I.アジア及び大洋州
(1)内政
94年は、「キーティング政権の基盤強化」と「野党の混迷」の年と位置付けられよう。1月の連邦先住権法施行、3月の連邦労使関係改革法施行に加え、6月には政府予算案が順調に成立、更に9月には3年振りの労働党全国党大会が成功裡に開催されるなど、キーティング政権にとり94年は順調な政局運営であった。
このようなキーティング政権の政局運営を支えたのは94年を通じてインフレなき高成長を示した豪経済であった。経済政策運営は、93年までの短期的な総需要拡大から中長期的な経済発展、国民生活の向上を目指すものへとシフトした。5月に発表した雇用と成長に関する白書においては、豪産業の競争力強化と地域の均衡ある発展を図るとともに構造的な失業問題の解決を目指すとした。また、同じく5月に発表した予算においては、国内貯蓄不足、海外資本依存の豪経済の体質改善を図るために、93年に発表した削減目標を上回る財政赤字削減計画を盛り込んだ。当面の課題は、94年後半からの景気の過熱に対し財政金融政策の引締めにより、短期的に総需要を抑制し、経済をいかに息の長い持続的成長に誘導することができるかである。
一方、野党連合は93年3月の選挙以来の低迷を打開すべく、94年5月にはダウナー影の蔵相が野党党首の座についた。当初は高い支持率を獲得したものの、7月以降失点を重ね年末の各種世論調査ではキーティング首相に記録的な差をつけられ、早くも党首交替の可能性が取り沙汰され野党はますます党内求心力を欠く状態となっている。
(2)対外関係
94年の豪の対外関係の重点はアジア太平洋地域における協力関係の強化、特にAPECの推進に置かれた。キーティング首相は、豪の将来の発展はアジア太平洋地域にかかっているとの信念の下、精力的に活動しており、ボゴールにおいて期限付域内貿易・投資自由化宣言が採択されたことは豪外交の成果でもあると評されている。
また、政治・安全保障面では、ASEAN地域フォーラム(ARF)第1回会合のフォローアップを積極的に推進した。国連の予防外交面、軍縮、安保理改革の議論等の機能強化の面でも引き続き積極的に貢献した。
さらに、二国間関係でもキーティシグ首相が4月にタイ、ラオス、越、6月にインドネシア、9月に日本を訪問する等アジア太平洋地域に対する積極的な外交を展開した。
(3)日本との関係
94年の日豪関係は、アジア太平洋における協力を中心に引き続き強化された。9月のキーティング首相訪日等はこのような両国の緊密な関係を表すものであった。