5. 大洋州地域
(1) 概要
豪州・ニュー・ジーランド両国とも,87年半ばに総選挙を迎えたが,いずれも与党が勝利し,引き続き政権を担当することとなり,また,経済面では,両国それぞれ一次産品輸出に依存する経済構造からくる課題との取り組みが注目された。
南太平洋島喚地域では,87年,南太平洋地域では初めてのクーデターがフィジーで発生するなど流動化の兆しが見え,国際的注目を集めている。
(2) 大洋州地域の動向
(イ) 豪州
政権4年を経過し,依然として厳しい経済環境の中で,自由主義的経済政策を推進する等現実的中道路線を推進したホーク首相の下の労働党政権は,87年7月,野党内部の混乱に乗じて早期総選挙を実施,これに勝利し,第3次ホーク政権が成立した。
同政権の最大の課題は,引き続き,世界的な一次産品市況の低迷で深刻な影響を受けた豪州経済の再建であり,一次産品輸出依存からの脱却と第二次,第三次産業の強化等,豪州経済の抜本的構造調整,体質改善を目指し,着実な努力を積み重ねている。このための引き締め型の財政政策,公営企業の民営化を含む産業構造調整推進のための諸施策,輸出振興のための措置,外国からの投資促進のための外資規制の緩和等は一応の効果をあげつつあり,86/87,87/88年度の豪州経済は回復基調にあるといえよう。他方,87年9月には,投機的色彩の強い過熱気味の不動産投資に対処するため,外国人による都市部開発済不動産の取得に関する規制強化が実施される等の動きも見られた。
外交面では,ホーク政権は,西側陣営の一員として,ANZUS条約を軸とする対米関係,最大の貿易相手国たる我が国との関係及びASEAN諸国など東アジア,太平洋地域の諸国等との関係を重視した政策を展開してきており,域内国として南太平洋地域への関心をより深めつつも,基本的には従来の政策を踏襲している。
米国との関係では,農産物貿易面での意見の不一致はあるものの,政治戦略面での強固な関係が維持されており,また,ニューカレドニア問題等をめぐり一時悪化した対仏関係も,最近に至り改善の兆しを見せている。
なお,ソ連との関係では,87年11月から12月にかけてホーク首相が訪ソ,貿易,宇宙空間利用等に関する取極への署名が行われる等の進展があった。
(ロ) ニュー・ジーランド(NZ)
ロンギ労働党政権は,84年7月に発足以来,中・長期的観点からの経済再建を目指し,規制緩和・行財政改革を含む自由主義的経済政策に則った諸改革を積極的に推進してきた。引き続く経済不況の中において87年8月に行われた総選挙は,右政策の是非について国民の信を問うものであった。総選挙の結果は,労働党が野党国民党に勝利し,同党としては約40年振りに2期連続の政権維持に成功した。
ロンギ政権の外交政策にはANZUS問題を含めて,大きな変化はなく,引き続きアジア・太平洋重視,経済・貿易外交重視の立場をとっている。
(3) この地域と日本との関係
(イ) 日豪関係は,従来からの相互補完貿易関係を基軸として着実に発展,近年では貿易のみならず投資,観光,科学技術,文化,人物交流等あらゆる側面での関係の緊密化が進んでいる。ハイ・レベルの政府間の接触も頻繁であり,88年7月には豪州建国二百年を契機として竹下総理大臣が訪豪,二国間関係の多角化,地域問題や国際経済問題に関する日豪協力につきホーク首相と意見交換を行った。また,豪側からは,87年12月にはホーク首相,88年2月にはボーエン副首相,4月にはヘイドン外務貿易大臣が訪日した。政治面では,太平洋島興国に関する日豪協力が進展を見せている。
経済面では,88年6月,日豪間の最大の懸案であった牛肉問題が決着をみた外,87年11月に豪州観光投資ミッション(団長,ブラウン観光相)が訪日する等,あらゆる分野での協議が進んでいる。
また,88年には豪州建国二百年祭が行われ,我が国も,ブリスベン万博への参加,科学センター建設への協力等積極的に参加協力を行っている。
(ロ) 南太平洋島興国は,情勢の流動化と英・豪・NZ等旧宗主国の相対的影響力の減少傾向の中で,経済・技術協力を始めとして我が国との関係強化を求め,我が国もこれに積極的に対応し,我が国とこれら諸国の関係は急速に緊密化した。
我が国は,87年1月の倉成外務大臣のスヴァ(フィジー)における演説のフォローアップに努め,この地域に対する経済協力の拡充に努め,また,人物交流も増大した。
さらに,南太平洋における重要な地域協力機関である南太平洋フォーラム(SPF)との対話の枠組みを確立するために,SPF議長を毎年訪日招待することとし,これに基づき87年8月,SPF議長ヴァアイ・コロネ西サモア首相が訪日し,滞日中,同首相は中曽根総理大臣を表敬,倉成外務大臣と会談した。
また,クーデターの発生したフィジーからは,88年2月にマラ首相が訪日して竹下総理大臣と会談し,これを契機として,クーデター発生後一時停滞した日・フィジー関係が再び緊密化することとなった。