I.アジア及び大洋州

93年11月に僅差で再選されたボルジャー国民党政権は、与野党伯仲の議会において、協調対話路線を取らざるを得なかった。また、各党ともMMP制度(小選挙区比例代表併用制)下での初の次期選挙をにらみ体制造りに努めた。
 MMP制度下では、選挙区数が減少することや、小政党が比例代表枠で進出し易くなることから、各党内の離合集散や新党結成の動きが生じだした。
 94年の経済は、前年より引き続き好調に推移し、第2四半期では6.1%の成長率を見せ、失業率もOECD平均の7%-9%にまで低下した。この経済加速のため、金利は上昇傾向にあるが、インフレは2%以下にとどまる等、経済は良好なパフォーマンスを見せている。また、経済の好調さに支えられ、財政収支は、78年以来の黒字となった。次回選挙をにらみ、財政黒字の使途をめぐる問題が、与野党間の争点の一つとなっていく可能性がある。
 ニュー・ジーランドは、近年、アジア太平洋地域国家として、アジアとの関係強化に腐心しており、ボルジャー首相の5月のASEAN諸国訪問、マッキノン副首相兼外貿相のインドシナ諸国訪問を始め、対アジア外交を活発に展開してきた。特に、ヴィエトナム、中国、カンボディア等との関係が強化されたことが着目される。また、ニュー・ジーランド政府は、アジア外交の推進と国民のアジア認識の向上を目的として、アジア2000事業を展開して来ているが、9月にはこうした事業を統一的に実施するためにアジア2000基金が設置された。一方、ニュー・ジーランド非核法のため冷却化していた米国との関係は、93年より改善の傾向にあるが、94年に入り、米国は両国間ハイ・レベル接触の制約を解除し、軍関係者を含む両国間のハイ・レベル接触が復活した。また、85年の「虹の戦士」号爆破事件を契機として冷却していたフランスとの関係も、ボルジャー首相の6月のフランス訪問を契機として修復を見せた。
 ニュー・ジーランドは、94年においてもボスニアに250名強の歩兵部隊を派遣するなど各種の国連PKOに参加するとともにPKO要員の安全確保のための条約の採択にイニシアティヴをとるなど安保理で積極的貢献(93年より国連安保理非常任理事国)を行って来た。
 日本との関係は、貿易関係を中心に極めて良好である。9月には新関西国際空港の開港に焦点を当てた「フォーカス・オン・関西」事業を強力に展開、10月にはニュー・ジーランドの在大阪総領事館が5年振りに再開された。

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