III.中南米

 94年は、大統領等の選挙の年であった。民主的に行われた11月の選挙は、与党国民党、第1野党コロラド党、左翼の進歩会議の票差が極めて接近した戦いとなったが、結局コロラド党のサンギネッテイ前大統領が返り咲き当選を果たした。国民党は辛くも2位の座を守ったが、進歩会議のバスケス候補の躍進が注目された。国会の議席もこれら3党間でほぼ3分された。93年1.5%の伸びと沈静化した経済成長は、94年予想約6%と回復した。一人当たりGNPは93年4,100ドル余に達している。財政赤字削減は選挙前の支出増からやや停滞した。国際収支は、貿易収支の引き続く赤字にかかわらず黒字を続けると見込まれる。社会面では、相変わらず各種ストは多かったものの、8月のバスク独立運動関係を除けば騒擾等は少なかった。
 対外関係では、伝統的に関係が深い中南米、米国、欧州に加え中国などアジア及びエジプト、イランなど中近東との要人交流があり、国連等国際場裡を含め多面的外交を展開した。ハイティへの軍事介入には、内政不干渉の立場から反対した。各地で犠牲者が出ているがPKOへの参加を続けている。南米共同市場(メルコスール)の発足を95年当初に控え、特にブラジル、アルゼンティンとの活発な経済外交が注目された。
 日本との関係は、伝統的に良好であり、技術協力中心の経済協力も拡大している。貿易、投資とも小規模である。最近、日本の自動車輸出急増から生まれた貿易インバランスが問題になっている。日系人を含み約450人移住者がおり、農業等に従事している。

目次へ