I.アジア及び大洋州
93年1月より憲法案起草の為に開催されていた国民会議は、94年4月国家、国家の構成及び国家元首に関する基本事項を決定した後、9月には立法、行政への軍人の関与の在り方や少数民族の自治地域の設定等を骨子とする政府案の提示があり、議論が行われている。89年7月以降自宅軟禁されているアウン・サン・スー・チー女史の釈放の可能性については依然として明確ではないが、94年2月リチャードソン米国議員が家族以外の第三者として初めて面会を認められたのに続き、8月に英国在住のミャンマー人僧侶が同女史とタン・シュエ議長の双方に面会したことを契機として、9月にタン・シュエ議長、キン・ニュン第1書記がアウン・サン・スー・チー女史と初めて対話を行い、10月にはキン・ニュン第1書記が2回目の対話を行った。ミャンマーは多民族国家であり独立以来内政上基本的な課題の一つであった少数民族武装勢力との関係については、和平交渉が着実に進展し、これまでに13の組織が相次いで帰順している。
経済面では諸外国からの援助が限られたものとなっていることもあり
依然として経済インフラの未整備等の問題はあるものの、近隣諸国等からの外国投資の増加、民営化の促進、農業生産の増加等により活発な動きを示してきており、93年度は6%の経済成長率を達成し、94年度は6.4%の目標を掲げている。また、海底天然ガスのタイ輸出が成約に至り3年後の輸出開始に大きな期待が寄せられている。
外交面では、近隣諸国との関係強化が積極的に進められ、特に中国と
は要人交流、経済交流が極めて活発であり、94年12月には李鵬首相がミャンマーを訪問した。また、94年7月にはパンコックで開催された
ASEAN外相会議にミャンマーは議長国タイのゲストとして初めて出席
した。欧米諸国はミャンマーに対して依然として厳しい態度を取っているが、最近ミャンマー政府との直接対話を模索する動きを示すようになり、又民間経済交流の動きが進みつつある。
日本政府はミャンマー政府に対して伝統的な友好関係を基本として対話を通じて早期民政移管、人権状況の改善を粘り強く働きかけている。