IV.欧州

 内政面では、6月に欧州議会選挙、10月に統一地方選挙が実施されたが、全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が第1党、新民主主義党(ND) が第2党という構図に基本的変化は見られなかった。なお、今次統一地 方選挙で各県の知事公選が初めて実施されたことが特筆される。95年3 月の大統領選を控え、PASOK内で後継者、党運営をめぐり改革派と主 流派との間で対立が見られた。これについては、パパンドレウ首相の大統領選不出馬表明もあり事態はいったん収まるかに見えたが、改革派有力者は依然批判姿勢を崩していないなど、政界は流動化の可能性をはらんでいる。
 93年におけるギリシャの経済は、実質GDP成長率マイナス0.5%で あったが、94年については若干の改善が予想(プラス0.4%:欧州委見 通し)されている。景気低迷を主因とする輸入の減少によって93年の経 常収支赤字は前年比3分の1に縮小し、政府の借入れを中心とする資本 取引黒字による相殺の結果、総合収支は31億ドルの黒字、93年末の外貨準備高は87億ドルに及んだ。PASOK政権の経済政策は緊縮型である。 6月には経済収斂計画を改訂し欧州委に提出、9月に同委の承認を得た。また、94年5月、ギリシャ中央銀行は短期資本移動規制を緩和し、外貨管理制度を改善した。
 対外関係面では、94年前半にEU議長国を務めたことが最大の出来事 であったが、ギリシャは小国のハンディを負いながらも無事にこなした。スウェーデン等4か国のEU加盟交渉の妥結、ロシアとの提携・協力協定の締結に果たした役割が業績として挙げられる。ギリシャの隣国「マケドニア旧ユーゴースラヴィア共和国」の国家承認と国名をめぐる、いわゆる「マケドニア問題」は、引き続き未解決に止まったばかりでなく、PASOK政権は2月には同国に対する経済封鎖措置に踏み切り、国際的な孤立を招いた。国連主導下での交渉も継続されたが、解決の見通しは立っていない。対アルバニア関係は、4月に同国内で発生したテロを理由にギリシャ系アルバニア人5名が逮捕された事件をきっかけに悪化した。その後右5名の減刑の動き、ギリシャの対アルバニアEU長期経済援助の拒否権撤回など相互の歩み寄りの結果、若干改善の方向に向かっている。対トルコ関係は、11月の国連海洋法条約の発効に際し領海幅をめぐり緊張が高まったが、ギリシャの現実的な対応もあり取りあえず鎮静化した。

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