4. 南西アジア地域

(1) 概要

南西アジア地域においては,従来,「印・ソ」対「パ・米・中」の図式の存在が指摘されてきたが,最近,パキスタンの核開発と米の対パ新規援助をめぐる問題,軍事分野を含む印米関係の進展,アフガニスタン問題解決への動き等の新たな要素が出てきている。一方,南西アジア域内においては,域内大国たる「インド」対「各周辺国」との図式の存在がしばしば指摘される。

他方,85年12月に南アジア地域協力連合(SAARC)が成立し,域内協力の気運も見られる。SAARCは87年11月2~4日に第3回首脳会議を開催,テロ防止及び食糧備蓄に関する2つの協定を締結するなど,順調な発展を示している。

(2) スリ・ランカの民族問題

スリ・ランカの少数民族タミル人過激派が多数派のシンハラ人と衝突するという形で繰り広げられてきたスリ・ランカの民族紛争については,87年7月にガンジー首相がスリ・ランカを訪問して,ジャヤワルダナ大統領との間で政治解決のための基本的合意を成立させたことにより一応の収拾をみた。しかし,同年10月に入ってタミル人過激派のタミル・イーラム解放の虎(LTTE)が武力活動を再開,本件合意に基づき派遣されていたインド平和維持軍(IPKF)と全面的に衝突,10月末にIPKFはLTTEの本拠地ジャフナを制圧したが,LTTEは東部及び北部に逃亡して依然抵抗を行っている。

スリ・ランカ政府及びインド政府は政治解決の途を探っているが,タミル人側とシンハラ人側の双方を満足させるような解決をもたらすことが出来るかどうか,予断を許さない。

(3) 印パ関係

印パ間には,分離独立の経緯,その結果としてのカシミール地域の帰属をめぐる対立,3回の紛争(1947,65,71年)による相互不信と憎悪や米国の対パ軍事援助,印パ双方の核開発問題等が存在する。最近は,カシミールにおける両国軍の小ぜりあい,パンジャブ州のテロリストをパキスタンが支援しているとのインドの対パ非難等,両国関係はさらに冷却化しているが,他方で,87年11月のSAARC首脳会議の際に行われたガンジー首相とジュネジョ首相との会談での合意に基づき,一連の次官級協議を開催するなど対話の努力は続けられている。

(4) インドの内政

84年末政権についたラジーブ・ガンジー首相は,政権1年目に取りつけたパンジャブ合意及びアッサム合意が何れもその実施段階で種々のほうちゃく困難に逢着する等,政権2年目にはそのパフォーマンスにかげりが見えてきた。87年に入ると,一連の州議会選挙でのコングレス党(1)の敗北を背景に,有力閣僚の離反・造反の動きが見られたほか,国防調達をめぐっての賄賂スキャンダルでガンジー首相身辺に疑惑が及ぶ事態となり,ガンジー首相の威信は低下した。加えて年央には今世紀最大の早越に見舞われる等,ガンジー政権は発足以来最も厳しい政治状況に立たされた。

しかし,与野党を通じガンジー首相に替り得る国民的指導者が不在である上,連邦議会での圧倒的優位,あるいは外交分野でのイニシアティブ(スリ・ランカ民族問題に関するインド・スリ・ランカ合意)等をてこに,苦心の政治運営で当面の難局を乗り切ったと見られている。

(5) パキスタンの内政

77年7月クーデターにより成立したハック政権は,85年12月,8年半にわたった戒厳令を撤廃し,民政移管を実施した。85年4月に就任したジュネジョ首相は,安定的政治運営を行っていると見られていたが,88年5月末ハック大統領の突然の国民議会(下院)解散により更迭された。ハック大統領は暫定内閣を発足させた後,11月16日に総選挙を実施することを発表した。

しかし,8月17日,同大統領は,搭乗機の墜落により急逝し,直ちに憲法の規定に従いカーン上院議長が大統領代行に就任し,「緊急事態評議会」(連邦・州政府,軍の要人で構成)を設置,全土に緊急事態宣言を行うとともに総選挙を予定通り実施する旨発表した。現在,選挙が予定通り実施されるか否か,実施された場合の結果がどうなるかが注目されている。

(6) 我が国との関係

我が国と南西アジア諸国の関係は伝統的に良好であり,87年度においても,右がさらに増進された。まず,8月に倉成外務大臣が,インド,スリ・ランカ,バングラデシュの3か国を訪問して各国要人との意見交換を行い,また,ダッカで行ったスピーチにおいて,(イ)アジアの平和を目指しての政治対話の促進,(ロ)国民的レベルでの相互理解のための交流の増進,(ハ)互恵的協力関係の強化,の3つを柱とする我が国の対南西アジア政策を明らかにした。南西アジア諸国側からも,7月にジュネジョ・パキスタン首相が公賓として来日した外,88年4月,ガンジー・インド首相がインド祭開会式出席のため来日するなど,ハイレベルの交流が促進された。

我が国と南西アジア諸国との経済関係は,東南アジア諸国とのそれに比べて小規模にとどまっている。特に,近年我が国の海外直接投資が増大しているにもかかわらず,南西アジア地域に対する投資は依然低調であり,南西アジア諸国側は,我が国からの投資に強い期待を抱いている。こういつた状況を背景に,88年1月,末松三井銀行副社長を団長とする政府派遣投資環境調査団が,パキスタン及びインドを訪問した。

文化交流面においては,87年10月から11月にかけ,インド主要各都市において「日本月間」が開催され,伝統的なものから現代的なものまで幅広い日本文化の紹介が行われた。一方,88年4月から10月まで,インド文化を総合的に紹介する「インド祭」が本邦各地で開催されている。これらを通じて目印間の友好親善が一層促進されることが期待される。

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