2.わが国の行った主要演説等
(89年8月30日,サン・フランシスコ)
本日,北カリフォルニア日本協会及び北カリフォルニア日本商工会議所のお招きにより,皆様の前でお話できますことは,私の大変光栄とするところであります。
北カリフォルニア日本協会は,1905年に創設された伝統ある団体であり,戦前,戦中の困難な時期を含め,一貫して両国の親善のため活動されてきたと伺っております。また,北カリフォルニア日本商工会議所は,会員数300を超える有力な団体として,現地企業や州政府とも定期的に会合をもちつつ,活発な活動をされていると承知しています。今後とも,貴協会及び貴会議所の活動は,日米間の知的,文化的,経済的な交流の促進,ひいては,日米間の相互理解の増進に大いに貢献するものと期待しております。
私は,総理としての初めての外国訪問を,個人的にも思い出深いこのサン・フランシスコから始めることができて大変嬉しく思っております。
私が初めてサン・フランシスコを訪れたのは,今から27年前の激しい嵐の翌日でした。29歳で衆議院議員になって2年目に,国務省の招待で初めて米国を訪問した私は,若者に特有の旺盛な好奇心をもって各地を訪れ,ロスアンジェルスから空路サン・フランシスコに向かう予定を変更し,国務省の同行者と2人で車を借り,国道1号線を北上してきたのです。それはアメリカ車を自分で運転しアメリカの道を走ってみたいとの私の願望でした。しかし,私たちは途中で激しい嵐に見舞われ,海鳥の鳴く断崖の道で大自然の激しさに遭遇し,ビッグ・サーという場所にある山小屋で一夜を明かし,ようやくサン・フランシスコに辿り着いたのです。その山小屋は,ヘミングウェイがよく利用している宿だと知らされ,自分の体験と「老人と海」が不思議な二重写しとなったのを記憶しています。
最後にサン・フランシスコを訪れたのは,本年5月のことです。私は,カーメルで開かれた日米議員会議に出席し,日米関係全般にわたり連邦議会の代表と3日間の率直且つ有益な議論を行いました。そのとき私は,もちろん,数か月後に総理大臣として再びこの美しい街を訪れることになるとは,夢にも思っていませんでした。
カリフォルニアに代表される米国の西海岸は,これまで多くの新しいものを生み出し,常に世界に対して,先駆者としての役割を果たしてきました。西海岸の新しい文化は,我が国を始めとする世界の多くの若者を引きつけ,一つの憧れの地としての像を定着させています。また,電子情報産業に代表される先端技術は,この西海岸から世界に普及し,新たな産業革命を引き起こしました。
私は,本日,日米関係の将来についてお話したいと思います。それは,私の今回の訪米がまさにそのためのものであるからであり,また同時に,そのような話題が未来を志向したこの地に最も相応しいと考えるからであります。
日本は,米国との緊密な協力の下に国の生存と発展を図るという道を選択いたしました。サン・フランシスコは,日本が連合国との間で,「両者の関係が,今後,共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係でなければならないことを決意し」て平和条約を結んだ地であると同時に,米国との間で安全保障条約を結んだ歴史的意義を有する地であります。まさにサン・フランシスコは,日本の戦後の歴史の基本的方向を決定した場所であり,我々はここで行った選択は正しかったと信じております。
戦後44年の期間を経て,日米関係も数々の試練を克服し,緊密な相互依存の関係は益々深まってきております。にもかかわらず,あるいはそれ故にこそと言うべきかも知れませんが,日米間には種々の摩擦が生じ,お互いを非難しあう声も大きくなりつつあるような印象を受けます。率直に言って,それは望ましいことではありませんが,ある意味では自然なことと言えるかも知れません。しかし,それが日米関係の根幹を揺るがすようなものになることは何としても避けなければなりません。日米友好関係を健全に,かつ円滑に維持・発展させていくこと,それは我々両国民に課された世界に対する責任,歴史に対する責任であるからであります。そこで私は,ここで少なくとも次の3つのことを皆様とともに確認しておきたいと存じます。
第1に,日米関係がかっての保護者と被保護者,先生と生徒の関係から,特に経済分野を中心として対等の立場に立つ協力者,時には競争者の側面を持った関係に移行してきたという事実であります。これは,好むと好まざるとにかかわらず生じてきた事実であり,これに伴い,米国では力とコミットメントとの胤離を調整すべきであるという有力な議論がなされておりますし,日本ではその国力にふさわしい国際的貢献を行うべしとの正論が力を得つつあります。今我々に要請されていることは,日米両国が双方の政策理念の正当性に対する確信に基づいて,今申し上げたような日米関係の相対的変化を適切かつ柔軟に反映させながら,今や世界的な広がりを有するに至っている日米関係を一層円滑に運営していくことでありましょう。米国の自由世界の指導国としての地位と役割は,いかなる国も代替することができません。米国が自信を持って様々な問題に対処していかれることを期待すると同時に,我が国としても,この米国のリーダーシップを支援するためにできるだけの協力を続けていく所存であることを申し添えます。
第2に,種々の摩擦や対立があるにもかかわらず,日米関係は全体として見れば,極めて良好であります。今日の日米関係は,安全保障,政治,経済,技術,文化その他の分野で密接な相互依存の関係にあり,このような関係はこれから益々深まっていくでありましょうし,またそれが両国の基本的利益に合致することは疑いありません。
人は,人それぞれの眼鏡で人間社会において生起する現象を見ております。近くのものを見るための眼鏡で遠くを見れば,全体がぼやけて見えることは我々のよく経験するところです。木を見て森を見ない過ちをおかすなかれどの戒めもあります。近年両国で大きく取り上げられている貿易摩擦や投資摩擦の問題につきましても,それらにのみ焦点をあわせた眼鏡で見ていますと,良好な日米関係の包括的構図を見失う恐れがあります。
我々はまた,歴史的展望の中で日米関係を見ていく必要があります。日米両国民は常に進歩を求め,力強く行動する国民であります。戦後の日米両国の発展と変化は,過去のいかなる時代にも,いかなる国にもみられない程の速度と規模で行われてきました。このような歴史の流れを軽視し,一定の基準をあてはめて,「日本は変わらない,米国とは違うルールで動く国である」とする議論は,正当なものとは思えません。米国は現状に満足し,自己革新の努力を怠っているという議論もまた然りであります。日米両国は,時の流れとともに生起する諸問題と真正面から取り組み,常に未来を切り開くという前向きの努力を継続してきたからこそ,飛躍的発展を遂げてきたのであります。このことを充分に認識せずに,性急な結論,例えば日米間では管理貿易を実施すべしというような結論を下すことは受け入れ難いところであります。我々は,日米両国の力強い躍動の息をとめるような愚をおかしてはなりません。
第3に,日米両国は,人類が直面する多くの課題に共同して取り組まなければならない時期に至っているということであります。それは,世界の平和と安全の確保,世界経済の運営のみならず環境問題も含めた多岐にわたる分野に及ぶものであります。強靭な政治・経済システムと大きな国力を有する日米両国は,過去に見られた強国間の覇権争いを行うのではなく,力をあわせてこれらの課題の解決を図っていくべきであります。我々が尊敬するマンスフィールド前駐日大使は,「日米関係は世界で最も重要な二国間関係である」と繰り返し述べてこられましたが,このことは今申し上げた文脈においても妥当する真理であります。
日米両国の前途には,無限の可能性を秘めた水平線が広がっているのであり,日米両国が先頭に立って力を合わせつつ前進することを世界の人々は熱い期待をもって見守っております。日本は,「世界に貢献する日本」という大きな目標をもって21世紀に向けて進んで行こうとしております。この関連においても,日米両国の連帝は不可欠の重要性を持っているのであります。
日米両国は太平洋という共通の海に面しております。太平洋は,文字通り「平和の海」であり,我々はこの大海原を永遠に続く平和の海にしなければなりません。悲惨な戦争や種々の紛争に苦しんできた我々は,平和という言葉に限りない憧れを感じて参りましたが,平和という言葉自体は戦争や紛争が無い状態を意味するに過ぎないのかもしれません。我々は,太平洋にもっと積極的な意味を持たせるように,即ち,多数の国に接するこの広大な海を,創造,建設,協力,協調の場にすべく,英知を絞って努力したいと思います。アジア・太平洋協力という極めて魅力的なアイデアはその一例であり,私もその推進に努めたいと存じます。ただし,それが排他的なもの,他の地域に対して対決的なものになってはならず,あくまでも世界全体の福祉と安定という視野の下で建設的な協力の可能性が探求されるべきであります。
米国は太平洋と大西洋という2つの大海に面する独自な地位を占める大国でありますが,このサン・フランシスコがある西海岸は米国でも最も活力に満ちた地域であります。
そして隣人の立場にある日本国民は,西海岸,そして米国の人々とこれからも変わることのない友情を持ち続けたいと思います。
ここに私はあらためて日本国民を代表し,日米両国が益々友好を深め,世界のため,アジア・太平洋のため,日米両国のために緊密に協力する中から輝かしい未来への展望が開けていくことを訴えて,私の挨拶を終えたいと存じます。ありがどうございました。
(89年9月26日,ニュー・ヨーク,国連本部)
議長,並びに御列席の皆様,
私は,ガルバ大使閣下が第44回国連総会議長に選出されたことに対し,日本政府及び国民を代表して心から祝意を表します。閣下の豊かな経験と卓越した識見によって,今次総会は必ずや実り多きものとなることを確信いたします。日本代表団は,閣下の重要な責務の遂行に対して協力を惜しむものではありません。
また,私は,第43回総会議長カブト閣下の達成された業績に対して,心から敬意を表します。
国際の平和の維持を最重要の目的として創設された国連は,最近,ナミビア独立への移行,中米紛争の平和的解決など,世界各地の国際的諸問題の解決に向けて積極的役割を果たし,今再び世界中の賞讃と熱い期待が寄せられております。これこそ国連の権威の回復であり,私はこれを心から歓迎いたします。国連のかかる国際平和のための活動の強化は,国際関係の大きな変化を背景として,安保理及びペレス・デ・クエヤル事務総長以下の国連関係者が,たゆまざる努力を重ねた結果であります。私は,ここにこれらの方々の努力に対して深甚な謝意と敬意を捧げるものであります。
議長,
現在,国際社会は,対立から対話へ,抗争から協力へという大きな変化の中にあり,地域紛争の恒久的解決,繁栄の持続,地球環境の保全,人権尊重社会の実現等のグローバル・チャレンジの時代を迎えております。
先ず,米ソ間での多分野での対話が定着・拡大しつつあることは喜ぶべきことであります。特に先週行われた両国会談を歓迎するとともに,今後米ソ間の対話が更に進展することを期待します。欧州においては,通常戦力交渉と信頼・安全醸成措置交渉が進捗しております。中ソ関係も正常化されました。多くの社会主義国における改革の真撃な努力も歓迎すべきことであります。東西関係における肯定的な変化は,地域問題,地域紛争の話し合いによる平和的解決にはずみをつけています。ナミビア独立への移行,中米紛争の平和的解決に加え,カンボディア紛争の和平努力は,本年夏のパリ国際会議を経て新たな段階を迎えました。
しかし,地域紛争解決の過程が始まり,安定化に向けて進みつつあるとはいえ,その全面的解決の実現は決して容易ではありません。アフガニスタンからの外国軍の撤兵,イラン・イラク間の停戦は実現しましたが,真の平和が訪れたとは未だ言えない状態であります。中東和平についても,新しい要素はみられるものの,依然実質的な進展は見られず,また,レバノン情勢は極めて憂慮すべき状態にあります。
アジア地域においては,中ソ関係,カンボディア情勢,アフガン問題等をめぐる動向の中で,ソ連の「新思考」に基づく新しい動きが出てきたことが注目されます。そうした中で,我が国としては,日ソ両国間で活発化している政治対話が一層強化・拡大され,北方領土問題の解決をふくむ真の日ソ関係改善が実現することを希望するものであります。私は,このような日ソ関係の改善は,日ソニ国間関係のみならず,アジア・太平洋の平和と安定,更には東西関係全体の改善の重要な一環をなすものであることを強調したいと思います。
また,先般の中国の事態は世界に衝撃を与え,我が国国民の中国に対する感情にも大きな影響を与えました。他方,我が国としては,中国の改革・開放政策に期待していることに変わりはなく,中国政府が国際世論にも十分配慮しつつ,国際社会の信頼の回復に向けて努力することを期待するものであります。
世界の繁栄の実現の面でも新しい時代を模索する動きが見られます。世界経済は全般的には良好な成長を維持しており,新興工業国・地域(NIES)は目覚ましい発展をとげております。また,ウルグァイ・ラウンド交渉は,1990年末の期限までに実質的な成果を得べく,各国とも真剣な取組みを見せております。我が国も同ラウンド交渉進展のため一層の貢献をしていく所存であります。しかし,世界経済全体を見渡しますと,依然として大幅な対外不均衡や保護主義圧力の問題があり,また,アフリカ等の最貧国の経済状況の悪化,中南米諸国等における累積債務問題は,世界経済全体の健全な発展にとり大きな問題となっております。
さらに,世界の繁栄実現の大前提である地球環境が脅威にさらされ,世界各地で人権の侵害,難民の流出が続いております。これらの問題は国際社会が全体として取り組まねばならぬ国際的関心事であります。
議長,
かかる世界に対する我が国のかかわり合いは深く広いものとなり,その国際的役割を積極的に果たす必要があると考えます。
本年初頭の大喪の礼に際して,世界中から多数の弔問使節の御列席を得たことに対し,日本政府を代表して深く感謝申し上げるとともに,今日の我が国の国際的役割の重大さを改めて痛感した次第であります。我が国は,「世界に貢献する日本」を目指し,世界の平和と繁栄に資するための「国際協力構想」を推進しております。その内容は,世界平和の構築,維持に積極的に参画・協力する「平和のための協力」の強化,途上国の発展に寄与する「政府開発援助の拡充」及び異なる文化間の相互理解を促進する「国際文化交流の強化」という三本柱でありますが,加えて,この構想を拡充する形で環境等の地球規模の問題に取り組んでいるところであります。本年8月誕生した海部内閣は,このような我が国の積極的な外交姿勢を内閣の重要な目標として発展させ,世界の平和と繁栄,より公正で人間性豊かな国際社会実現のためあらゆる努力を払ってまいる決意であります。
議長,
そこで,次に私は,以上の認識に立ちつつ,国連の役割と我が国の具体的な貢献につき申し述べたいと存じます。
世界の平和と安全を実現し,維持するのに緊急な課題は,世界中で今なお貴重な人命を奪い惨禍をもたらしている地域紛争,地域問題の恒久的解決であります。地域紛争解決の端緒が開かれたとはいえ,その全面的解決は未だ実現せず,紛争解決に向けての努力は今まさに正念場にさしかかっているからです。
10年間にも及ぶカンボディア問題の解決については,今般のパリ国際会議において当事者及び関係国が一堂に会し,徹底的に議論を重ね,交渉を行いました。これは画期的なことであります。このたびは,包括的政治解決の達成には至らず,また国際監視機構の設立につき合意が得られませんでしたが,国連事務総長の提案による事実調査団の派遣が実現したことを含めいくつかの有意義な発展を見ました。今後は,関係者全てが一層の努力を傾注してカンボディアに真の平和を回復するために努める必要があると考えます。その意味で,今次国連総会が,カンボディア和平のモメンタムの増進に役立つことを強く希望いたします。
また,将来,カンボディア和平プロセスのあらゆる段階において,国際監視の持つ重要性はいささかも変わるものではありません。かかる機構が真に普遍的かつ公正であるべきこと,専門知識や蓄積された経験,広範な人的・資金的支援が必要であること等に鑑みれば,それが国連の枠内で設立されることが不可欠であります。
我が国は,同じアジアの一員として,この地域最大の不安定要因たるカンボディア問題の解決のため,国際監視機構の導入と実施に必要な資金協力,要員派遣,避難民帰還への協力等を積極的に検討するとの姿勢を明らかにしてきました。さらに,和平達成後のカンボディア復興のための国際的枠組みとして国際復興委員会の設立を提案いたしましたが,これが,今般の国際会議の場で原則的に受け入れられたことを心から喜ぶものであります。
今後とも我が国は,この問題の包括的政治解決を最終的に達成するために,関係国と協力し,粘り強い努力を継続していく決意であります。
アンゴラ・ナミビア問題については,昨年12月の関係3カ国協定の成立を端緒に,アンゴラ問題の解決への動きが進み,ナミビア独立への過程が大きく進展していることを心から歓迎します。ナミビアの独立は,アフリカ大陸における非植民地化の目的達成を告げる歴史的,象徴的意義を有するものであります。国連は,今組織をあげて独立の過程が円滑に行われるべく努力しており,そのことは国際的に高い評価を受けております。このような貢献は,国連でなければ果たすことのできないものであり,国連の有用性を示すものとしても特に大きな意義があるでありましょう。我が国としては,「平和のための協力」の一環とし7て11月に予定される制憲議会選挙の監視に参加するため,30名程度の選挙監視要員をUNTAGに派遣することとしております。
アフガニスタンにおいては,未だにアフガン人同士の戦闘が継続しており,情勢は憂慮にたえません。我が国としては,アフガニスタンの真の安定達成のためには,国民の総意を反映した幅広い基盤を有する政権が樹立されることが不可欠であると考えます。我が国は,国連調整官事務所を通ずる拠出をはじめとして,アフガン難民の帰還を助ける医療・インフラ整備分野での人的協力等,積極的な協力を行っておりますが,アフガン人自身による問題解決の真剣な努力によりアフガニスタンに一日も早く平和が回復し,難民の安全かつ名誉ある帰還が早期に実現することを願ってやみません。
イラン・イラク紛争については,国連監視団の活動により停戦が遵守されていることを評価するものであります。しかし,1年を経て現在に至るも和平交渉は実を結んでおりません。私は,両国が安保理決議598に基づく包括的な和平実現のために,粘り強くかつ柔軟な姿勢で交渉に臨むことを強く期待しております。我が国は,引き続き,事務総長の仲介努力を全面的に支持するとともに,本件紛争の解決に向けてできるかぎりの協力を行う所存であります。
中東和平については,昨年末のパレスチナ民族評議会開催以来,占領地における選挙提案等数々の注目すべき動きが生じておりますが,未だ和平プロセスに何等の具体的進展も得られていないことを憂慮せざるを得ません。インティファーダが継続する中で,被占領地情勢はますます深刻化しており,公正,永続的かつ包括的な和平の早期実現へ向けて,関係当事者による忍耐強い努力が継続されていることを高く評価するとともに,これが具体的成案に結実することを強く期待するものです。我が国としても,かかる関係当事者の和平努力を積極的に支援すべく,関係アラブ諸国,PLO及びイスラエルとのハイレベルの政治対話を強化する所存であり,また対パレスチナ人支援にも努めてまいります。
レバノン情勢も放置することはできません。私は,関係者の最大限の自制を通じ,戦闘を終結して新たな国民和解実現への糸口が見い出されることを強く期待しており,かかる意味からもアラブ連盟,とりわけ三人委員会の活動を高く評価するものであります。また,我が国はあらゆるテロ,誘拐等の非人道的行為に反対するものであり,すべての人質の早期解放を強く訴えます。
南アフリカにおける人種差別は許されざるものであり,一日も早く全面的に撤廃されなければなりません。私は,南アフリカで今般成立した新政権が,アパルトヘイト撤廃に向けて具体的かつ実効的な行動をとるよう切望します。そのため,我が国としては今後とも国際社会と協調して,南アフリカに対し,非常事態宣言の撤廃,ネルソン・マンデラをはじめとする政治犯の釈放,ANC等反アパルトヘイト団体の合法化を行い,黒人各層との対話を早急に開始するよう働きかけていく所存であります。また,我が国は,アパルトヘイトの犠牲者である南ア黒人に対する支援及び南部アフリカ諸国援助を積極的に行う考えであります。
中米紛争については,最近,中米5カ国大統領会議の合意に基づき,国連が関与する形で和平プロセスが進んでいることを歓迎しており,我が国は,国連の活動支援の一環として明年2月に実施されるニカラグァ総選挙のための国連選挙監視団に,要員を派遣する用意があります。また,安全保障面の検証メカニズム等についても,今後我が国の協力を検討していく考えであります。
朝鮮半島問題は第一義的に南北両当事者の直接対話により平和的に解決されるべきものであります。我が国としては,南北間の建設的かつ実質的な対話が進展することを期待いたしており,かかる観点から,昨年7月7日の虜泰愚大統領特別宣言以来,韓国側が南北対話に積極的に取り組んできていることを評価いたします。昨年のソウル・オリンピックを一つの契機として,韓国と社会主義諸国との交流が進展していることは,朝鮮半島の緊張緩和にとり好ましいことであります。我が国は,そのような新たな情勢も踏まえ,国際政治の均衡に配慮しつつ,日朝関係改善に努力するとともに,南北対話のための環境作りにも貢献したいと考えます。更に,朝鮮半島統一に至る過渡期の措置として,南北が同時であれ別々であれ国連に加盟することを,国連の普遍性を高めるとの観点からこれを歓迎し,支持するものであります。
国連はこのように世界各地の地域紛争の解決に向けて,特に平和維持の分野で重要な役割を果たしてきました。
国連にとって紛争発生後の平和維持活動と並んで重要な任務は,紛争の発生を未然に防ぎ,その脅威を除去することであります。また,仮に予防できなかった場合も,紛争力大事に至らぬ段階で解決するよう努力することであります。我が国をはじめ6カ国の共同提案により昨総会で採択された「紛争予防宣言」は,加盟国,安保理,総会の役割と並んで事務総長に対して,紛争の未然防止のための直接関係国へのアプローチ,紛争の予想される地域への事実調査団の派遣等を検討するよう求めており,私はこの宣言の重要性をここで強調したいと存じます。
我が国は,世界各地の紛争の解決並びにそのための国連による和平の実現(ピース・メイキング)及び平和維持の活動に対し,最大限の支援を行ってまいる所存でありますが,このような我が国の「平和のための協力」の具体的内容をまとめれば大きく次の四原則に立っていることを申し上げたいと存じます。
第一に,国連事務総長が率先して行う和平実現への努力を全面的に支持するとともに,我が国の外交努力を傾注して地域紛争の解決に向けできるかぎりの協力を行うということであります。
第二は,我が国は,国連の行う平和維持活動に対し,可能な限りの財政的支援を行うよう努めるとともに,我が国にとって適切な協力分野における要員の派遣についても協力を強化するということであります。我が国は時宜に応じ自発的拠出金を供与してまいりましたが,本年8月には,さらに,地域紛争が解決の暁に新規PKO活動が遅延なく開始できるための経費として,平和維持活動支援強化拠出金を供与しました。私は,本基金の拡充のため各国の参加を強く訴えるものであります。
第三は,世界各地の紛争に関連して発生する難民に対し,UNHCRへの拠出をはじめとする各種援助を強化していくということであります。
第四に,世界各地の紛争の終了後には,戦禍をこうむった国土や経済の復興再建,及び被災者等の民生の安定,向上のため,可能な限りの協力を行うということであります。
議長,
世界の恒久的な平和と安全を維持する上で死活的に重要な課題は,軍備管理・軍縮の実現であります。我が国としては,その安全にとって世界の平和が不可欠であるとの見地から,この面の努力を一層強めてまいります。
現在米ソ戦略核削減交渉,欧州通常戦力交渉が進展していることは喜ばしく,東西関係の一層の安定化がもたらされることを期待いたします。国連や軍縮会議など多国間の軍縮努力の面では,先ず化学兵器禁止の分野において大きな前進がはかられ,本年1月のパリ会議,及び今月のキャンベラにおける官民合同会議等を通じ,包括禁止条約の早期締結に向けて関係国の真剣な交渉が続けられました。私は,ブッシュ大統領が昨日明らかにした化学兵器の全地球的な廃絶に向けてのイニシアチヴを高く評価します。また,明年の核不拡散条約再検討会議に向けて核軍縮の分野においても粘り強い努力が続けられていることは,心強い限りであります。
効果的な軍備管理・軍縮を実現するためには,適切な検証措置が不可欠でありますが,近年この面での創意工夫がますます求められるようになってきました。我が国は,持てる技術を結集して,核実験禁止の分野において核実験国際検証ネットワークづくりにイニシアチヴをとっているほか,化学兵器の禁止を確保する検証制度の確立に向けて,高度に発達した化学産業を国内に持つ我が国の立場から建設的な提言を行っております。
軍縮に向けてのかかる我が国の努力の一環として,本年4月,国連軍縮京都会議が我が国で開催されました。この会議で核実験国際検証ネットワークにつき認識が深められ,米ソ間軍縮と国連等における多国間の軍縮努力が相互補完的に進められるべきである旨確認されたことは,大きな成果であったと考えます。我が国としては今後とも,軍備管理・軍縮の実現を目指す国連,ジュネーヴ軍縮会議における国際的努力に協力を惜しまない所存であります。
議長,
国際社会の持続的繁栄の実現のためには,開発途上国の発展をはからなければなりません。このためには,各国が地球的視野に立って協力することが必要であります。我が国はこれまでも,途上国の経済開発及び調整努力を支援・強化するため,積極的な貢献を行い,政府開発援助(ODA)を計画的に拡充してまいりました。現在は第4次中期目標の着実な達成に向けて努力を行っているところであります。また,我が国は本年7月,従来から実施してきた「1987年から3年間で300億ドル以上」の資金還流措置を「現行3年間を含む5年間で650億ドル以上」に拡充することといたしました。途上国の累積債務問題については,新債務戦略への支援として,今回拡充される資金還流措置のうち合計100億ドル以上のアンタイド資金を債務戦略適用国に供与することを目途としております。
サハラ以南アフリカ諸国をはじめとする低開発国に対しては,一次産品市況の低迷,低成長,貿易赤字,債務の累積等の困難が深刻化しており,特別な配慮が必要であります。我が国は,これら諸国の経済構造改善努力への支援を強化するために,現行の約5億ドルのノン・プロジェクト無償資金協力を拡充し,新たに1990年度から3年間で約6億ドルを供与する用意があることを表明しております。また,本年度よりの追加的な措置も含め元本合計約55億ドルに上るLLDCに対する過去の円借款債務を対象とした債務救済のための無償援助を実施しております。
さらに,開発途上国の発展のため国連及び関係機関の果たす重要な役割を強調したいと思います。我が国としては,今後ともUNDP等の国連開発事業を支援していくとともに,来年に予定されている経済特別総会,LLDC国連会議及び第4次開発の10年のための国際開発戦略策定作業に積極的に参加する所存であります。
議長,
人類史的に見ても地球社会は今大きな変革期を迎えているといえます。
人類の歴史の中で,18世紀後半における蒸気機関の発明は産業革命を引き起こし,経済や社会の構造を画期的に様変わりさせることを示しました。その後,19世紀から今世紀中頃まで,合成化学の発達や原子力工学,石油化学,材料工学,電子工学等の進歩により技術革新の波動が続き,人類社会の発展は休むことがありませんでした。そしてさらに人類の目は,宇宙へ向けられ,そして,深海底探査の技術開発に成功し,更にバイオテクノロジーによる生命の神秘の発見へと開かれたのであります。また,通信衛星の急速な発達は,地球のどこにいてもリアルタイムで情報交換や映像の受信が可能となり,今や地球は情報化された一つの村社会になりました。このような科学技術の飛躍的な発達は,人類共通の諸問題を解決する無限の可能性を提供しております。これを現実のものとするには,基礎科学の分野における不断の進歩がなければなりません。この分野における資金的,人的資源の効率的活用のためには,科学者の交流による国際共同研究の推進,技術の交流・移転が重要であります。
しかし,反面では,科学技術の発達を背景とした経済活動の飛躍的な拡大が地球生態系のバランスを崩すような形で進められる場合には,取り返しのつかない地球的規模の破壊を引き起こす危険があることを証明しました。実際,人類が宇宙や深海底探査に歩みだした僅か30年間は,人類の歴史の中では一瞬にすぎませんが,この間に地球環境の破壊は加速度的に進んだのです。地球温暖化,オゾン層の破壊,熱帯雨林の減少,酸性雨,砂漠化の進行等,今地球は病んでいます。地球環境問題が国際社会全体で取り組まねばならぬ人類的課題として出現したのです。美しい自然を保護し健全な地球環境の再建に取り組み,人類の未来を守っていくことは,現代に生きる人類共通の責務であります。
全世界の国民が住む国のいずれを問わず,快適で健康的な生活を送る自然環境を確保することは,国際社会の繁栄を実現する大前提であります。環境破壊,人口急増,自然災害等,その影響が国境を越え,地球規模で現われる人類共通の課題こそ国際社会が取り組まねばならないグローバル・チャレンジであり,普遍的組織である国連が総力をあげて貢献すべき分野であります。我々の子孫がこの地球上で繁栄し続けていくためには,地球環境を人類の手で適切に管理していくための国際社会の一致した緊急行動が是非とも必要ではないでしょうか。我が国としては,地球環境問題については,次の四つの原則を踏まえるべきであると考えております。
その第一は,世界経済の安定的発展を図りつつ地球環境保全に努めることであります。
第二は,地球環境保全の基礎として科学的知見を重視することであります。
第三は,問題への対応はグローバルでなければならないということであります。
第四は,開発途上国の立場を十分に配慮することであります。
我が国は従来より,環境問題への取組みを重視してきましたが,これらの原則に則って,多国間及び二国間協力を通じ,我が国の持つ科学技術,経験,知識を生かして積極的に取り組む所存であります。その一環として,国連環境計画(UNEP),国際熱帯木材機関等の国際機関の活動を引き続き支援するとともに,今後3年間に3,000億円程度を目途として環境分野における政府開発援助を拡充することにしております。
また,我が国は,UNEPの協力を得て,今月中旬地球環境保全に関する東京会議を開催いたしました。同会議では,地球温暖化等の大気変動及び途上国における開発と環境という二つの問題を中心に,今後の方途につき主として科学的見地から建設的議論が行われ,提言がまとめられました。中でも,初めて炭酸ガス排出の最大許容限度を示し,また,先進国及び途上国が各々とるべき措置を提示する等大きな成果をあげました。我が国としては,これら提言が,今総会における審議,さらには1992年の国連環境開発会議に向けての今後の作業の重要な指針となるものと確信し,これに対し積極的に取り組んでいく所存であります。
地球環境の保全のためにとるべき行動は多岐にわたり,また多数の国連関係機関が各々有意義な計画を実施しております。私は,これらの国際協力がより効果的に,かつ,調整のとれた形で促進されることが必要であると考えます。このような見地から,私は,地球環境問題に関係する国連関係機関の政策調整を,国連が中心となって,より強力に進めるための方途につき本総会において集中的な審議を行うことを提案するものであります。
自然災害の被害を軽減することも,地球の生活環境の保全にとって重要な課題であります。来年から開始される「自然災害軽減の10年」は,提案国の我が国として特に意義深いものと考えます。私は,今後国際的に防災意識の高揚をはかるための活動及び技術協力等に貢献してまいる所存であり,各国の積極的協力を訴えるものであります。
自然環境の保全とともに重大な課題は,地球人類の全員が住む国の如何を問わずひとしく恐怖から免れ,自由と基本的権利を保証され,健康で人間的な生活を享受できるような社会環境を確保することであります。このような見地から世界各地での人権の侵害,難民の流出は国際社会全体としての重大な関心事であります。麻薬問題,国際テロも極めて深刻な国際問題となっております。これら地球規模の人道問題を解決し,人権尊重の社会を実現して,普遍的な価値観を確立するというグローバル・チャレンジは,正しく国連が関係国及び国際機関の協力も得て,その解決に今後一層有効な役割を発揮することが期待されている分野であります。我が国としても,麻薬問題等の解決には国際的な協力が不可欠であるとの見地から,国連のそれらの分野での活動に積極的に取り組んでまいります。特に,最近,我が国へのボート・ピープルの漂着が相次いでおりますが,我が国としてはこの問題の解決に向け,国連難民高等弁務官(UNHCR)をはじめとする国連機関が関係各国とともに果たす役割に強く期待するとともに,従来の実績を踏まえ,今後とも資金協力,定住受け入れ等の面で協力を惜しまない所存であります。
また,人類すべてが健康的で充実した生活を享受できるよう,質的に豊かな社会を実現するためには,医療面での国際協力が重要であります。WHOを中心に各国の協力によって人類の敵であった天然痘は撲滅されました。エイズの世界的流行を見てもその感染の予防と治療について世界的な協力が不可欠であることを示しています。我が国は,伝統的な医学に近代的な西洋医学を取り入れ,医療技術の蓄積を図り,また,世界で一番の長寿社会を実現しました。我が国としては,臨床及び研究分野での協力に加え,国境を越えた感染症の予防,保健教育,プライマリー・ヘルスケアの普及等公衆衛生分野の協力を充実すべく,WHO,UNICEF等を通ずる多国間協力及び二国間協力を通じ,我が国の科学的知見,情報,技術,経験を生かして貢献してまいりたいと考えております。
議長,
大きな変革の時代を迎え国連活動の重点も当然変わるべきものであります。現在国連で進められている行財政改革は,変化する国際社会にあわせて,国連自体が,緊急性を失った活動から国連こそが効率的に対処すべきグローバル・チャレンジへと人員,資金を大きく転換し,新たな時代に適応する活性化した効率的な組織となることを目指したものであります。この行財政改革は,事務総長をはじめ関係者のたゆまぬ努力により,本年末をもって一応3カ年計画を達成するはこびとなりますが,より効果的,機能的な国連を作るとの目標に向けての息の長い努力は,これで止むべきものではありません。生きている組織が退化を避け,より強靭なものとなるには,常に活性化の努力を継続する必要があります。
私は,加盟国全体がこのような国連活性化のための努力を全面的に支持すべきであると考えます。
我が国は,全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ,平和のうちに生存できるような国際社会を作るとの国家目標を掲げ,平和自由国家としての国づくりに邁進してまいりました。その際,国際社会の理想の姿として導きの光を示したのはこのかけがえのない普遍的国際機関一国連でありました。しかし,1945年の創設後,その活動分野を広げ,人道援助,開発事業活動等多大の実績をあげたこの国連も,その後,国際社会の厳しい現実の前に,しばしば理想からの後退を余儀なくされ,無力さ,活動の沈滞などが指摘されました。しかし,人間と同じく,組織や機構は,基本的にはその構成員の意欲や態度によってその良否が決定されます。その意味で,国連は国際社会の現実をそのまま映し出す鏡でもあるとも言えましょう。国際社会の平和と繁栄を築くという国連の理想に一歩でも近づくか,逆に後戻りするかは,一に加盟国自身が国連という機構を如何に活用していくかという意欲や態度にかかっております。
国連創設40周年を機に行われた省察と改革の時期を経て,国連は次の半世紀に向けてルネサンスの時期を迎えつつあるように思われます。現下の国際社会にとって急務である平和の達成と軍縮の促進,繁栄の持続,環境等地球規模の問題の解決,人権尊重社会の実現というグローバル・チャレンジに,加盟国が国連の場を通じ総力をあげて取り組み,成果をあげていくならば,国連に対する信頼と期待はますます高まるものと信じます。
1990年代の国際社会をより安定し,繁栄したものとする上で,国連の役割は大きく,我々加盟国の責任も重いものがあるといわなければなりません。加盟以来,一貫して国連重視の立場をとり,国連に信頼と期待を寄せてきた我が国としては,この地球社会を構成する責任ある一国家として,また,国際秩序の重要な担い手の一員として,今後とも国連の下,世界の平和と繁栄,より公正で人間性豊かな国際社会実現のため,あらゆる努力を重ねる決意であります。
御清聴ありがとうございました。
(90年1月9日,ベルリン)
モンパー市長閣下,ベルリン市民をはじめとする御列席の皆様。
最初に,温かい御歓迎を心から感謝いたします。
本日私は,このベルリン日独センターで演説を行う機会を得ましたが,このセンターは,東洋と西洋の文化交流の場,東西の相互理解のかけ橋となることを目指して設立されたものであります。まさに東西関係はヨーロッパを中心として大きく動こうとしております。先程はモンパー市長閣下の御案内で,あの壁の前に立って参りました。大勢の市民が集まって喜びの表情で声をかけて下さるあの雰囲気を見ますと,今日の気候は寒かったけれども,私の心は極めて温かったのであります。そして,この日独センターの演壇に立っていることに,私は大きな感慨を覚えるものであります。
御列席の皆様。
チャーチル元英国首相が「鉄のカーテンの背後には,古いヨーロッパの国々の首府がある。」と述べたのが,1946年3月のあの有名な「鉄のカーテン演説」でありました。
その後,ウィーンとベオグラードは鉄のカーテンの外に出ることができましたが,その他の首府は,長く苦難の歴史を歩んできました。西ベルリンでは自由と民主主義が,幾多の挑戦にもかかわらず西側の団結によって維持され続けて参りましたが,ベルリンの壁は,人間が本来有する自由に対する明らさまな挑戦であったと同時に,これを築いた者が,支配下にある人々に対して自由を拒否し,繁栄を与えることに失敗した象徴となってきたのであります。
私は壁が築かれた翌年,国会議員となって初めてベルリンを訪問いたしました。境界線にある建物の窓がレンガで埋め尽くされていたあの荒々しい光景は,今も鮮やかに思い起こされます。当時私は,ドイツ連邦共和国のスポーツ・ユーゲントが夏休みの活動の一環としてバイエルンの山の中で合宿し,最後にこのベルリンに飛んできて,壁の前に立ってこの壁が崩壊する日まで頑張ろうと誓うとの話を聞きましたが,私はこれを今でも忘れることができません。その後数回にわたる訪問のたびごとに,壁を越えようとして銃弾に倒れた人々の墓標の前に立って,ベルリンに自由が姓ってくる日の一日も早からんことを私も共に祈ったのであります。今回,この壁の崩壊についてベルリン市民の皆様に対し心から祝福の言葉を述べることができますことは,私の大きな喜びであります。私はまたここで,東側の関係者に対してもその勇気ある決定を称えたいと思います。なぜなら,過去のあやまちを正す勇気によって歴史というものは前進するからであります。
思えば,1989年に東欧で起きたもろもろの事件は,20世紀後半の最大の事件として歴史に残るのではないでしょうか。情勢の変化の速度は誰も予測できず,その変化の内容も極めて劇的であり,まさに歴史はドラマであると感じさせるものでありました。ポーランドにおいて「連帯」が連立内閣を組織することも,ハンガリーにおいて国名や支配政党の党名まで変えられることも,またチェッコス口ヴアキアにおいてドゥプチェク氏がプラハの大衆の前で演説を行うことも,更にティミショアラという町がルーマニアにおける自由の発火点となるということも,私達のうち誰が予想し得たでありましょうが。そして東欧情勢の激変を最も劇的に象徴するベルリンの壁の事実上の崩壊についても,1週間前に私達のうち誰が予想し得たでありましょうか。
私はこの際,東欧諸国が歩いてきた戦後の苦難の道のりの中で,また最近ではルーマニアの政変において,自由を求めた多くの方々の尊い命が失われていったことに対し,深く哀悼の誠を捧げたいと思います。東欧諸国の人々は,このような困難と犠牲を乗り越えながら,今,新しい歴史を自分達の手で築き上げているのであります。
御列席の皆様。
私は今回,西欧諸国及びポーランド、ハンガリーを訪問するところですが,その背後にある基本的考え方を申し述べたいと思います。
第1に,東欧諸国の改革の動きは,ヨーロッパの情勢のみならず,戦後の国際秩序の基本的構造に影響を与える性格のものであり,当然ながらアジア・太平洋地域の安定化にも大きな意味を有するものであります。今日,先進民主主義諸国の主要な一員として経済的役割のみならず政治的役割をも期待されるようになったわが国は,世界の平和と繁栄のために汗を流す志ある外交を展開していくべきであると私は確信しており,このような国際秩序の安定化のために積極的に貢献していきたいと考えております。
更に,東欧諸国の改革が,自由と民主主義及び市場経済に基づく体制を目標とするものであるが故に,このような改革へのわが国の関与は特別な意味を有するものであります。即ち,わが国は,戦後,自由と民主主義と市場経済に基づく体制を選択しました。その選択が正しかったが故に国民生活の向上と国力の増大に邁進することができたのであります。わが国としては,我々と同じような価値観に基づく改革の目標が東欧諸国において円滑に達成されることに多大の関心を有しており,私がポーランドとハンガリーの改革への努力を勇気づけるために両国を訪問しようとしておりますのも,このような認識に基づくものであります。
ポーランドとハンガリーの改革が安定的かつ円滑にその目的を達成するためには,中央統制経済体制から市場経済体制への移行が円滑に行われ,経済再建と経済開発が共に進むことが極めて重要であります。そのためには,まず両国が自助努力を続けることが不可欠ですが,国際的協力により市場経済体制の経験が両国に伝えられていくことも必要でありましょう。わが国としては,経営管理,環境等の分野での研修生の受け入れ,専門家の派遣等によって,改革に必要な技術の移転を図るよう協力したいと考えており,向こう数年間にわたって2,500万ドル程度の技術協力を行うこととしました。わが国は,資金を供与する形の協力だけではなく,青年海外協力隊という制度を有しており,技術を身につけたわが国の若者が,海外で現地の人々と生活と労働を共にしながら経済と社会の発展に協力しております。私は要請があれば,両国に対する技術協力を進める中で,このような志あるわが国の青年を派遣する枠組みづくりを検討したいと思います。
またわが国は,外貨事情及び食糧事情の悪化しているポーランドに対し,通貨安定化基金に対する支援として1億5,000万ドルの協力を行うとともに,2,500万ドル程度の緊急の食糧援助を行うこととしました。
更にわが国は,一定の条件の下に日本輸出入銀行よりポーランド及びハンガリーに対してそれぞれ3年間に5億ドル程度を目途とする融資の供与を予定しております。また貿易保険については,ポーランドに対して一定の条件の下に保険の引受を再開し2年間に3億5,000万ドルの引受枠を設定することを予定するとともに,ハンガリーに対する引受枠を2年間で2億ドルから4億ドルに拡大したところであります。
私は,わが国と両国との間の経済関係の緊密化が,両国の発展に寄与するものと確信しております。このような観点から政府としては,本年春に両国に対し大型の経済投資環境調査ミッションを派遣する考えであります。更にわが国としては,両国が希望する場合には,それぞれの国との間で投資保護協定締結交渉を開始する方針であります。
わが国としては,これら諸国の経済改革を支援するため,欧州復興開発銀行の設立の検討への参加を含め,多数国間の枠組みにおいても他の先進民主主義諸国と協調しつつ協力していく考えであります。
この際,私は,ポーランドとハンガリー以外の東欧諸国についても,これら諸国が民主化と市場経済を目標とする改革を実施するときには,他の先進民主主義諸国と共に積極的に対応していく用意があることも明らかにしておきたいと考えます。
またわが国は,東欧諸国との間でも文化交流を強化したいと考えており,意思の疎通を促進し,相互理解を深めるため,今後これら諸国から報道,教育,情報・通信等の分野の青年指導者をわが国に招待していきたいと考えています。
御列席の皆様。
第2に,今日の東欧の事態は,わが国と西欧諸国が協力関係を強化していく必要性を改めて示すものであります。私の欧州訪問の主要な目的の1つは,まさに,新しい秩序を模索する今日の世界の中で,わが国と西欧の国々がグローバル・パートナーとして協力していく関係を一層強化していくことにあります。西欧諸国と米国は大西洋を越えて,またわが国と米国は太平洋を越えて,緊密な関係を発展させてきました。私は,先進民主主義諸国が,この変化の時代がもたらす挑戦に効果的に対応するためには,欧亜大陸を越えて日欧の協力関係を一層強化させることが焦眉の急であると信じているものであります。
ヨーロッパの今後について展望すれば,東欧諸国における改革が進展していくにつれて,ヨーロッパの分断の克服への動きが活発化していくでありましょう。ドイツの統一問題については,私は,戦後2つに分断されたドイツ人の統一への正当な願望が民族自決権の自由な行使を通じて円満に実現されるような平和と安定の枠組みが確立されるように心から希望しております。
百数十年前に近代化を志した時からヨーロッパ諸国より自由と民主主義の価値や多くの進んだ制度,技術,文化を学んだわが国としては,かねてより,政治的に強力で,経済的に繁栄し,自信に満ち溢れたヨーロッパの復活を希望してきました。わが国は,1992年末に向けてのEC統合の動きやEFTA諸国の動きを歓迎いたします。私は,先進民主主義諸国が,自由と民主主義及び市場経済に基づく体制を採用したという選択の正しさに甘んじることなく,より一層発展していくための努力を続けなければならないと確信しており,西欧諸国と共に,開放的経済体制の維持・発展に引き続き努めなければならないと考えております。
このような経済問題のみならず,今日世界が直面している諸問題は,米国をも加えた日米欧の協力関係を世界的規模で更に強化すべきことを求めております。まさに,ソ連と東欧に今日の変化をもたらしたのも,結局は,西側が結束して,自由と民主主義の旗を掲げ続けてきたことにあると私は信じます。
わが国は,1988年に開始した「国際協力構想」を着実に実施しております。私はこれを更に発展させ,この構想の三本柱,即ち,平和のための協力,政府開発援助の拡充及び国際文化交流の強化に加えて,人間性が豊かで,より住みやすい地球を作るための協力を強化することとしております。これは,わが国がその取り組みに豊富な経験を有する環境問題等の地球的規模の問題の解決や科学技術の発展のための協力を含むものであります。私は,これらの問題を世界経済の運営の問題と併せ,日米欧の共同作業の中にできる限り組み込みながら,世界の平和と繁栄のために積極的に貢献したいと考えております。
御列席の皆様。
第3に,最近の東西関係においてはイデオロギー上の敵対関係が薄れ,総じて対決から対話と協調へと力点が移されてはおりますものの,国際情勢はいまだ不透明かつ流動的であり,また,ソ連は今日のところ依然として軍事超大国であり,また,世界の安全が抑止と力の均衡によって確保されていることに変わりはないということであります。勿論,力の均衡ができる限り低いレベルで達成されるよう,努力する必要があることは当然であり,この観点からわが国は,軍備管理・軍縮交渉の進展に期待するものであります。
御列席の皆様。
最後に,このような東西関係における動きとアジア・太平洋地域及びわが国との関係,並びにこの地域に対するわが国の外交努力について触れさせていただきます。
東欧で現在起こっていることは,ゴルバチョフ・ソ連最高会議議長を始めとするソ連指導部の推進する新思考外交の1つの結果であると見られ,私達はそのようなソ連の外交的態度の変化を歓迎するものであります。
アジア・太平洋地域との関係については,ゴルバチョフ議長が,その著書『ペレストロイカ』の中で「世界の政治は21世紀にはアジア・太平洋地域に焦点をあてることになろう。」という見方を示していることを指摘したいと思います。私は,ソ連が新思考外交をこの地域においても積極的に適用し,ソ連とアジア・太平洋地域の各国との関係が真の友好と真の信頼を基礎に発展するようになることを心から願うものであります。
また,わが国はソ連のペレストロイカの正しい方向を支持しており,日ソ関係についてはその正常化を目ざして政治,経済等の諸分野を均衡のとれた形で拡大していきたいという考え方で臨んでおります。外務大臣等ハイ・レベルの交流が活発化し,ゴルバチョフ議長の訪日も1991年に予定され,日ソ貿易も,ソ連の西側貿易相手国のうち第3位のパートナーとして順調に進んでおります。他方,最近の急速な東西関係の進展にともなって冷戦構造に起因する事態が解消されつつある中で,極東において未だ残されている問題として北方領土問題があります。私はこの問題を解決して平和条約を締結し,日ソ間で真に安定した友好関係を発展させる決意であります。また,このようにして,アジア・太平洋地域の平和と繁栄のために,米国,中国等とともに,ソ連とも協力していくことを強く望むものであります。このことからも明らかなように,日ソ関係は決して日ソニ国間だけの問題ではなく,アジア・太平洋地域,ひいては世界の平和と安定のために大きな意義を有するものであることを強調させていただきたいと思います。
わが国はアジアの一員として,アジア・太平洋地域の平和と繁栄のためにできる限り貢献することを外交政策の基本の1つとして参りました。わが国は,この地域に対する外交努力を更に強化することといたします。第1に,朝鮮半島の緊張の緩和については,基本的には南北両当事者の努力によるべきであるとの立場に立ちつつ,韓国との友好関係を更に進めながら北朝鮮との直接対話の実現に努めて参ります。第2に,中国については,先般の天安門事件は誠に遺憾な事件ではありますが,中国が孤立化の道を進むことなく世界の諸国と安定した協力関係を維持することは,アジア・太平洋地域の平和と繁栄にとり極めて重要であり,今後とも,かかる認識に立った双方の努力が積み重ねられるべきであると考えております。第3に,カンボディア和平の問題については,わが国は包括的政治解決への国際的努力に引き続き積極的に参加するとともに,これが達成された暁には,復興援助の面で主要な役割を果たす決意でおります。
御列席の皆様。
今人々は,冷戦が終わったのかどうか,あるいは,終わろうとしているのかどうかについて論じておりますが,私達が今新しい時代を迎えつつあることは確かでありましょう。
私は,先に述べたわが国の努力を含む世界的規模の協力を積み重ねていくことによって,新たな国際秩序を作り上げ,あと10年に迫った21世紀を,戦争という言葉のいらない世紀,人類の福祉の向上に向けて大きく前進していく世紀とするよう強く訴えたいと思っているのであります。
28年間,歴史と人々の自由に対して挑戦し続けたベルリンの壁。私も初訪問の時以来,心を痛めて見つめ,日本に帰ったら日本の人々に対してその非を訴え続けてきた,恐怖と憎しみの象徴であったあの壁。私達日本国民は,この壁が崩壊して,東西ベルリン市民が交流する感動的な場面をテレビに釘付けになりながら見つめておりました。昨年11月のあの数日間の興奮を私は決して忘れないでしょう。西ベルリン市民が東ベルリン市民に差し出したあの1杯のスープ。壁の上にいた西ベルリンの少女に東ベルリンの警官が差し出したあの1本のバラ。1杯のスープ、1本のバラがこれほど大きな意味を持った時があったでしょうか。恐怖と憎しみの壁は喜びと再び繰り返してはならないという誓いと思い出の壁になったのであります。私は,誰よりも高く,誰よりも勇敢に今日まで自由と民主主義の旗を掲げ続けてきたベルリン市民の皆様に対して,心から深く敬意を表したいと思います。
モンパー市長閣下とベルリン市民の皆様の御発展を祈り,ベルリンの壁の西からも東がらも春の歌が湧き上がってきたこの今日を大切にしながら,皆様の一層の御発展と世界の平和と安定を期待して,私の演説を終わりたいと思います。
御清聴ありかとうございました。
(4) ニュー・デリーにおける海部内閣総理大臣政策演説「日本と南西アジアー平和と繁栄のための対話と協力関係を求めて」
(90年4月30日,ニュー・デリー)
副大統領閣下,首相閣下,下院議長閣下,並びにインド議会議員の皆様,
(冒頭挨拶)
本日,権威あるインド議会において所信を表明する機会を得ましたことは,私の深く喜びとするところであります。
私は,過去30年間,議会制民主主義の下で国会議員として政治生活を過ごしてまいりました。
私が貴国を初めて訪れたのは,1969年,列国議会同盟の会議が当地ニュー・デリーで開催された際でありましたが,今回再びインドにおいて私の所信を申し述べるに際し,私は議会人として光栄に思うと共に感慨無量のものがあります。
議員の皆様,
私は,人が人として尊重される公正で心豊かな世界をつくることを政治信条としてまいりました。すべての人々が,それぞれの豊かな可能性を十分に発揮することができる環境を創造し,それによって人間の幸福を実現することこそ政治の使命であると考えてまいりました。私が,学生の頃,教室においてその人となりを学んだマハトマ・ガンジー翁は,いまから半世紀前,「民主主義の本質とは,あらゆる国民各層の物理的,経済的及び精神的な資源を国民すべての共通の福祉のために活用する芸術であり科学である」と述べています。この言葉は,民主主義が政治制度の問題にとどまらず,ヒューマニズムの社会的,経済的,文化的実現にも不可欠であることを的確に表現したものであります。私は,ガンジー翁の言葉に政治家として強い共感を覚えるとともに,現在の世界の状況に照らして考えるとき,これがいかに的を射た言葉であったかに驚くばかりです。
(世界情勢の変化と新しい国際秩序)
議員の皆様,
「民主主義を通じ自由で豊かな社会の実現を」という私の政治信条は,日本にだけ向けられたものではありません。私は,現在の世界がこの理想の実現を可能にする方向に向かっていることに,強く勇気づけられるのであります。
私は,今年1月の欧州訪問の際,崩壊したベルリンの壁にただずみ,さらに,改革を進めるポーランド及びハンガリーを訪れましたが,そこで目にしたのは,人間らしい生き方を求める声の高まりによって,社会がこれまでの制約や束縛を大きく乗り越えつつある姿でした。
今や世界は政治的にも経済的にも急激な変化を遂げています。変化の核心は,自由と民主主義及び市場経済の理念が,世界のより一層多くの人々に受け入れられつつあることであります。これは,人が人として尊重される世の中を実現するための条件が整えられつつあるということであります。また,これにより,対話と協調を通ずる新しい国際秩序を模索していこうという考え方が優勢になりつつあることであります。
何よりも,これまで一党支配,統制経済を固守してきた諸国が,大胆な自己変革に取り組み始めました。ソ連は,レーニンの共産革命以来70年余の歳月を経た今山共産党独裁の放棄と市場経済の導入への道を歩みだしました。東欧諸国は,さらに進んで多元的価値に基づく政治体制と,市場原理に基づく経済体制への移行に着手しています。また,国家間の関係においては,これまで進められてきた欧州共同体の統合に向けての進展に加えて,ドイツ民族の統一への動きが急激な展開を見せています。米ソ関係においても,これまでの冷戦の発想を超えた新しい関係の構築へ向かう動きがみられており,世界全体に大きな影響を及ぼしつつあります。
もちろん,このような世界情勢の変化が,直ちに世界のすべての地域における平和と安定に結び付くとは限りません。世界の安全が依然として抑止と力の均衡によって確保されていることにも留意することが必要です。さらに,ソ連の構成共和国等で見られるように,今まで封じ込められてきた対立要因の顕在化という現象もみられます。古い国際秩序が移行期に入るとともに,混乱や無秩序やテロリズムや地域紛争が拡大したり,古くからの民族対立や宗教対立が復活するようなことがあってはなりません。私は,過去の冷戦時代の名残りを1日も早く取り除くと共に,新たな不安定要因の発生を未然に防ぎ止め,今,歴史が人類に与えた好機を人類の未来のために,賢明に役立てるべきだと確信します。私が先日ベルリンにおいて東欧諸国の改革に対する支援を明らかにしたのは,まさにこのような考えに立つものです。
議員の皆様,
世界経済にも,大きな変化が現われております。
第2次大戦後,多くの国は,多角的開放貿易体制を選択しましたが,その下で世界経済は大きく発展しました。とりわけ80年代の世界経済の拡大は著しいものがあります。私はその重要な要因の1つは,この間の先進経済諸国の政策協調の成功にあると考えます。このような政策協調は,先進国のみならず,開発途上諸国を含めた世界経済全体の発展を目指すものであり,我が国としても,引き続きその維持,強化を図っていく所存であります。
他方,経済の幅広い分野における相互依存関係の深まりと地球化時代の到来とともに,現在の体制は,これまでのものと未来からのものとによる二重の挑戦を受けています。
まず,依然として債務累積問題に悩む開発途上国もみられ,これら諸国の経済困難の解決を図ることが,世界経済全体のためにも必要であります。また,一方的主義,二国間主義,相互主義への偏重,閉鎖的な地域主義等の保護主義の脅威は根強く,戦後貿易秩序を支えてきたガット体制の維持,強化を図ることが急務であります。この関連で,経済の分野における相互依存の急速な進展の結果,これまでガット体制の枠組みにあったサービス,知的所有権,投資関連の取引が大きな比重を占めるようになり,モノの動きだけを律する体制を超えた新しい国際経済秩序の形成が要請されております。さらに近年,国際社会においては,地球環境,麻薬,テロ,人口増加等,地球的規模に立った取り組みを要する問題が現われてきています。
議員の皆様,
こうした情勢の中で我々が迎えた1990年代は,新しい時代の始まりであります。同時にそれは,このように希望の中に不安が混在する時代でもあります。未来を保障する国際秩序の具体的な姿はいまだ明白ではなく,我々は,いまから力を合わせて,この新しい秩序を構築しなければなりません。
私は,この新しい国際秩序は,次の条件を満たすものであるべきだと考えます。
第1に,平和と安全が永続的に保障されることであります。
第2に,自由と民主主義が国際秩序の基本的価値として尊重されることであります。
第3に,開放的な自由市場経済体制の下で世界の繁栄が発展的に確保されることであります。
第4に,人間の幸福と福祉を満たす豊かな地球環境が確保されることであります。
また,このような条件を満たす秩序は,国家間の対話と協調を通じてはじめて実現可能なものとなりましょう。
議員の皆様,
日本は第2次世界大戦後,歴史の教訓に学び,軍事大国にならないことを選択しました。それは,これまで我が国の一貫した姿勢でありましたし,また,今後の基本的立場でもあります。力による対立が世界の秩序を支配する時代においては,国家間の秩序維持のためになし得る我が国の貢献は自ずから限られたものであったと言えます。しかし,時代は大きく変わりました。対話と協調による新しい世界の構築が求められている現在,日本は,今日まで蓄積してきた経済力,技術力,経験をもとに,積極的な役割を果たしうるし,また果たしていかなければなりません。かかる認識に立って,我が国は一昨年「国際協力構想」を打ち出しました。これは,平和のための協力強化,政府開発援助の拡充強化,国際文化交流の強化の3つの柱からなっており,我が国は,この間,世界に向けてその着実な具体化を図って参りました。そして私は,いまやこの日本の構想が,一層の有効性を発揮できる時がきたものと信じます。
また,私はこの機会に,インドをはじめとする南西アジア諸国と日本が共に位置するアジアにおいて,我が国がこの地域の平和愛好諸国家と協力して,緊張の緩和と紛争の平和的解決等のためどのように積極的に貢献しようとしているかを申し上げておくことが必要であると考えます。
まず,中国についてであります。我々が求めるのは,安定し開かれた中国であります。先般の天安門事件は誠に遺憾であると考えておりますが,同国が孤立化の道を進むことなく,世界の諸国と安定した協力関係を維持することは,アジア・太平洋地域の平和と繁栄にとり極めて重要であると認識しております。また,朝鮮半島の緊張緩和については,日本は基本的には南北両当事者の努力によるべきであると考えておりますが,その間韓国との友好協力関係を更に進めるかたわら,朝鮮民主主義人民共和国との関係改善を目指し直接対話の実現に努めたいと考えております。カンボディア問題については,我が国は,包括的政治解決の早期達成のための各種の努力を重ねてきております。我が国は,問題解決には,カンボディア人当事者間の対話の進展を図ることが最も重要と考えており,その方向で具体的に検討を進めています。
日本にとってアジアの平和と安定は大きな関心事であります。東西の力の対立,冷戦時代の発想を乗り越えて,対話と協調によって新しい世界秩序を模索していこうという動きは,独り欧州にとどまらず,この地域へと連動させていかねばなりません。アジアの戦略的環境や歴史・文化的背景は欧州とは大きく異なっております。従って,この地域においては国家間の相互信頼関係を高め,より低いレベルの軍備で各国の安全保障を図り,対話と協調を基調とする国際関係を構築していくためには,この地域の特徴を踏まえて,この地域の実態に即した努力が多角的に行われることが重要であると考えます。
(日本の南西アジア政策)
議員の皆様,
私は,次に,南西アジア諸国に対する我が国の考え方について申し上げたいと存じます。
世界人口の5分の1に当たる10億の人々が住むこの地域の発展の問題は,それ自体21世紀に向けての人類の共通の重要な関心事の1つであります。今回,私が南西アジア諸国訪問を決意しましたのは,この偉大な文明と10億の人々の存在を背景に,限りない発展の可能性を有するこの地域と日本との友好協力関係を更に発展させるためであります。そして,世界の変革の中で,日本として対話と協力を通じて南西アジア諸国を含むアジアの政治的安定と経済的発展に対し,引き続き力強く支援していく考えであることを明確に表明するためであります。
議員の皆様,
私は,南西アジア諸国と日本との関係を一層幅と深みのあるものにするため,以下の具体的方策を積極的に実施していきたいと考えます。これは,政治・経済対話の促進,開発 援助の推進,文化交流と協力の促進であります。
まず,政治・経済対話の促進について申し述べます。
我が国の「国際協力構想」の第1の柱である「平和のための協力」の推進には政治対話が不可欠であります。近年,我が国と南西アジア諸国の要人の相互訪問を通じ,アジアを中心とする国際政治情勢につき活発な意見交換が行われていることは,大いに歓迎すべきことであります。既に,1984年の中曽根総理の訪問以来,インドからの首脳レベルの訪日は延べ4回あり,その都度有意義な意見交換が行われて参りました。本日の首脳会談におきましても,私は,首相閣下と忌憚のない話合いを行い,首相閣下に対して日本への公式訪問をご招待申し上げました。このような相互訪問を通じ,今後とも,南西アジア諸国,特にインドとの間では,二国間関係やアジア地域の問題にとどまることなく,広く地球的規模の問題についても率直な意見交換を重ねていきたいと思います。
インドの民主主義は世界最大であり,昨年11月の選挙は,人類史上最大の選挙でありました。さらに,私は,近年他の南西アジア諸国においても,国によっては杆余曲折もあったとはいえ,概ね議会制民主主義の定着と社会の安定が図られつつあることを心強く感じます。ネパールにおける最近の進展は歓迎すべきものであり,今後政治改革が具体的に進められていくことが期待されます。
南西アジア域内各国の民族問題,宗教問題の行方は各国の国内の問題にとどまらず,域内の国家間の関係にも影響を与えてきたものと理解されます。私は,これらの国々が各々の制約の中で平和と反映に向けて最大限の努力を行ってこられたことを十分承知しており,この関連でカシミールの問題についても関心をもって事態の推移を見守って参りました。そして,インド・パキスタン両国政府が自制により事態の鎮静化を図ること,シムラ協定の文言と精神に基づき,話合いによって平和的に問題の解決を図ることを期待しています。
議会制民主主義は,人類が様々な経験を経て到達した英知ある政治制度でありますが,他方,民主主義への道程が,各国それぞれの歴史,文化及び社会の実情を反映したものであることも否定できません。とりわけ,国民生活の安定と経済的発展は,議会制民主主義の発展と定着に大きな影響を与えるものであります。
かかる観点から,私は,南西アジア諸国との間で,経済面においても,緊密な意見交換を行ってまいりたいと考えております。
近年世界の経済はますます一体性と相互依存性を高めており,世界経済の運営に開発途上国の声を反映させていくことが重要となってきています。わが国と南西アジア諸国との経済面における対話もこのような文脈でとらえるべきものと考えます。
21世紀に向けた国際貿易体制の行方を左右するウルグァイ・ラウンドの成功のためには,途上国の開発状況に適切に配慮しつつも,すべての参加国がすべての交渉分野について相応の貢献を行っていかなければなりません。この点についても,我々は対話を深める必要があると考えます。
私は,南西アジア諸国が,独立以来,力強く自助努力の道を歩み続けてきたことを承知しております。南西アジアの経済開発をさらに一層推進するに当たって,域内諸国の緊張緩和と,協調関係の確立が重要な前提であることは言うまでもありません。これによって国民の生産的エネルギーが遺憾なく発揮され,域内諸国の国民経済の発展への環境を整備するのみならず,国家財政の資源配分においても安全保障のための負担を軽減し,経済発展に一層の優先度を与えることが可能となりましょう。
その意味で,1985年における南アジア地域協力連合の発足は喜ばしいものでありました。私は,歴史,文化の絆により結ばれた南西アジア諸国が,主権平等,領土保全,国家の独立,武力不行使,内政不干渉という国連憲章の原則に忠実に基づき,各国国民の福祉の増進と社会・文化の発展等の目的を達成するため,力を合わせて一定の成果を挙げ,構成国間の関係改善にも効果を挙げようとしておられることに敬意を表します。私は,南アジア地域協力連合が種々の困難を英知と努力で克服し,設立に際して掲げられたこのような崇高な目的を一歩一歩実現されるよう希望するものであります。またそのため,機構としての南アジア地域協力連合が域外諸国との協力を進めることを希望されるのであれば,我が国としても適切な協力を検討することにやぶさかでありません。
議員の皆様,
第2に,日本と南西アジア諸国との関係において,私が目指したいのは,開発援助の推進であります。
我が国は,世界経済の相互依存関係の深化しつつあることを認識し,人道的考慮にも立って,途上国援助の拡充に積極的に取り組んできました。また,我が国は,アジアの中で近代化に努力してきた国として,開発援助の推進に独自の役割を持つものと考えてまいりました。
かかる観点から,我が国は,「国際協力構想」の中でも開発援助の拡充をとりあげ,これに基づき,88年6月に政府開発援助の第4次中期目標を設定し,88年から92年までの5年間の政府開発援助実績総額を83年から87年までの過去5年間の倍以上の500億ドル以上となるよう努めることとしております。
我が国の南西アジア諸国に対する政府開発援助は,我が国の二国間政府開発援助全体の約2割を占めております。日本政府としては,今後とも南西アジア地域を開発援助の重点地域の一つと位置づけ,可能な限りの努力を傾注してまいる考えであります。なお,東欧諸国が世界の関心を集め,我が国もこれら諸国の政治経済改革を支援するための経済協力の実現を表明いたしましたが,我が国の南西アジア重視の姿勢は,これによりいささかも揺らぐものではないことを付言いたします。
政府開発援助は,量の面ばかりでなく,相手国の国情,開発ニーズに応じたきめ細かい対応を図っていくことが重要です。貧困撲滅と経済開発を目的として,開発途上諸国が行う自助努力を補強するため,我が国は,南西アジア諸国の真のニーズの把握につとめ,それぞれの国の事情に配慮した効果的,かつ効率的な援助を行っていけるよう,政策対話を一層強化していく所存であります。
この点に関連して,私は,開発途上国における我が国の青年海外協力隊の活動に触れたいと存じます。私は,1965年におけるこの協力隊の創設に努力した一人でありますが,この協力隊は,4人の日本の青年がバングラデシュのコミュラーに赴いたことに始まるものです。この4人がバングラデシュで米作りに成功したことが,協力隊の発足につながったのです。今では協力隊員の開発育成した野菜や果物が盛んに栽培されるようになり,なかには,協力隊員の名前で呼ばれる野菜も出現するようになったとの話を聞き,大変喜ばしく,また誇らしく思っています。
我が国と南西アジアとの間の協力関係は,政府による経済協力の面ばかりではなく,民間企業の活動分野でも強化されなければなりません。東欧及びソ連の実例は,企業家のイニシアチブや意欲を生かすことが活力ある経済発展のためにいかに重要であるかを如実に物語っております。いわゆるアジアNIESの躍動的な発展を支えてきたのも,市場メカニズムを重視した経済政策及び外資誘致政策を背景とした活力ある民間投資であります。
南西アジア諸国の活力ある経済発展の重要な鍵のひとつは,政府による規制を最小化し,公営企業の民営化を進めるとともに,産業インフラを整備し,内外投資家の投資意欲を増進させることでありましょう。我が国は,この地域の貿易・投資の主要なパートナーであり,日本政府としても,南西アジア諸国政府と協力しつつ,さらに経済関係強化のための制度上の枠組みを整備,活用していくことに努める所存であります。
議員の皆様,
第3は,豊かな文化と歴史を有する南西アジア諸国との間に,我が国の「国際協力構想」の第3の柱をなす積極的な文化交流と協力を促進することであります。
我が国からは,物質文明に飽きたらず,心の豊かさ,人生の価値,精神の啓発の源を求めて南西アジアへ渡る若者が後を断ちません。彼らは,喧騒と緊張から逃れ,安らぎを求めて,インドの古い歴史や伝統を全身で味わおうとしているのです。また,仏蹟を訪ねる我が国からの巡礼者は,あらゆる年代に亘っております。もっとも,日本におけるかかるインドへの憧れは現在に始まったものではなく,仏教が6世紀に日本に伝わって以来,インド亜大陸は常に我が国民にとって憧憬の対象でありました。私は,それが,西洋がインド文明の偉大さに目覚めるのに先立つこと千数百年であることを指摘させていただきたい
と思います。
一昨年,我が国において約6カ月にわたりインド祭が行われ,目印文化交流に新しいページを開いたことは記憶に新しいところであります。多くの日本人は,その機会に,インドの古い歴史や伝統はもとより,現代から未来へつながる文化の息吹,更には,人類社会の前途を照らす悠久の哲学や精神に触れ,深い感銘を受けました。その際,上演されたインドの叙事詩「マハーバーラタ」が新たな演出と国際的配役の下に大好評を博しましたが,これは,伝統文化が新しい感覚でとらえられることにより,広く世界の文化をより豊かにすることができることを示したという意味で,今後の文化交流のあり方にひとつの方向性を示したものと言えましょう。
87年にインドにおいて行われました日本月間では,目印文化交流の源が掘り起こされ,インドに源流を発する我が国芸能の一端が里帰りを果たす等,草の根の交流にも大きな成果がもたらされました。これによって,インドの国民は,我が国が経済と技術の国であるのみならず,世界に誇りうる文化を有する国でもあることを,改めて認識されたのではないでしょうか。
南西アジアは,文化遺跡の宝庫でありますが,これらは,また,人類共通の財産でもあります。この財産を大事に守っていくお手伝いをする道も,今後我が国として模索していきたいと考えます。
最後に,人的交流の促進を通ずる相互理解の必要性に触れたいと思います。国と国との関係は,結局は,人と人との関係に帰着するものであります。現在我が国政府は,南西アジア諸国より,毎年多くの研修員を受け入れている他,青年招聰のプログラムを実施し,相互理解の増進を図って参りました。この度,新たに未来の国造りを担う南西アジアの青年を今後5年間に500人我が国に招聰し,我が国の経済・社会についての理解を深めるとともに,日本の同世代の青年との交流を通じ,友情と信頼を培うことを目的とする日・南西アジア友情計画を発足させ,相互理解の一層の促進を図りたいと思います。
議員の皆様,
私は,明日,当地を発って,バングラデシュ,パキスタン,そして,スリ・ランカの南西アジア諸国を訪問し,最後に東南アジアのインドネシアに立ち寄ります。この私の旅が,これら諸国と我が国の,そして,さらにこれら諸国間の連帯の絆を強めることに役立つならば,私にとって望外の喜びであります。
我々が目前に迫った21世紀を,人が人として尊重される「平和と繁栄の時代」とするには,なお一層の変化が予想される20世紀最後の10年を通過しなければなりません。私は,このような時代において,同じアジアの仲間である日本と南西アジア諸国が協力してこの時代の荒波を乗り切り,新世紀に向けて力強く発展することを強く希望するものであります。
貴国建国の英雄ネルー首相は,独立を迎える夜のインド議会に向かって,「今夜真夜中の鐘が鳴るとき,インドは生命と自由に目覚める」と語りかけました。10年後,21世紀を迎え入れる真夜中の鐘が鳴るときに,地球社会が,明るい展望をもって祝杯を挙げられるよう,共に語り共に働こうではありませんか。
(5)ジョージア日米協会主催晩餐会における海部内閣総理大臣演説
(90年7月12日,アトランタ)
(導入)
ハリス州知事ご夫妻,ジャクソン・アトランタ市長ご夫妻,ジョージャス日米協会会長ご夫妻,ご列席の皆様,本日は,優れた幅広い活動により日米両国の親善に貢献し,高い評価を得ておられるジョージア日米協会のお招きにより,皆様の前でお話出来ますことを,大変うれしく思います。
私は,力強く発展しつつある米国南東部を訪れることを永らく念願していました。
私が南東部と重要な関わりを持つ契機となったのは,私自身が発起人の一人となり,1982年に日本の国会議員によるサンベルト議員連盟が設立されたことです。これは,日本と米国南東部との友好関係の促進を目的とした議員の集まりですが,私はその設立会合において,当時のマンスフィールド駐日大使がスピーチをされ,日米関係はワシントンのみではなく,南東部のような重要な地域との交流をも重視した全体の関係を考えるべきであると話されたことを鮮明に思いだします。そのような意味でも,日本の総理として初めて南東部を訪れることが出来たことを大変喜んでおります。
私はまた,「風と共に去りぬ」の舞台,スカーレット・オハラの故郷を訪れることができて嬉しく思います。彼女の情熱と独立の精神には,多くの日本の女性が,米国の女性と同様,密かな憧れを抱いたのではないでしょうが。ここにいる私の家内も,その一人だと言っていました。彼女が私の中に,レット・バトラーを見たかどうかは,私には勇気がなくて聞いていませんが。
(国際情勢認識)
今週の月曜日から3日間,私たち先進7カ国の政治指導者達は,ヒューストンで,戦後最大の変革を経験しつつある世界の現状について協議しました。私たちは,現在の好ましい変化を更に進めるため,世界各地で民主主義を支持し,より確かなものとしていく決意を確認しました。
産業革命とそれに引き続く経済の発展を生みだした自由経済は,半面,社会の片すみに貧困をもたらし,19世紀半ば,人間の開放を掲げて共産主義が登場しました。しかし,自由経済がよくその矛盾を克服する努力を行ってきたのに対し,個人の能力の自由な開花を妨げた共産主義は独特な官僚制と非効率を生み,その大規模な実験を大衆の貧困と挫折のうちに終えました。20世紀の大半を特徴づけたイデオロギー上の敵対関係は薄れつつあり,平和と豊かさを求め,世界の人々は同じ言葉で話し始めています。それは,自由と民主主義,人権の尊重に対する米国の信念が,そして米国に助けられた戦後の日本の道が正しかったことを証明するものであります。
もちろん,多くの問題が残されています。ソ連は,不安定な国内情勢を抱えつつ,依然として軍事超大国であり続け,また,その「新思考外交」は,アジアにまで十分に及んでいません。南北間の所得格差は依然として存在しています。局地的な紛争も続いています。改革を進めている国が不安定化する可能性もあります。更に,イデオロギー的対立の後退により,民族的・宗教的な対立が却って激化するおそれもあります。私たちは依然として気を緩めることはできません。
しかし,東欧において,ソ連において,中米において,アフリカにおいて,政治の民主化と,経済の自由化の波は,力強く押し寄せています。アジアにおいては,フィリピンが,韓国が,ミャンマーが,そしてモンゴルが次々と民主化への道を歩みつつあります。このような地球的規模の変化が,90年代の大きな潮流となりつつあります。
90年代の世界では,二大社会主義国であるソ連と中国はイデオロギー的な独自性を失い,自由,民主主義,市場経済という言葉は,普遍的な原則として広く受け入れられるものとなるでしょう。
(平和で豊かな社会の実現と日本の役割)
このような原則が広く定着していくことは,平和で豊かな世界の前提となるものです。しかし,それだけでそのような世界が実現されるわけではありません。富めるものがますます豊かになるだけで,貧しいものが貧しいままの世界は,私たちが望むものではありません。また,そのような世界は安定的なものでもありえません。私たちは,国内にあっては,不平等や貧困を除去し,世界にあっては,開発途上国の経済水準を引き上げるための努力を続けなければなりません。これら諸国が必要としている,資金と技術を提供するうえで,世界最大の援助国である日米両国の責任と役割は極めて重要です。
民主主義によって確保される自由を形だけのものに終わらせてはなりません。物を買う自由があっても買うお金がなければ,そのような自由はみじめです。経済的にも社会的にもしっかりした裏付けを持つ「実質的自由」としなければなりません。そのため日本は,自分たちの経験やノウハウをアジアをはじめとする第三世界に移転することにより,これら諸国をできる限り支援していく決意です。
(人間的な理念)
私は今日,マーティン・ルーサー・キング記念センターを訪れ,キング師の偉業に触れる機会を持ちました。「現在の困難や失望にも拘らず,私には夢がある」として,真の平等が達成される日が来ることを高らかに宣言したキング師のワシントン行進の演説は,全ての人の心を熱くします。私は,大きな困難に立ち向かう勇気と高い理想主義に,強い感銘を覚えます。
私たちは今,平和で豊かな21世紀の実現という大きな挑戦を前に,キング師の勇気と理想主義を受け継ぎたいと思っています。
かつてない繁栄を享受している先進民主主義諸国も多くの問題を抱えています。麻薬や犯罪,教育の抱える様々な問題,環境破壊等,個人の幸福実現を妨げる様々な問題があります。これらの問題に対処するためには,私たちは,自由,民主主義,市場経済に加えて,より人間的な理念を重視しなければなりません。
私達の社会は,そのような人間的な理念を備えていないわけではありません。米国においては,それは,慈善の精神に基づく社会貢献であり,企業や個人が寄付や様々な奉仕活動を行ったりする行動につながっています。日本においては、それは,助け合いや,相手の身になって喜びや悲しみを分かちあうことを大切にするところにあらわれています。
これらの理念は,一言で言えば,「やさしさ」とか,「思いやり」,「寛容」という言葉で表現されるものです。これらの理念には,それぞれの社会と文化に特有の性格もあります。日本について言えば,ビジネスであれ何であれ,まず人と人とのつき合いから全てが始まります。そのことにより相手の身になって考える基礎ができると考えるのです。しかしこのような日本的な理念は,日本人同士の中でのみ適用されるものであってはなりません。日本という枠組みを超えていかなければならないと思います。
世界が一つの生活共同体として一体化していく中で、私たちは多くの糸でお互いに結びついています。私たちが快適さを求める余り多くのエネルギーを消費すれば,世界の資源の枯渇を早めるだけでなく,私たちの地球そのものの環境を破壊しかねません。また別の例で言えば,外国の不動産への集中的な投資は,地価を急激に高め,その土地の人たちの住宅の取得を困難にします。私たちは,意識せずに,他人の生活に大きな影響を与えることがあるのです。そのことを私たちは知る必要があるし,その人たちの身になって考えてみる必要がある,すなわち,私たちの持っているはずの「やさしさ」や「思いやり」,「寛容」を国境を超えて広げていくことが必要なのです。
幸い,日本人の意識はそのような方向に向けての変革の過程にあるのではないがと思います。例えば米国の著名な社会福祉団体であるユナイテッドウェイに対する日本人の拠出は,この3年間に650%増加し1,200万ドルに達しています。ボランティア活動も増えています。昨年11月にサンフランシスコ湾岸地域を襲った地震に対して,日本の多くの市民たちからまたたく間に1,000万ドル以上の寄付が自発的に寄せられ,日本の大学生達がサンフランシスコに応援にでかけました。日本の市民は,ごく自然に,震災を米国の市民の身になって感じたのです。
(日米関係)
日本が対外的なかかわりを考えていく上でも,最も重要なのは米国との関係です。昨年8月に総理に就任して以来,私は,強固な日米パートナーシップの構築のため,ブッシュ大統領と協力しつつ努力してきました。
それは,同盟国であり,経済的に強い相互依存関係にある米国との良好な関係が,我が国に不可欠と考えたからだけではありません。戦後の世界の秩序が一挙に変化せんとする中で,我が国が,世界のために貢献していくためには,基本的な価値を共有する米国との緊密な協調が必要と考えたからです。
日米両国の関係は,強固であり良好です。先頃,両国は,安保条約締結30周年を祝いました。この30年間,日米安保条約は,日本の安全を確保する抑止力として有効に機能し,また,日米の同盟関係の基礎として,両国関係の発展を支えてきました。私は,ちょうど30年前に国会議員となり,安保条約と共に政治の道を歩んできました。その私にとって,日米安保体制が,我が国の平和と繁栄を可能にしてきたのみならず,アジア・太平洋の平和と安定の重要な枠組みとなっていることに,ひとしおの感慨があります。
他方,日米は,良き協力者であるとともに,建設的な競争者としての関係の中でこれまで幾多の経済摩擦に直面してきました。しかし,重要なことは,両国は,繊維,鉄鋼から衛星,スーパーコンピューターに至るまで,全ての経済問題を話し合いによって解決してきたことです。私は,この様な強靭な日米の関係を,世界のために役立てなければならないと確信しています。現在直面している国境を超えた多くの問題に取り組むにあたり,世界の生産力の約4割を占める日米両国が力をあわせれば,多くのことが可能となるでしょう。日米のグローバル・パートナーシップという考えのもとに,このような日米の協力を発展させることは,私たちの責務でもあります。就任早々の昨年9月訪米した私は,このような私の考えをブッシュ大統領に伝え,大統領も全く同じ考えであることを確認しました。
その後の1年間,日米の協力関係は,まず,アジア・太平洋においては,中国に対する政策や,フィリピンに対する支援,更には,カンボディア問題解決への努力等の面で,具体的成果を生みつつあります。そして,ソ連への対応や,東欧や中南米への支援と,地理的な広がりをみせ,また,麻薬や環境問題といった新たな領域に手をのばしました。私は,この関係がとりわけアジアにおいて,紛争地域の緊張緩和や太平洋協力の形で一層進展することを期待しています。
私は,このような日米両国の地球的規模での協力関係とともに,良好な二国間関係の実現を図るため,ブッシュ大統領と共に,構造問題協議を始めとする二国間問題の解決に全力を傾けてきました。
(構造問題協議の内容と意義)
ここで,構造問題協議について触れたいと思います。
この協議は,日米双方が抱える両国の構造的問題への取り組みのため,昨年9月以来,精力的に進めてきたものです。協議の過程では,多くの困難がありました。しかし,日米双方の多くの努力の末に2週間前にまとめられた最終報告書は,日米両国の経済にとり極めて有益なものです。日本の措置は,今後10年間で430兆円,約2.8兆ドルの公共投資を行い,生活の質を高めるような社会資本の充実を図ることを始めとして,流通制度の改善,独占禁止法の強化,厳正な運用など,消費者利益に配慮した大きな改革を目指すものであります。また,米国については,財政赤字の削減に加え,企業の投資活動と生産力,研究開発,労働力の訓練・教育といった事項についての具体的措置が含まれています。私たちは最終報告に盛られた諸点を日本自身が当然果たすべき政策目標として,誠実に履行していきます。
さて,この構造問題協議は,日米間で,他国の国内問題であるとしてこれまで正面から議論を行うことのなかった諸問題,即ち貯蓄と投資,土地,流通,労働者の教育などについて,友人としての立場から双方が率直に指摘しあい,それが両国の具体的行動に結実するという新しい形の協議でした。言い換えれば,日米双方が,客間でのお付き合いの段階を越えて,初めて双方の台所にまで入り込んで議論をしたのです。
そのことは,日米の相互依存の関係が,お互いの経済や社会のあり様についてまで助言しあうほどに深まっていることを示しています。そのことはまた,物や資本や情報の交流において国境が事実上なくなりつつある世界ではお互いの経済や社会の制度の調和が不可避となっていることを意味しています。
他方,このような協議は,相手を批判する場となってはならず,あくまでも建設的な成果を生むための共同作業としなければなりません。
以上のようなことについて,日米両国政府が,各々の国民の理解を十分に得ていくことが,極めて重要です。
(日米コミュニケーション改善構想)
日米は今や,台所まで入り込む仲の良い隣人のようになっています。しかし,良い隣人関係を維持するというのはむずかしいものです。相互理解はただ近くに住むだけで進むものではなく,そのための意識的な努力がいるのです。
米国には,「日本は,経済,社会,人間関係のあり方全てについて,基本的に異質の国であり,日本に対しては異なったルールを適用するしかない」と主張する人がいます。私は,そのような主張は間違っていると思います。
先ず第一に,そのような主張は,これまでいかなる問題が起ころうとも,それらを全て話合いにより解決してきたという現実を見落としています。
第二に,そのような主張は,日米両国民が,相違点よりもはるかに重要な共通点を有していること,つまり,自由と民主主義という基本的な価値を共有するだけでなく,世界の最先端にある社会として現代が抱える諸問題まで共有しているという現実を見落としています。
第三に,そのような主張は,日本が常に変化しており,今後も変化していくであろうことを見落としています。
中規模国家として自らの経済的利益の追求だけを考えていれば良い段階から,世界経済の運営により直接的な責任を負う立場に変わった日本は,自らの利益を世界全体の利益と調和させるため多くの努力を払いつつあります。国民の意識も徐々に変わってきています。構造問題協議が成功裡に終えられたのも,消費者重視の社会への変革を求める多くの国民がこれを支持したからです。
更に一つ申し上げたいのは若い世代についてです。最近の日米の若者の思想や行動様式を見ていると,国境がなくなりつつあることも実感します。例えば,日本で放送されるニューヨークのラジオの音楽番組に多くの日本の若者たちが日本から電話でリクエストをしています。尤も,この番組は日本の国際電話会社の提供によるものなのですが,それでも若い人たちの変化を十分示しています。
私たちは,それぞれの社会のあり方について,更に深く理解しあうことが求められています。しかし現状では,言葉の障害もあり,そのようなコミュニケーションは,物や資本の交流ほどには進んでおりません。そこで私は,今後,日米の相互理解を一段と進めていくために,コミュニケーションの改善に真剣に取り組んでいきたいと考えています。私は,このような意識的な努力を,コミュニケーション改善構想(コミュニケーション・インプルーブメント・イニシアチブCII)と名付け,これからの優先課題としていきたいと思います。
この構想は,日米の相互理解の前提となる対話と交流を深めるために,どのような分野でどのような方策を講ずべきかについて日米間で話し合い,日米双方がそれを実行してゆくことを目的とするものです。
その場合極めて重要なことは,お互いのコミュニケーションの目的をどのように認識するのか,という問題です。つまり,お互いの理解を深めるということにとどまらず,両政府だけではなく,両国国民が,私達の社会や世界が共通に抱える課題について話し合い,とるべき共同の行動につき共通の認識に至ることが必要なのです。そのようなより幅広く,かつ,より深い知的対話を通じて,それぞれの社会が独善に陥ってはいないかといったことについて考えてみることも可能になりましょう。即ちこの構想は,自らの変革の試みでもあるのです。
私は,このような計画を具体的にどのような形で,また,どのような場で進めていくかについて日米間で話し合っていきたいと考えています。
(結び)
21世紀の世界は,私たちが今,目のあたりにしている政治や経済の大きな変化や科学技術の進展により,今よりも一層人々が相互に依存しあう,一つの共同体となっていることでしょう。日米両国の関係は,そのような新しい世界のあり方を示す模範とならなければなりません。日本は一層大きな役割を果たさなければなりませんし,また,米国だけが果たしうる役割の重大さは変わりません。
日米両国の将来は,他の全てのことと同様,若い人たちの手の中にあります。
私たちの世代の使命は,若い人たちが素晴らしい日米関係を築いていく,その基礎を固めることです。豊かな大地の上にたくましく茂った木は,時々の風にも雨にも揺らぐことはありません。年々歳々新緑が芽吹き,成長して枝となり,高い木となっていくように,子供たちや,そのあとに来る若い世代に,このような明るい未来を引き継ごうではありませんか。