III.中南米

 フジモリ大統領は、主として治安、経済情勢の改善を背景として、60%という、政権最終年を迎えた大統領としてはペルー史上稀にみる高い支持率を維持してきた。94年は年間を通じて95年4月の大統領・国会議員選挙の法制面を含めた準備が進められるとともに、同選挙をめぐる政治的動きが次第に活発化した。10月には大統領候補者の届出が締め切られ、15名が正式に登録された。選挙戦が本格化するのは95年1月の国会議員名簿提出締切後だが、各候補は地方遊説など既に選挙運動を開始している。12月現在までで、有力候補者は再選を目指すフジモリ大統領のほか、 ペレス・デクエヤル前国連事務総長、トレド経営問題大学院学長、ベルモン・リマ市長などであるが、現大統領の優勢が続いている。
 上記有力候補者はいずれも既存政党とは無縁の独自組織を背景に出馬しており、90年の大統領選挙以来、ペルーの政界地図は完全に塗り替えられた。
 経済面では、フジモリ政権がこれまで進めてきたIMFとの協調に基 づく4年間の経済再建政策が結実し、インフレ率は93年の39.5%から94 年は15.4%と一層低下し、経済成長についても93年の6.5%に続き94年 は12.7%と、2年連続の高成長を記録した。国営企業の民営化を始め外 国からの投資も順調に増加している。しかし、失業率は依然として高く、国民の多くは依然貧困状態にある。政府は貧困対策を最重要課題として、国際金融機関及び日本をはじめ外国政府の資金援助も得つつ、教育、衛生などの基礎的ニーズの充足、道路、電力などのインフラ整備、更には外資導入、中小企業振興等を通ずる雇用創出に力を入れている。
 日本との関係では、93年1月から96年3月までの債務繰延べに関し、 日本との二国間交渉が94年11月に妥結した。観光自粛勧告が、94年1月に注意喚起に緩和され、邦人のペルー訪問が増加している。9月にはリマで第2回日本ペルー経済協議会が開催され、両国からの多数の有力企業関係者が参加した。

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