。一方、次期大統領選挙
(95年)を控えたワレサ大統領と国会及び政府との間でしばしば人事問題を中心として意見の対立が見られた。また、国会では95年に向け憲法制定作業が行われており、この作業が大統領選挙とともにポーランドの内政にとり最大の課題となっている。
経済面では、93年に引き続き94年もマクロ経済面では良好なパフォーマンスを維持しており、5%近い経済成長、鉱工業生産の顕著な増加、インフレ率の低下、貿易赤字の大幅な減少などが見込まれている。失業者数は依然多いものの、増加に頭打ちの傾向が見られる。IMFとも良好な関係を保っている。
市場経済化への移行も着実に進んでおり、民間部門は雇用の6割、GDPの5割、鉱工業生産の3割を占めるに至っている。対外債務問題に関しても4月にパリクラブにおいて公的債務削減の第2段階への移行が承認され、懸案のロンドンクラブ民間債務削減交渉も9月に約5割の削減で最終的に合意、更に対ロシア債務問題でも10月末に事務的に合意するなど、未確定の問題についてはほぼ方向性が固まった。
(2)対外関係
94年のポーランド外交は、体制変革以来の「欧州回帰」の基本的外交方針の下、周辺諸国との友好協力関係の促進及び欧州大西洋安全保障機構との統合推進に向け積極的な活動を展開した。懸案であったリトアニアとの二国間協定も10月に批准されたことにより、国境を接する周辺7か国すべてとの友好関係が確立され、欧州連合(EU)との連合協定の発効(2月)及び正式加盟申請の提出(4月)、経済協力開発機構(OECD)加盟申請(2月)、北大西洋条約機構(NATO)とのPFP参加、と着々 と国際機構への加盟実現に向け歩みつつある。また、ポーランドはアジア諸国との関係拡大を外交目標の一つとして掲げ、94年にはワレサ大統領が日本・韓国を、パブラック首相が中国をそれぞれ訪問した。
(3)日本との関係
94年は、日本・ポーランド関係史上初めての皇室による訪問として、高円宮同妃両殿下がポーランドを公式訪問し、12月にはワレサ大統領が国賓として日本を訪問するなど、日本とポーランドの関係にとって画期的な年となった。
一方、経済面では日本の不況等を反映して両国間の貿易は更に減少し、ピークであった91年の半分以下に落ち込んでいる。日本からの投資も流通・サービス関係が中心で依然として伸び悩みの傾向にある。