I.アジア及び大洋州
(1)内政
94年は、経済発展、近代化を目指し、国家機構の整備・強化をはじめとするドイモイ(刷新)政策、対外開放政策を引き続き展開した。国内の大きな政治的変動はなく、安定が続いているが、経済の開放・自由化とともに汚職などマイナス面も目立っており、1月の党中央委員総会でエネルギー相が「重大な過失を犯した」として解任された旨発表されるなど厳しい措置がとられた。また、1月の共産党任期中間全国代表者会議で党書記長報告が「これまで経済社会の成果は党が多元・複数政党制を認めずに実際的な政策を実施してきたからである」として共産党一党支配の正当性を強調する一方で、政府・議会の権限拡大が進展、外国企業の進出とともに民間経済界が形成されるなど経済社会は大きく変革しつつある。
経済面では、87年以降のドイモイ政策の一環として、自由市場経済・開放経済への移行が一層推し進められた。1月の党任期中間全国代表者会議では、経済の「近代化と工業化」がスローガンとして掲げられた。94年の経済成長率は8.5%であった。農業生産は雨期にメコンデルタ等を襲った、洪水被害などの天候不順にもかかわらず、93年を上回っている模様である。貿易では、コメ、原油に加え、繊維分野等で生産加工の委託を受けた産品の輸出が順調に伸びており、貴重な外貨収入源となっている。2月には米国の対ヴィエトナム禁輸が全面的に解除され、4月にはハノイにおいて初めての米国企業見本市も開催された。台湾、香港企業を中心に、外国からの投資も増加しており、94年は前年比約70%増の認可総額(106億ドル程度)となった模様である。
(2)対外関係
93年に続き政府、議会、党、更に軍などが対外関係の拡大に力を注いでおり、3月、ドー・ムオイ党書記長がマレイシアを友好訪問したのをはじめ関係者による各国との要人の相互訪問が目まぐるしく行われた。中国との間では、11月、江沢民中国共産党総書記兼国家主席が中国最高指導者として初めてヴィエトナムを訪問し、両国首脳間の相互訪問・対話が始まったことは大きな成果であったが、両国国境・領土問題は事務レベルの交渉が実質的進捗を生んでおらず、長期にわたる交渉が見込まれる。米国との間では、本年1月に連絡事務所が相互に開設されたが、外交関係樹立には更に時間を必要とするであろう。なお、ASEANへの加盟申請が正式になされ、95年に加盟が認められる見通しとなった。対ヴィエトナム支援については、11月にはパリにおいて、第2回目の支援国会合が開催され、総額約20億ドルに上る対ヴィエトナム援助が示され、各国政府・国際機関の支援体制も確立されつつあるが、国内の援助受入体制の不備も指摘されている。
(3)日本との関係
92年11月の本格的援助再開、93年3月のキエット首相初訪日を経て、新時代に入った日本との関係は、94年8月に村山総理大臣が日本の総理大臣として初めての統一ヴィエトナム訪問を果し、政治、経済、文化等あらゆる分野において今後幅広い協力関係を構築していくことが確認された。そのフォローアップの一環として、10月には経済協力総合調査団が派遣され、中長期的な対ヴィエトナム経済協力重点分野が合意された。また、12月には、次官級の政治協議が開催され、政策対話の面でも関係が強化された。11月の対ヴィエトナム支援国会合においては、日本は総額6.5億ドルに上る支援を表明し、93年に続き二国間では最大の援助国となっている。また、日本はヴィエトナムの最大の貿易相手国であり、日本企業の直接投資も、大型案件の成約を見るなど、加速化されてきている。