VII. そ の 他

 

1. 国連代表部

 

(1) 総   論

 93年は冷戦終結後の国際社会に占める国連の重要性がますます高まる一方、財政難などの制約要因が深刻さを増し、国連活動の効率性向上と組織活性化のための議論が新たな進展を示した年であった。

 また、経済・社会分野では6月の世界人権会議の結果を受けて、12月の国連総会において人権高等弁務官の設置が合意されたのを始め、麻薬特別総会の開催、国際災害の十年に関わる決議の採択がなされ、さらにこの分野での広汎な機構改革を進め国際社会の抱える諸問題に積極的に対応しようとした年であった。94年以降は人口、女性、社会開発等非軍事面の国連会議が順次予定されており、これら経済、社会分野での日本の一層の貢献が期待されている。

 日本との関係では、第48回国連総会に細川総理大臣が中曽根総理大臣以来初めて出席した。また、ブトロス=ガーリ事務総長は2月と12月の2度にわたり訪日したが、国連事務総長が同じ年に2回訪日したのは初めてのことである。

(2) 安全保障理事会

 国際情勢の流動化、地域紛争・民族対立等が多発する中で、安保理の責任と役割はますます増大し、また、93年の1年間で新たに6件の平和維持活動(PKO)を設立(現在展開中のPKOは17)するなど、世界各地の紛争解決にあたり、引き続き積極的に関与してきている。このうち、カンボディアについては、国連カンボディア暫定機構(UNTAC)の成功と新政府の樹立により、安保理の役割は終了したが、旧ユーゴー、ソマリア、モザンビーク、ハイティ、アンゴラ、グルジア等については、依然として安保理の場において問題解決のための討議が行われ、一連の措置が打ち出されてきている。

 日本は、非常任理事国としてこれらの審議に積極的に参加した。とりわけ93年1月には、安保理議長国として米軍による対イラク攻撃問題や「マケドニア」の国連加盟問題などでイニシアティヴを発揮した。また、カンボディア問題に関しては、アジアの主要関係国としての立場を踏まえ、安保理決議の採択の過程で重要な役割を果たした。

 安保理改組問題については、93年1年間の議論を通じ、改組が必要であるとの意見が国際社会の大きな流れとなった。93年12月の国連総会決議により、安保理改組問題につき討議するための作業部会が設置され、94年夏までにはこの問題に関し何らかの報告を提出することとなった。

(3) 平和維持活動

 国連PKOは、明石特別代表を長とするUNTACが大きな成功を収める一方で、ソマリア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ等においては種々困難な問題に直面した。また、PKOの質的量的拡大は深刻な財政問題を引き起こした。このような状況を背景としてPKOのあり方につき真剣な議論が行われてきている。国連総会では、要員の安全を確保するため、要員の安全に関する条約を締結しようとする動きが見られた。またPKOの早期展開、財政面での強化等を含むPKO全般にわたる改善のための議論が進展を見た。

 日本はUNTACへの自衛隊、文民警察等の派遣に加え、モザンビークへも53名の輸送部隊を派遣しているが、アジアを離れた場所で日本が平和の構築のために貢献している意義は大きい。

(4) 軍備管理・軍縮問題

 最近の全面核実験禁止に向けた国際的機運の高まり、米の核不拡散に関する新政策の発表(9月)などの好ましい動きを反映して、12月全面核実験禁止条約決議案が初めて採択されたほか、軍備の透明性、兵器用核分裂性物質の生産停止に関する決議案も無投票で採択されるなど大きな成果が挙げられた。

(5) 海 洋 法

 海洋法に関する国際連合条約は発効要件である60の批准(又は加入)を達成し、94年11月に発効することとなった。条約の発効までに、条約第11部の深海底制度を修正するために事務総長主催による非公式協議が進められている。

(6) 経済・社会

 経済・社会関係では、国連開発計画(UNDP)、国連児童基金(UNICEF)などの執行理事会が改革され(理事国数を各48か国から36に削減、理事会開催頻度を増加)、さらに、総会、経社理の審議方法の改善が図られることとなった。また事務総長は、加盟国の圧倒的多数を占める開発途上国の要請に応えるべく、94年初めにも「開発のための課題」を提出する見通しである。非同盟諸国を代表してインドネシア提案の先進国、途上国の対話の再活性化のための「パートナーシップを通じた開発のための国際経済協力強化に関わる対話の再開」決議が採択され、さらに「国連総会麻薬特別会合」の開催、国際災害の十年に関わる決議(94年5月に横浜で世界会議開催)が採択されるなど、国連において経済、開発、社会面での活動を従来以上に重視し、活性化していこうとする機運の盛り上がりが見られた。

 また93年から95年にかけて、一連の世界会議等(世界人権会議、人口と開発に関する世界会議、社会開発サミット、世界婦人会議、国際家族年)が開催ないし予定されているが、これらの会議、準備会合などにおいて特に女性問題の重要性が強調されたことが注目される。

(7) 人権・人道

 人権・人道分野では6月にウィーンで開催された世界人権会議での提案を受けて、今次総会で人権高等弁務官の設置をめぐり、人権遵守の強化を謳う欧米諸国等と、内政干渉の口実を与えるとしてこれに警戒的な一部開発途上国との間で種々議論がなされたが、結局設置が合意された。

 また、各地で発生している地域紛争における人道支援活動の重要性が再認識され、その支援体制の強化につき審議された。

(8) 行 財 政

 行財政分野では、PKOを中心とした国連の業務の質的量的拡大への対応が課題となった。ブトロス=ガーリ事務総長の就任以来行われてきた国連事務局の機構改革は、長期化するにつれて組織の混乱、事務の停滞などのマイナス面が目立つようになり、加盟国の批判も強まった。このため、事務総長は、第48回国連総会に提出された94/95予算案をもって機構改革は終息の方向に向かうと表明した。通常予算をはるかに超える額となったPKO分担金の未払いは国連財政にとって大きな圧迫要因となっている。93年8月には事務総長が各国に緊急の支払い要請を行い、日本をはじめ主要国が早期支払いを行ったが、状況は依然深刻である。

(9) 人 的 貢 献

 93年には、明石事務次長がカンボディア暫定機構の特別代表の任を成功裡に終えた後、旧ユーゴーの国連保護隊(UNPROFOR)の事務総長特別代表の重職に任命され、また緒方国連難民高等弁務官がこれまでの活躍を認められて再任、小田国際司法裁判所(ICJ)判事が圧倒的多数で3選、高須財務官(予算編成の責任者)の就任など、国連のハイレベルでの日本人の活躍が目立った。しかし、国連における邦人職員は依然日本の国連拠出額に比し全般的に不足する状況が続いており、引き続き邦人職員の増大の努力が必要である。

 

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 2. ウィーン代表部

 

(1) 国際原子力機関(IAEA)

 イラクの核開発を契機として、IAEAの保障措置制度の強化が大きな課題となったが、93年には、北朝鮮の核兵器開発疑惑が表面化した。IAEAは、2月、特別査察を発動し、4月には、北朝鮮の保障措置協定違反を認定し、この問題を国連安保理に報告した。しかし、北朝鮮は、IAEAの理事会、総会、さらには国連安保理及び総会による度重なる要請にもかかわらず、93年末現在、特別査察はもとより通常の査察さえ部分的にしか受け入れないとの態度をとり続けている。この問題は、IAEAの保障措置制度そのものに対する重大な挑戦であり、核不拡散体制を維持する上でも深刻な課題である。また、ソ連の解体に伴い、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシにおける非核化及び保障措置制度の整備が新たな課題として浮上した。IAEAは、これら諸国の保障措置制度の整備を支援するため、日本を含む関係国との間で協議を進めている。IAEAの保障措置活動は、増加の一途をたどっており、これをいかに効率的に実施するかも重要な課題である。IAEAは、現在、加盟国の協力を得ながら、保障措置の強化と効率化のための具体的な改善策を本格的に検討している。日本も、こうした問題の解決のため、積極的に貢献している。

 原子力安全条約については、91年9月の総会の決議を受けて設立された専門家会合が93年12月までに6回開催され、基本的な内容についてはほぼ合意が成立した。94年中の条約の採択が期待される。

 核不拡散、安全等の観点から関心が高まっているプルトニウムの利用については、93年においても、IAEA及び主要関係国の間で非公式な意見交換が行われ、何らかの国際的な枠組みを通じて透明性を確保することが重要であるとの認識で一致した。日本は核燃料サイクルの確立を重視し、プルトニウムの利用を推進する立場から、プルトニウムの国際管理の具体案を提示するなど、この問題に積極的に取り組んでいる。

 

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(2) 国連工業開発機関(UNIDO)

 93年は、UNIDOにとって86年の専門機関化以来最大の転機であった。カナダの94年からの脱退や国連開発計画(UNDP)の新制度導入に伴う大幅な収入減に起因する財政危機が深刻化し、また、冷戦構造の崩壊に伴い開発途上国やUNIDOを取り巻く状況にも大きな変化が現れた。このような状況の下で、12月の第5回総会において5人の次長の全廃を含む事務局の合理化・効率化のための斬新な改革案が承認され、UMDOの再活性化に向けての今後の方向が固まった。この改革の実現を通じ、UNIDOが開発途上国の工業発展にとり真に効果的な活動を行っていくために日本としても協力していくことが必要である。

 

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(3) 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)

 UNRWAは、中東のガザ及びジョルダン川西岸地区などにフィールド・オフィスを展開し、約270万人のパレスチナ難民援助活動を実施してきている。また、UNRWAは多数のパレスチナ職員を擁しており、特に、今回の自治への移行の中心となるガザ地区の人口の半数以上はUNRWA傘下の難民である。さらに、UNRWAは、独自に同地域の登録難民のための学校や医療機関(病院)などを運営しており、実質的には一種のパレスチナの行政機関の役割を果たしている。従って、今後中東和平が進展する中で、難民に対する救済活動に加え、パレスチナ人職員のパレスチナ自治組織への移管の可能性も含め、UNRWAが暫定自治移行のための社会環境の整備に中心的役割を果たしていくことは必須である。今後とも、パレスチナ難民の支援及び同社会の経済的自立、社会開発、インフラ整備のため、引き続きUNRWAを通じた所得創出、人材育成等の事業に日本としても協力することが必要である。

 

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(4) 国連薬物統制計画(UNDCP)

 UNDCPは、発足後過去3年間、国連組織の中で、世界の麻薬統制活動を本格的に進めるための中心的役割を果たしてきた。他方、各国の麻薬問題に対する取組を一層活性化することも重要であり、そのため、10月国連総会麻薬特別会合がニュー・ヨークで開かれた。同会合において各国が麻薬統制に関する世界行動計画履行の推進を再確認し、UNDCPに対する協力の移行を表明したことは重要であった。日本においては、他国ほど深刻ではないものの、麻薬問題は地球的規模の重大な関心事となっていることに照らし、日本としては、今後ともUNDCPを活用した国際協力を一層強化していく必要がある。

 

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3. ジュネーヴ代表部

 

(1) 関税及び貿易に関する一般協定(GATT)

 93年6月、それまで休眠状態にあったウルグァイ・ラウンド交渉は、米国においてファースト・トラック(交渉結果の議会における無修正一括審議を規定)手続上の対議会通報期限を93年12月15日まで延長することが議会の承認を得られたことでようやく動き始めた。7月の東京サミットの直前には、日本が四極のウルグァイ・ラウンド閣僚会合を主催し、日本としても合意の成立を図るために蒸留酒(ウイスキー、ブランデー)の関税相互撤廃をオファーしたことが決め手となり、医薬品、建設機械など8分野にわたる関税相互撤廃及び化学品の関税引下げのハーモニゼーション(関税率の平準化)などを内容とする東京閣僚会合合意が成立し、年末の期限に向けて本格的な交渉が再開されることとなった。交渉は、8分野以外の高関税品目の取扱いなどをめぐる四極内での立場の相違(特に米国の繊維関税の取扱い)、92年11月の米国・EC間の農業合意(いわゆるブレア・ハウス合意)に関する欧州連合(EU)内部での不協和音(特にフランスの反対)、さらにサービス分野の音響、映像産業の規制緩和をめぐる米国・EU間の対立等の事情から最終局面まで難航を極めたが、12月15日についに実質的に妥結した。その間農業分野では、輸出補助金などをめぐる米国・EU間の対立と並び包括的関税化が最重要課題の一つとなっていたが、日本は最終的に、関税化の特例措置を含んだいわゆるドゥニ議長調整案を政治的判断により、受け入れることを決定し、サザーランド事務局長からもウルグァイ・ラウンド妥結に向けての重要な貢献であると評価された。今後は、ウルグァイ・ラウンド最終合意文書の確定のための閣僚会合(94年4月を予定)等を経て今次合意文書が発効する運びとなっている。

 

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(2) 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)

 93年もUNHCRにとっては緊急事態の年で、旧ユーゴー、アフリカ等を中心に全世界で1,900万人いると言われる難民の保護・支援に当たり、予算は2年連続で10億ドルを超えた。93年末第1期目任期切れを迎えた緒方弁務官は、評判も高く、第48回国連総会において、5年間の任期で再任された。

 難民問題は、まず第1に人道上の問題であるが、同時に地域の平和と安定に影響を及ぼしかねない問題でもあるとの認識の下、日本は難民援助を国際貢献の重要な柱として実施してきた。UNHCRに対する拠出は、93年も、国としては米国に次ぎ世界第2位を確保した(約1億1,900万ドル)。

 

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(3) 赤十字国際委員会(ICRC)

 ソマリアや旧ユーゴー等において国際人道法が尊重されていない事態を重く見たICRCは、ジュネーヴ条約の寄託先であるスイス政府に働きかけ、93年8月には閣僚レベルの「戦争犠牲者の保護に関する国際会議」を開催し、160か国の参加を得て、国際人道法に対するコミットメントを再確認した。

 日本はICRCに対し1960年以降継続的に資金拠出しているが、93年は、6月にソマルガ委員長を日本に招待し、また8月の「戦争犠牲者の保護に関する国際会議」には東外務政務次官を団長に代表団を派遣する等、ICRCの活動に対し積極的に協力してきている。

 

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(4) 国際移住機関(IOM)

 日本は1961年以来、IOMのオブザーバーとして活動に関与してきたが、93年11月51番目のメンバー国としてIOMに正式加盟した。

 

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(5) 国連人権センター

 93年6月、世界人権宣言の採択45周年を記念すると同時に、前回テヘランで開催された世界会議から25年が経過したのを機に、ウィーンにおいて世界人権会議が開催され、「ウィーン宣言及び行動計画」が採択された。この宣言では、人権の普遍性が参加各国により再確認されるとともに、人権は各国の純然たる国内管轄事項ではなく、国際社会にとっての正当な関心事項であることが改めて明らかにされた。上記行動計画に基づき、第48回国連総会において国連人権高等弁務官の設置が合意された。

 

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(6) 国連貿易開発会議(UNCTAD)

 国際社会において、南北対話の場としてUNCTADが果たす役割は依然として重要である。第8回総会(92年2月)において合意された改革の方向に沿って、この1年間UNCTADは、具体的な分析・対話等を通じ知的貢献を行ってきた。他方、最近のUNCTADでの作業が具体的な行動に結び付くような成果を生んでいないことに対する不満も一部に見られる。UNCTADの機構改革は実施されたばかりであり、今後の動向をさらに見守っていく必要があろう。

 

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(7) 環境関係の国際機関

 92年6月の国連環境開発会議(UNCED)以降、国連「持続可能な開発委」、国連環境計画(UNEP)、UNCTAD、OECD、GATTなど各種国際機関において環境問題に積極的な取組が行われているほか、94年6月の採択を目指して砂漠化防止条約の交渉、UNCEDの成果である気候変動枠組み条約、生物多様性条約の実施に向けた準備など各種会合が開催されている。

 

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(8) 世界保健機関(WHO)

 中嶋事務局長は、93年1月の第91回WHO執行理事会において選挙により次期事務局長の指名を受け、5月の第46回WHO総会において2期目の再任が承認された。

 

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 4. 軍縮代表部

 

 93年は、1月パリで化学兵器禁止条約の署名式が行われ、2月にはオランダのハーグに化学兵器禁止機構暫定委員会が設立されて、大量破壊兵器の一つのカテゴリーを包括的に禁止する条約の実施に向かって大きな歩みが見られたが、3月に突然、北朝鮮が核不拡散条約(NPT)からの脱退声明を出し、核不拡散体制の安定性についての懸念を一気に高めたことも一つの背景となり、93年の軍縮会議と国連総会第一委員会での主要なテーマは、1年を通じて核不拡散問題であった。

 軍縮会議においては、93年初頭日本の田中軍縮代表部大使を議長として核実験禁止特別委員会が設置され、核実験の全面禁止に向けて集中的な検討が開始された。そして8月、軍縮会議は同委員会に対して全面核実験禁止条約の交渉権限を付与する決定を行い、同委員会議長は94年の軍縮会議再開までに交渉のマンデートと交渉の進め方に関する組織事項につき協議を行い、準備作業を進めることとされた。93年の会期終了後の特別委員会の非公式会合では94年の軍縮会議における核実、験禁止特別委員会の下に検証作業部会と法律・組織作業部会を設立するためのマンデート案がまとまり、全面核実験禁止条約交渉の順調な開始の見通しがついた。

 また、軍縮会議には軍備の透明性に関する特別委員会が初めて設置され、エジプト大使の議長の下で軍備保有・国内調達問題につき議論が展開された。宇宙における軍備競争の防止に関する特別委員会は、ドイツ大使の下に議論が進展したが、交渉権限を付与する件についてコンセンサスを得ることができず、また、非核兵器諸国の安全保障に関する特別委員会はNPTの延長問題との関係で重要視されたものの、委員会での議論は十分収斂することなく今年の作業を終えた。

 軍縮会議は現在38か国で構成されているが、既に10年以上にわたって構成国の拡大が懸案となっている。93年初め、豪州大使がこの問題の特別コーディネーターに任命され、同大使は関係諸国と協議した結果を23か国拡大案として8月軍縮会議に提示して採択を求めた。この問題を早急に解決する必要性から採択の雰囲気が広がっていたが、米国が23か国の中にイラクが含められていることに反発し、成立しなかった。

 93年の国連総会第一委員会は、軍縮会議での雰囲気を反映し、核不拡散問題について積極的に臨む機運の高まりが認められ、初めて核実験全面禁止条約に関する決議と軍事用核分裂物質の生産停止を要求するいわゆるカット・オフ決議が全員一致のコンセンサスで採択された。そのほか、対人地雷の輸出モラトリアムを呼びかける決議が米国から提案されて、これもコンセンサスで採択されたことは注目される。

 NPT再検討・延長会議の開催を95年に控え、第1回準備委員会が5月にニュー・ヨークで開催された。この会議ではオランダが議長を務め、準備委員会は全部で4回開催され、再検討・延長会議は95年4月から5月にかけて開催されることが決まったが、会議の意思決定手続などの問題は次回以降に更に検討されることとなった。

 

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 5. EC代表部

 

(1) 域 内 情 勢

 93年11月1日、欧州連合条約(マーストリヒト条約:EC設立条約の改正及び新規追加)が発効し、欧州連合(EU)が誕生した。92年6月のデンマーク国民投票による批准拒否、英国における議会審議の難航やドイツにおける同条約に対する違憲訴訟等から批准手続が遅れていたが、93年5月デンマークでは2度目の国民投票で承認が得られ、10月には最後となったドイツが批准書を寄託して、ようやく発効に至った。

 欧州連合条約の第1の柱と言われる経済・通貨統合(EMU)については、最近の欧州経済の停滞(93年のEU12か国の失業率は平均で10%強、経済成長率もマイナス0.4%程度となる見込み)から財政収支が大幅に悪化するなどの理由で欧州連合条約で規定された通貨統合の最終段階に移行するための経済収斂条件をすべて満たす国が1か国もない状態となった。また、93年8月には為替レート・メカニズム(ERM)の変動幅を中心レートから上下15%に拡大するという、実質的には固定レート制度の放棄に近い決定を余儀なくされ、欧州通貨制度(EMS)の根幹を揺るがしねない事態となった。

 しかし、欧州連合条約発効の直前に開催されたブラッセル特別欧州理事会で、94年1月設置の欧州通貨機構の基本的構造につき合意されるなど、経済・通貨統合の完成に向けての枠組み作りに関し具体的な成果が見られた。

 欧州連合条約の第2の柱と言われる共通外交・安全保障政策については前述のブラッセル特別欧州理事会において、同条約に規定されている共同行動の対象分野として、欧州の安定と平和(「欧州安定化条約」構想)、中東、南アフリカ、旧ユーゴースラヴィア、ロシア(93年12月の新議会選挙への監視団の派遣等)が挙げられ、その後の外相理事会で具体的な共同行動の実施方法を策定し始めた。

 この他、欧州連合条約の発効に伴い、同条約の第3の柱と言われる司法・内務協力、欧州連合市民権、サブシディアリティ(補完性)の原則なども導入に向けた実質的作業が進んだ。

 また、市場統合については282本のEC法令を採択する作業が行われてきたが、93年中には、未採択の18本のうち1本の採択をみたほか、各加盟国での国内法制化作業が進み、93年末時点で国内法制化履行率は各国平均86%となった(92年末時点では75%)。

(2) 域外国等との関係

 94年1月より、EUとEFTA諸国(ただし、92年12月に国民投票で批准を拒否したスイス及び同国と関税同盟関係にあるリヒテンシュタインを除く)との間で欧州経済領域(EEA)を創設する協定が発効することとなった。これはEUの市場統合を実質的にEFTAにまで拡げ、人口3億7000万人、GDP7兆5000億ドルの一大市場を誕生させる効果を持つ。また、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーとの間で、94年3月までに交渉妥結、その後各国での批准を経て、95年1月に加盟を実現させることを目標にEU加盟交渉が開始された。

 さらに、EUは93年中に中・東欧4か国との間で欧州協定を結んだほか、93年6月のコペンハーゲン欧州理事会ではこれら諸国が必要な経済的・政治的条件を満たし、EU自体の統合のモメンタムが失われないとの判断がある場合には、これらの諸国がEUに加盟し得るとの合意がなされた。

(3) 日本との関係

 91年、92年と増大傾向にあった日本の対EU貿易黒字は、EU側の景気後退等を背景に日本からの輸出が減少した結果、93年は前年比ドルベースで15.6%の減少を見せた。1月の日・EC委員会閣僚会議での合意により設置された日・EC貿易統計専門家会合において、貿易実態の分析が行われている。

 9月には、天皇皇后両陛下がベルギーを来訪された際、EC委員会ドロール委員長夫妻の主催で午餐会が催され、日・EU間の友好関係の増進に大きく寄与したほか、93年を通じて首脳協議(7月)、日・EUトロイカ(EUトロイカとはEUの現、前、次期議長国の3か国を指す)外相協議(9月)等で種々の国際問題につき意見交換が行われた。

 

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 6. OECD代表部

 

(1) 経済協力開発機構(OECD)

 失業が各国にとって最大の経済問題に浮上する中で、構造問題に関するこれまでの取組を通じるノウハウの蓄積を活用して、OECDは2年がかりで雇用・失業研究を行い、その中間報告が93年6月に公表された。その報告の中では、単にマクロ面の対応のみならず、ミクロの構造的側面(労働市場の改革、教育・訓練の改善、賃金決定の柔軟性確保などの機能調整)の必要性が認識された。これら分析に加えて、政策提言を含めた最終報告の作成が94年に完了することが各国から強い期待をもって待ち望まれている。マクロ面においては、長期低迷からの回復を図るため、経済政策委員会等の場で各国の政策協調を図るための議論が重点的に行なわれ、閣僚理事会コニュニケにおける「成長及び雇用のための協調的戦略」へのコミットという形で結実した。その他、貿易面においては、一方的措置や管理貿易的手法への動きが強まる中で、日本のイニシアティヴにより、閣僚理コミュニケにおいて自由貿易の原則に反する措置を採らないとの強いメッセージが盛り込まれ、そのほかにも管理貿易的手法をめぐる諸問題につき議論が行なわれてきている。また、ウルグァイ・ラウンド終了後をにらんだ新しい貿易問題(「貿易と環境」、「貿易と競争」、「地域統合」など)に関する分析作業等にも積極的に取り組んできている。

 非加盟国との関係においては、旧ソ連、中・東欧諸国等が市場経済への移行という試練に直面している中、OECDとしても、これら諸国の市場経済への円滑な移行に向けて、その比較優位を有する分野(統計、税制等の制度作り、軍民転換、民営化など)において知的支援活動を積極的に果たしており、これら諸国のOECD活動へのオブザーバー参加の拡大、税制研修センター拡充、旧ソ連新独立国家(NIS)諸国とのハイレベル政策対話の開催などを実施している。また、旧ソ連新独立国家(NIS)支援のための世銀援助国会合、東西貿易大臣会合などの多国間を通じた支援プロセスに対しても、OECDは情報提供、分析作業の実施などの形で積極的に貢献している。

 さらに、開発途上国の発展に関しても、日本のイニシアティヴにより始まったDAES(Dynamic Asian Economies:アジアの新興工業国・地域(NIES)、タイ、マレイシアより成る)諸国との対話に、一部の中南米諸国を含めて、これら諸国とのセミナーやワークショップを通じた活発な情報や意見の交換が行われている。また開発途上国全般についても、これまでの援助の視点に加え、貿易、投資、環境等を含めた包括的な検討に着手することが、閣僚理コミュニケで合意され、実施に移されることになった。

 このように非加盟国との関係強化が進展する中で、93年の閣僚理コミュニケにおいてメキシコとの加盟交渉への着手が合意され、それに続くものとして韓国の早期加盟促進がうたわれた。また、開発援助委員会(DAC)においては、開発途上国リスト(いわゆるDACリスト)の見直しが進められ、12月の上級会合では、世銀分類による高所得国(最新の基準では1人当たりGNPが8,355ドル超の国)に対する援助は、96年から政府開発援助(ODA)には含めないことを決定した。

(2) 国際エネルギー機関(IEA)

 安定的に推移している国際エネルギー情勢を背景として、93年を通じた国際エネルギー機関(IEA)の活動は、緊急時対策の維持・強化活動に加え、ロシアの動向等エネルギー供給面での不安定材料及びアジア太平洋地域に顕著なエネルギー需要の増加がもたらす影響を念頭に置いた域外国の動向、並びに地球環境問題への取組に係る活動に進展が見られた。93年6月に開催された閣僚理事会は、石油供給途絶に際しての緊急時対応に係る従来の狭義のエネルギー安全保障を一歩進め、より長期的視野の下にグローバルなエネルギー安全保障の考え方を定着させる上で大きな意義を有した。

(3) サミットとの連携

 こうした93年のOECDの主な動きについては、93年7月の東京サミットとの連携が指摘されよう。日本は東京サミットのホスト国として、6月に開催されたOECD閣僚理(日本より、外務大臣、通産大臣、経済企画庁長官の3閣僚が参加)のコミュニケ作成において、東京サミットとの連携に意を配った結果、サミットにおける各種成果の基礎となったものと考えられる。

 

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