IV.欧州

 93年12月アンタル首相が死去、ボロシュ首相が引き継いだが、インフレ、失業問題等のため実際の生活が良くならない状況に対する国民の不満を背景に、中道右派の与党ハンガリー民主フォーラムは94年5月の総選挙で大敗し、7月、左派の社会党のホルン党首を首班とし、リベラル派の自由民主連盟との連立による政権が成立した。大幅な財政赤字・経常赤字を引き継いだホルン首相は財政支出の削減、賃金の抑制等国民に厳しい政策を余儀なくされている。これに対し、労働者の側からは、12月、賃上げを要求する国鉄のスト等の動きが見られたが、12月に行われた自治体選挙では社会党がおおむね優勢であった。これは、大部分の国民としては現政権の政策を支持していることを示したものと受け取られている。
 経済面では、93年に底を打ち回復に転じた工業生産が94年も堅調に推移するとともに、失業も減少を続け、国内総生産は90年の体制変換以来初めて増加することとなった。対外経済面では94年に入り輸出は増加に転じたものの、輸入も増加を続けたため、94年も93年同様大幅な経常赤字となる見込みであり、大規模な対外債務を有するハンガリーにとり、経常赤字の削減は財政赤字の削減と並んで緊急の政策課題となってい る。
 外交面ではホルン政権は前政権に引き続き、NATO及びEUへの加盟 努力を行っているほか、CSCEブダペスト再検討会議(10-12月)及び同首脳会議(12月)を主催した。一方、多くのハンガリー系少数民族が居住するルーマニア及びスロヴァキアとの間で懸案になっている基本条約締結問題については、前政権に比し冷静かつ現実的なアプローチを行っているが、まだ特に進展は見られていない。
 日本との関係では、高円宮同妃両殿下が日本の皇族として初めて当国を公式訪問(11月)されたことは、両国の要人往来及び関係促進の見地から特記すべき出来事であった。経済面では日本は対中・東欧支援の一環として当国に対し環境改善及び中小企業育成をはじめ、広範な分野で資金協力及び技術協力を行っている。

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