第3項 日米関係
[日米双方における政権交替]
93年には、日米両国において政権政党が交替するという、戦後の日米関係において初めての事態を経験した。こうした政治状況の変化は、日米安保体制や緊密な日米経済関係の重要性を変えるものではない。クリントン大統領も、日米関係を「米国にとって最も重要な二国間関係」と位置付け、日本の細川新政権も、「良好かつ建設的な日米関係を維持・構築していくことを日本外交の基軸として」最善を尽くしていくことを、基本認識として明確にした。
しかし、政権交替が、政策の在り方についての国民の期待の変化を反映するものである以上、日米双方における新政権の登場は、日米関係にも影響を与えざるを得ない。93年は、このような状況の変化を背景に両国関係の再構築が図られた年であった(日米安保体制についてはP58~60参照)。
[宮澤・クリントン会談]
クリントン政権発足後の日米政府間の交流は、新政権の陣容がおおむね固まった2月以降本格化した。同月、渡辺外務大臣がワシントンを訪問し、クリントン大統領以下の新政権首脳と初めての接触を行ったのに続き、4月には宮澤総理大臣が訪米し、クリントン大統領と初めての首脳会談を行った。この会談において両首脳は、日米安保条約を中心とする日米関係の基本的な枠組みを堅持することを確認するとともに、冷戦後の日米間のパートナーシップの在り方について、(1)政治・安全保障、(2)グローバルな問題、(3)貿易・経済の「3分野」において協力関係を発展させていくこと、そして、この3分野の内で最も問題の多い貿易・経済の分野における協力関係を強化するために包括的な協議の枠組みを構築すること、さらに、日米首脳会談を少なくとも年2回は行うことについて合意した。
貿易・経済関係の枠組みに関する協議は、困難な交渉を経て、7月の東京サミットの際に開かれた2回目の宮澤・クリントン会談で合意され(「日米間の新たな経済パートナーシップの枠組みに関する共同発表」)、これに基づいて日米包括経済協議が行われることとなった。
また、クリントン大統領は、訪日に先立って、モンデール元副大統領を新駐日大使として指名したが、これは、クリントン政権の対日関係重視の姿勢を象徴的に示すものであった。さらに、クリントン大統領は、東京サミット出席の機会に、サン・フランシスコ、東京、ソウルでそれぞれ演説を行い、アジア太平洋地域を重視する姿勢を強く打ち出した。
外交政策の面では、クリントン政権発足当初より、日本側から主要外交問題についての政策の調整を働きかけたこともあり、北朝鮮の核兵器開発疑惑、中国、カンボディア、ヴィエトナム、ASEAN拡大外相会議、アジア太平洋経済協力(APEC)等に関し、アジア太平洋地域における日米両政府間の政策協調は順調に進んだ。また、対ロシア支援などの分野でも日米間の緊密な協力が図られた。
[細川・クリントン会談]
細川総理大臣は、就任直後の9月に、国連総会出席の機会をとらえ、ニュー・ヨークでクリントン大統領と初の首脳会談を行った。この会談において、細川総理大臣は、日米安保体制を基盤とするこれまでの日米関係の基本的枠組みを堅持する方針を伝えるとともに、細川政権が目指す国内改革の方向について説明を行った。
また両首脳は、11月のAPEC非公式首脳会議の機会にシアトルで会談し、細川総理大臣より、自らが推進しようとしている政治・経済・社会
APECの際の細川総理大臣とクリントン米大統領(AP)
改革を説明したのに対し、クリントン大統領はこれを支持する姿勢を示した。また、細川総理大臣より、7月の宮澤・クリントン合意を受けた形での日米首脳会談を94年2月11日に行うことを提案し、クリントン大統領の同意を得た。
この合意を受けて、94年2月、細川総理大臣はワシントンを公式訪問し、11日、クリントン大統領との間で総理就任以来3回目の会談を行った。後述の通り、両首脳は日米包括経済協議について合意に達することが出来なかった。ただし、両首脳は、経済面で意見の不一致があろうとも、政治・安全保障の分野やグローバルな問題についての日米間の良好な協力関係がこれによって損なわれることがあってはならないとの認識で一致した。
[日米経済関係]
日米両国は、経済分野で深い相互依存関係にあり、貿易、投資や産業間の協力等が活発に行われ、基本的に、両国は互恵的な関係を享受している。しかし、貿易収支については、現在の規模の不均衡(注)を継続することは政治的に不可能であるとの認識を両国は共有している。7月の宮澤・クリントン会談において「日米間の新たな経済パートナーシップのための枠組みに関する共同発表」を行ったのは、このような認識を背景としてのことであった。
この包括的な枠組みの中で、日本は、経常収支の黒字の十分意味のある縮小を中期的に達成すること、外国製品・サービスの輸入の相当程度の増加を促進することを意図して、(1)力強く持続的な内需主導型の経済成長の促進、(2)競争力のある外国製品・サービスの市場アクセスの増大を、それぞれ中期的な目的として積極的に追求することとされた。米国もまた、財政赤字を相当程度削減し、国内貯蓄を奨励し、国際競争力を強化するという中期的な目的を積極的に追求することとされた。さらに、環境、人口、エイズ等のグローバルな問題についても、日米両国が全世界的な観点から積極的に協力を推進していくこととされた。そして、政府調達、保険市場、自動車・自動車部品の3分野が「優先分野」に位置付けられ、94年の最初の日米首脳会談までにこれらの分野における合意をめざすこととされた。
さらに、この共同発表では、包括経済協議の下での話合いを進めるに際して、日米間の双方通行の対話の基本原則の下に協議を行うこと、MFN(最恵国待遇)ベースで第三国にも交渉結果を均霑すること、政府による対応が可能で、政府の責任が及ぶ範囲の事項に限定すること、セクター別・構造分野で問題が生じた場合、適当な場合には適用可能な
包括経済協議全体の概要
多国間合意の下で解決のための最大限の努力を行うこととされた。日本側としては、このような原則に従うことによって、日米包括経済協議において、米国内の一部の保護主義圧力を封じ、日米間における一方的措置の発動や個別分野の数値目標設定に伴う管理貿易への傾斜を防止することも意図していた。
94年2月11日の日米首脳会談では、それまでの精力的な交渉にもかかわらず、優先分野とされていた政府調達、保険市場、自動車・自動車部品の分野において、客観的基準と数値目標の関係をめぐる両国の立場が収束せず、日米包括経済協議は双方の合意の上でしばらく冷却期間が置かれることとなった。
[今後の展望]
日米包括経済協議で所期の合意に達することが出来なかった結果、貿易・経済問題をめぐる日米間の対立は今後一層厳しいものになると考えられる。上述の通り、貿易・経済面での意見の不一致が政治・安全保障の分野やグローバルな問題についての日米協力に悪影響を与えるようなことがあってはならないということについて、日米両政府間に明確な認識の一致がある。しかし、米国の議会やマスメディア等の議論においては、日本との間の巨額な貿易不均衡に対する強い苛立ちが見られ、日本側にも米側の対応についての不満や懸念の声が高まっている。
日米双方にとって、政治・安全保障と経済の両面における両国間の協力関係の重要性は今後とも変らない。また、アジア太平洋地域のみならず世界の平和と繁栄のために日米協力が果たす役割はますます増大している。それだけに、日米関係に安定感を与えることは日米共通の利益であり、また、日米双方の国際的な責任とすら言える状況にある。
ソ連という共通の脅威がなくなったという状況の下で、日米関係に安定感を与えるためには、世界の平和と繁栄のための日米協力を更に深めるとともに、日米間の貿易・経済関係について目に見える改善を図ることが不可欠である。日米間の貿易・経済関係を改善するためには双方の努力が重要であるが、日本については、世界経済の成長に貢献するような内需主導型の経済運営を実施していくことと、競争力のある外国製品・サービスや外国からの投資の日本市場への参入を一層容易にするような措置を自主的に進めていくことが特に重要である。
中長期的に見れば、日米関係の将来に明るい展望を開く条件が日米双方において整いつつある。例えば、日米両国が推進している改革―財政赤字の削減や競争力の強化を基盤とした米国経済の再生と、より開かれた社会の創造と国民生活の向上を目指す日本の経済・社会改革―は、いずれも、日米関係を一層強化する方向に作用すると考えられる。また、ダイナミックな発展の可能性を持ったアジア太平洋地域の将来のために日米両国が協力することも、日米関係の一層の強化につながると期待される。さらに、日米間の人的な交流は広がりと深まりを一層増しつつある。それだけに、日米両政府が当面の貿易・経済関係の改善のために思い切った努力を行うことがますます重要になっている。