IV.欧州

(1)内政

 統一後4年目を迎えたドイツでは、旧東独地域の経済再建が進みつつ あるものの、東西ドイツ間の社会的心理的「溝」の克服という問題は依然大きな課題として残されている。一方、大きな国内問題となっていた庇護申請者(難民)の流入は、93年7月に新庇護権法が施行されたことにより3分の1から4分の1まで減少し、また反外国人暴力事件につい ても全体の件数に減少傾向が見られた。
 このような状況の中94年に入り、ドイツは、大統領選挙、連邦議会選挙、欧州議会選挙、8州の州議会選挙など20の選挙が行われる「スーパー選挙年」を迎えた。5月ごろまでは在任12年目に入ったコール首相の人気と威信に陰りが見え、野党第1党の社会民主党(SPD)による政権交代の可能性も指摘されていた。しかしその後、経済回復、失業者数の減少等の現政権に有利な数字が次々に発表され、これを追い風としてコール首相率いるキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の連立与党が徐々に勢いを盛り返し、10月の連邦議会選挙では10議席差ながらかろうじて過半数の議席を獲得、その後行われた首相指名選挙でもコール首相がわずか1票差ながら再選を果たした。5期目を迎えたコール政権は連邦議会での与野党差がわずかであるうえに、連邦参議院ではSPDが主導権を握っているため、今まで以上に困難な政局運営を強いられよう。しかも、連立パートナーのFDPは、94年中のすべての州議会選挙で議席を失い、連邦議会選挙においても大きく議席を減らすなど党勢が著しく落ち込んでおり、コール政権にとり大きな不安材料となっている。一方、旧東独社会主義統一党(共産党)の後継政党である民主社会主義党(PDS)は、連邦議会選挙において30議席を獲得したのみならず、旧東独地域における州議会選挙においても10-20%前後の支持を得て議席を伸ばした。
 経済面では、93年には実質GNPの成長がマイナス1.7%と戦後最大の 後退を記録したものの、94年には主に外需拡大によって景気回復傾向が現れ、同年1月に400万人を越えた失業者数も、同年11月には340万人あまりにまで減少した。政府は94年のGNP成長率を当初1-1.5%程度と 見ていたが、景気回復が予想以上に早く、2.0%の成長も可能と見通し を修正した。

(2)対外関係

 94年は駐ドイツ・ロシア軍(8月末)及び駐ベルリン旧連合国(米、 英、仏)軍(9月)の撤退が行われ、独における戦後時代が文字通り終 了したという意味で、90年の独統一と並び独の歴史を画す重要な年と なった。こうした中で外交面においてコール政権は、従来通り独仏協調 を基調とする欧州統合の推進、NATOを基軸とする良好な対米関係の 維持、旧ソ連、東欧への支援を通じる欧州安定の確保等を基本方針とし て外交を展開した。
 欧州統合との関係では、独は94年後半にEU議長国に就任し、マース トリヒト条約の着実な実施とEU拡大のため尽力した。独はオーストリ ア、フィンランド、スウェーデンのEU加盟に中心的役割を果たすとと もに、中・東欧諸国のEU加盟に向けての努力も継続した。すなわち、 10月にルクセンブルクで開催された外相理事会ではEUと東欧6か国の 外相間の初めての対話が実施され、12月にエッセン市で開催された欧州理事会においては中・東欧諸国のEU加入について基本的方針が示されるとともに、会議終了後別途参集していた中・東欧6か国首脳がコール首相から同会議の模様につき説明を受けるなど、中・東欧諸国とEUとの関係強化の案が示された。
 ドイツ連邦軍のNATO域外派遣問題については、過去に各党間で激 しい議論が行われたが結論を得ず、94年7月、野党SPD党が提訴した 違憲訴訟に対する連邦憲法裁判所の判決が下されることにより決着がつ けられた。同判決によれば、連邦軍が(あ)国連決議実施のためにNATO、 西欧同盟(WEU)が行う活動及び(い)国連により組織される平和部隊(強 制措置をとる場合も含む)に参加することは基本法上認められるが、派 遣に際しては、原則として事前に連邦議会の承認を必要とするとされて いる。この判決により、ドイツ連邦軍の域外派遣に当たっての基本法上の疑義はほぼなくなったと認識されている。
 国連安保理常任理事国入りの問題に関しては、ドイツ政府は常任理事国として特別な責任を果たしていく意思と用意があるが、常任理事国となる以上は拒否権も求めるとの立場を明らかにしている。なお、野党SPDもドイツの常任理事国入りを支持している。

(3)日本との関係

 94年においては、5月に羽田総理大臣(当時)が訪独したほか、10月 には天皇・皇后両陛下がフランス及びスペイン御訪問の途次フランクフルトに非公式にお立ち寄りになられた。また、6月にドレスデンで開催された「OBサミット」には福田元総理大臣が出席した。
 また、92年のコール首相訪日の際に日独首脳間で設置が合意された「日独対話フォーラム」においては、両国の有識者により日独間の相互理解を促進するための方策、世界的視野に立って今後両国関係にいかなる方向付けを与えるか等につき活発な議論が行われているが、94年2月には東京で第2回会合が開催され、第3回(最終)会合は95年3月中旬にベルリンで開催される予定である。
 「日独対話フォーラム」と同様に首脳間で設置が合意された「ハイテクと環境技術に関する日独協力評議会」は、その第1回会合が94年12月に東京で開催された。

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