I.アジア及び大洋州
94年の内政は、労働者の賃上げ要求ストライキ、スハルト大統領の後継者問題、バピンド国立銀行の不正融資事件、更にメダン反華僑暴動、テンポ誌等発禁問題、また、スハルト大統領の健康問題等多くの事件、問題が起きた年であった。これらの諸事件にかかわらず、アジア太平洋経済協力(APEC)非公式首脳会議を成功理に主催し得たことは、結果的にスハルト政権の安定を示すものであったといえよう。 経済面では、実質経済成長率は、93年の6.5%(暫定値)に続き94年は7%前後と見込まれている。94年度は、第6次5か年開発計画及び第2次25か年計画が新たに開始された年であり、インドネシアは、同5か年計画期間中平均年6.2%と高い経済成長率を維持し、2000年には一人当たり国民所得を1,000ドル達成して経済の「離陸期」入りを果たし、同25か年計画中に中所得国入りすることを目指している。インフレ率は、93年に9.77%まで上昇した後、94年も、洪水の影響や日照りによる農産品不足、住宅関連の価格上昇等のため、10月までで8.27%に達している。総輸出額は、近年2桁の延びが続いていたが、93年は8.4%増、94年前半は2.5%増(対前年同期比)とブレーキがかかっている。これは、石油価格の低迷により石油・ガス輸出額が落ち込んだこと、及び繊維・加工木材等の輸出の伸びが急速に鈍化したことによる。外国投資は、94年は9月までで199.2億ドルと前年の2倍以上となっている。日本の投資は、93年は8.3億ドル(構成比1.3%)、94年は、12.6億ドル(構成比6.4%)である。94年6月の外国投資規制緩和策は、100%外資を原則的に容認するなど問題点が一挙に改善されたものとして評価し得る。
対外関係については、インドネシアは94年のAPEC議長国として、11月にAPEC閣僚会議・非公式首脳会議を開催したほか、非同盟運動議長国として、8月、ジャカルタにおいて債務問題に関する閣僚会議を開催するなど幅広い活動を行った。アジア太平洋地域の安定の観点からは、10月、領土問題に絡む潜在的紛争の防止を目的とする「南シナ海に関するワークショップ」(今回で第5回)を開催するなど地域の平和と安定のため積極的役割を果たしている。東チモール問題に関しては、94年も国連事務総長の仲介の下、ポルトガルとの協議が続けられ、5月に外相会談が行われた。
日本との関係については、日本からの直接投資の累積額が諸外国中第1位であり、対外債務抑制のため外国投資奨励策をとっているインドネシアにとり、日本に対する期待は大きい。経済協力の分野では、7月第3回CGI(インドネシア支援国会合)が開催され、日本は、インドネシアの重視する貧困対策事業を含め総額16億7千万ドルの協力の意図表明を行った。文化面では、95年がインドネシア独立50周年を迎える節目の年にあたることから、日本としてもこれを祝賀するとともに、日本の現状や文化に対する一層の理解の促進を図り、もって21世紀に向けた友好関係の基礎づくりに資する「日本・インドネシア友好祭」の開催のため、7月官民合同の実行委員会を設置し、準備を開始した。