2. 中国
中国では87年秋の第13回中国共産党大会と88年春の第7期全国人民代表大会第1回会議を通じて,78年末以来推進してきた改革と開放の政策をさらに促進するとの基本方針が再確認され,また今後5年間の政策の担い手となる党と国家の新しい指導部の人事配置が整えられた。また,外交面では東欧との関係正常化が実現する等の動きがあった。
(1) 内外情勢
(イ) 内政
(i) 全般
1978年12月の党第11期中央委員会第3回全体会議で,近代化達成を党と国家の活動の中心とする方針が決定されて以来,中国は近代化実現のために経済建設を最重要視し,具体的施策として諸改革と開放政策を進めている。
(ii) 改革と開放
87年1月の胡ヨウ邦総書記辞任に続きブルジョア自由化反対キャンペーンが開始されたが,1月29日の春節祝賀会,また,3月半ばの宣伝関係会議において,趙紫陽総書記代理は,キャンペーンは政治原則,政治方向の問題であり党内に限る,経済改革,農村の改革には結びつけてはならないとして,その沈静化に努めた。それを決定的なものにしたのは,5月半ばの趙紫陽総書記代理の講話であり,改革・開放により経済建設を進めることの重要性が強調された。以後,内政の流れは再び改革重視に転じ,10月の第13回党大会を迎えることとなった。
(iii) 第13回党大会
87年10月開催された第13回党大会は,改革と開放の一層の促進を再確認し,トウ小平主席の威信の下,趙紫陽総書記(党大会で総書記に就任)及び李鵬総理代理を中心とする集団指導体制の基礎を固めた。さらに「社会主義初級段階」論を提起し,政治体制改革の構想を示したことにより,経済建設の順調な進展に寄与することが期待されている。
趙紫陽総書記はその「活動報告」の中で,中国は1950年代に生産手段所有制の社会主義的改造を基本的に達成した時から,将来,社会主義近代化を基本的に達成するまで,少なくとも100年の歳月を必要とするが,この期間は全て社会主義の初級段階に属する,との理論を提起し,現行の改革・開放政策に理論的根拠を与えた。同「報告」はさらに,政治体制改革の構想を示し,その基本目標は,弊害を取り除き,長所を伸ばし,中国の特色を持つ社会主義の民主政治を打ち建てることであるとして,政治体制改革への着手を宣言した。
(iv) 第7期全国人民代表大会第1回会議
88年3月開催され,新しい国家指導者の選出,改革・開放の促進のための諸措置により,今後の活動を近代化実現へ向けて指導していくとの方向がより明確となった。
87年秋の第13回党大会の人事と併せ,トウ小平主席の威信を背景に,趙紫陽総書記,李鵬総理(全人代で総理に就任)を中心とする集団指導体制が確立した。また,国務院の機構改革,憲法の一部修正,企業法の採択,海南省の成立等,政治体制改革と経済体制改革を推進するための諸措置が採られた。
(ロ) 外交
(i) 全般
87年春の全国人民代表大会及び同年秋の第13回党大会における報告は,いずれも中国の外交の基本原則に触れたのみで2国間関係には言及しなかったが,これは内政重視の表れとみられた。中国は,前年に続いて87年も活発な外交活動を展開したが,欧州,とりわけ東欧との頻繁な首脳外交が顕著であった。他方,87年2月のベリーズ及び88年2月のエクアドルの中南米地域2か国との外交関係樹立により,中国は135か国と外交関係を有することとなった。
(ii) 対ソ関係は,78年以来中断されていた国境交渉の再開,88年1月の中国国営週刊誌「瞭望」へのゴルバチョフ書記長インタビューの掲載等,関係が改善しつつあることを示した。ソ連側の積極的姿勢が目立ったが,中国は依然として慎重な姿勢を示し,ゴルバチョフ書記長の首脳会談呼びかけに対しても中国側はソ連が越にカンボディアから撤兵させることが首脳会談の前提条件であるとの立場を繰り返し表明した。
(iii) 対米関係は,87年も全般的に良好に推移した。同年前半にはシュルツ米国務長官が訪中し,楊尚昆中央軍事委員会副主席が訪米した。同年後半には,チベットの騒乱をめぐり中国側が米議会を非難した外,中国の対イラン武器供与,米国駐在の中国外交官の国外退去等が生じたが,米中双方ともこれらが両国関係に影響を及ぼさないよう慎重に対処した。
(iv) 中朝関係では3年ぶりに金日成主席が訪中し,中国の党大会直後にも李根模首相が訪中したが,中国側からの首脳訪朝はなかった。中国は88年1月,ソウル・オリンピック参加を表明しており,また韓国との間接貿易等実務関係は徐々に進展しつつある模様である。
(v) 対欧州外交は,前年に引き続き活発に行われた。すなわち,呉学謙外交部長の欧州7か国歴訪,趙紫陽総書記代理兼総理の東欧5か国歴訪,李先念国家主席の西欧7か国歴訪があり,他方,カーダール・ハンガリー書記長,ジフコフ・ブルガリア書記長,シュトロウガル・チェッコスロヴァキア首相等,訪中が相次いだ。東欧諸国との関係は中ソ対立により長期間冷却していたが,86~87年に双方最高指導者の相互訪問によって,党関係を含めて関係正常化が実現した。
(ハ) 経済情勢(数字は,国家統計局及び財政報告による)
(i) 87年の中国経済はGNPが1兆元を突破,前年比9.4%増と大きく伸長し,国内市場も活況を呈し,85年以来の大幅貿易赤字も縮小,外貨準備の減少傾向も改善されるなど全体として比較的順調に推移した。他方,生鮮食料品を中心とする小売物価の上昇が突出した問題となっている。さらに,経済効率の悪さからくる企業欠損の増大も改善を見るに至っていない。
(ii) 87年の経済実績は,GNPで1兆920億元(2,934億米ドル,1人当りでは272ドル),うち,農業総生産額は4,447億元で前年比47%増(穀物生産高では,4億2.4百万トンで10.9百万トン増),工業総生産額は1兆3,780億元で同じく16.5%増(村営工業を除くと14.6%増)と大きく伸長した。
(iii) 財政歳入は2,368億9O百万元,歳出は2,448億49百万元を記録し,財政赤字は79億59百万元に達した。固定資産投資(全民所有制単位)は2,262億元,うち,基本建設投資は1,324億元,前年比12.6%増となったが,物価上昇分を除くと実際投資規模は前年並みとなり,基本建設投資膨張の趨勢は相当に規制されたことになる。
(iv) 社会商品小売額は5,820億元,前年比17.6%増となった。小売物価は同7.3%上昇,うち,肉,鶏,卵は16.5%,野菜は17.7%それぞれ上昇した。
(v) 貿易総額は,通関統計によると827億米ドルと前年比12%増,うち,輸出は395億米ドル,同27.8%増,輸入は432億米ドル,同0.7%増で,輸出入バランスは37億米ドルの入超で前年の入超額120億米ドルから大幅な改善を見た。貿易外収支は33億9O百万米ドルの黒字となっているところがら,経常収支は若干の黒字となったものと推測される。
外資導入実績は,75億70百万米ドル(借款及び直接投資),前年比4.3%増となった。
(vi) 国民の生活水準については,農民1人当たりの純収入が463元(124米ドル)と対前年比9.2%増,また,都市住民の可処分所得は916元(約246米ドル)で10.6%増となったが,物価上昇分を除いた実質伸び率では各々5.3%,1.7%の上昇に止まった。さらに,都市住民の21%は,物価上昇により実質収入が低下した。
(vii) 87年末の人口は10億80百万人,自然増加率は1.439%となり,85年以降引き続き上昇している。
(viii) 経済体制改革面では,87年は前年に続き企業自主権の拡大を踏まえて,請負い,リースなど多様な経営責任制を推進(87年末で大中型国営企業の78%で実施),株式制を試験的に実施するなど,企業を相対的に独立した商品生産者及び経営者に変えつつある。企業内部では工場長責任制を進め(懸案となっていた全人民所有制工業企業法案も第7期全人大第1回会議に上程),ノルマ管理と経済計算を強化,労働管理制度と分配制度の改革も進められている。また,消費財市場の活性化を図ると同時に生産財市場を発展させ,金融,技術,労務及び不動産の各市場の開拓も進められた。なかでも,金融市場が発展し,全国では一部の省を除きコール市場が開設され,87年末現在,各種債券,株式等発行額累計646億元に達している。
さらに,マクロ経済管理の改革が進められ,指令性計画の範囲が縮小されると共に,指導性計画の範囲と市場メカニズムの働く範囲が拡大されている。
対外開放面では,「沿海地区経済発展戦略」の提案(第7期全人大第1回会議)が注目される。これは国際的産業構造調整期の到来という機会をとらえ,中国沿海地区の豊富な労働力を利用して労働集約型産業の重点的発展を図ると共に,加工業においては,「原料輸入,製品輸出」を実行し,さらに外国よりの投資を奨励することにより沿海地区の経済発展を加速させひいては,全国的な発展を促すという構想であり,今後対外開放は一層進められるものと思われる。
(2) 我が国との関係
(イ) 全般
97年は,日中国交正常化15周年に当たり,田紀雲副総理の来日(1月),第5回日中閣僚会議(6月,於北京)等,日中間の要人往来が活発に行われた。具体的には,右以外に,日本側からは,斎藤厚生大臣(4月),栗原防衛庁長官(5月),矢野公明党委員長(6月),塚本民社党委員長(9月),土井社会党委員長(11月)等が訪中し,また,中国側からは,王蒙文化部長(4月),陳慕華中国人民銀行長(4月),陳敏章衛生部長(6月),崔乃夫民生部長(6月)等が来日した。特に,1月の田紀雲副総理の訪日は胡ヨウ邦総書記辞任直後であったため,官民各界の関心が高かったが,田副総理は,中曽根総理大臣及び倉成外務大臣他と会見し,胡総書記の辞任により日中関係を含む中国の基本政策が変わることはないことを説明した。
第5回日中閣僚会議では,我が方より倉成外務大臣はじめ7閣僚が,中国側から呉学謙国務委員兼外交部長及び谷牧国務委員をはじめ8名の閣僚と2次官が参加,各々の分野における協力関係の促進・強化につき率直かつ有意義な討議を行った。
日中国交正常化15周年に当たる87年9月29日前後には,両国首脳が祝電を交換するなど,一連の祝賀行事が両国で挙行された。また,11月から12月にかけては,日中友好21世紀委員会第4回会合が北京及び同市郊外の香山で開催された。この様に,87年の日中関係は基本的に良好に発展したが,他方,2月の光華寮判決及び東芝ココム事件に端を発した対中輸出既契約分不履行問題につき中国側より批判が寄せられた。2国間関係の発展に伴い,種々の問題が発生してくることは避けられないところであるが,日中双方共に友好協力関係発展の大局に影響を及ぼさないよう努力することが重要との認識を有している。我が国は今後とも,日中共同声明,日中平和友好条約及び日中関係四原則を踏まえ,安定的かつ長期的に日中関係の発展を図っていくことを我が国外交の主要な柱としている。
(ロ) 経済関係
(i) 87年の日中間輸出入総額は,約156.5億米ドル(対前年比0.9%増)となった。貿易不均衡は,87年に入り著しく改善(86年は約42億米ドルの我が国の出超)し,87年は約8.5億米ドルの我が国の出超となった。
(ii) 政府ベースの資金協力としては,84年度以降の第二次円借款について,鉄道,港湾,通信,水力発電の7プロジェクトに対し協力中で(84~90年の7年間に4,700億円を目途),このうち87年度分として850億円を限度とする額の供与に関する内容の交換公文が,87年6月に署名された。
無償資金協力については,87年度協力分として,「日中青年交流センター建設計画(国債一期)」,「長春市浄水場整備計画(一期)」,「北京そ菜研究センター機材整備計画(一期)」,「ウルムチ市水磨溝温泉療養院機材整備計画」など中国の経済発展に寄与するプロジェクトに対し,合計約70億円を限度とする額の供与を実施することとした。
(iii) 国際協力事業団(JICA)を実施機関とする政府ベースの技術協力としては,運輸交通,経営管理,農林業,保健医療をはじめとする広範囲の分野で,研修員の受入れ,専門家の派遣,機材供与などを実施した外,プロジェクト方式技術協力については,「中日友好病院」,「企業管理研修センター」など11件について協力中である。また,青年海外協力隊員は,88年3月末現在で27名に達している。また,運輸交通,地域開発,農業開発,鉱物資源開発や工場近代化など幅広い分野を対象とする各種の開発調査協力が行われている。
(ハ) 人的往来と文化交流
(i) 日中間の人的往来は,1972年の国交正常化当時,約9,000名であったが,正常化15周年に当たる87年には49万人を超え,15年間で54倍と飛躍的な増加を見ている。この間,民間交流はもとより,両国政府間の往来も頻繁となり,首脳・要人の相互訪問,外相協議,閣僚会議等政府間の往来も緊密の度を深めている。
また,県や都市の地方自治体ベースの交流も活発に行われており,73年に神戸・天津の両市が友好姉妹都市となって以来,88年7月現在,109組の友好姉妹省県・都市が誕生し,我が国と諸外国の姉妹都市提携の中で,日米間の姉妹都市提携に次ぎ,第2位となっている。
(ii) 日中間の文化交流は,民間及び自治体ベースで盛んに行われているが,政府ベースでも79年12月に締結された文化交流協定等に基づき順調に発展している。87年4月に王蒙文化部長が外務省賓客として来日,9月には第4回日中文化交流政府間協議が行われた外,青少年交流,中国人留学生の受入れ,中国の日本語教育に対する援助及び文化無償資金供与(16件,累計7億850万円)等の分野で我が国は対中文化交流事業を行っている。また,日中間の人的往来,文化交流の総合施設として東京で建設が進められていた田中友好会館」が88年1月に完成した。
(3) 台湾
我が国との実務関係
(イ) 87年の来日者数は,86年より20.1%増加して約36万人となった。一方,同年の訪台日本人数は86年より15.9%増加して約80万8千人となった。
(ロ) 86年における日台間輸出入総額は,前年比47.3%増の184億4,700万ドルと急増し,我が国の出超額は42億1,800万ドル(日本側統計)となった。
(4) 香港
(イ) 97年に予定されている香港の中国への返還に向けて,将来の香港特別行政区のありようを定める香港特別行政区基本法の起草作業が,中国の全国人民代表大会の下に設置された起草委員会で進められてきたが,90年には制定・公布される運びになっている。
(ロ) 香港経済は好調に推移してきているが,これは,米ドルにリンクする香港ドルが他の主要通貨に対して大幅に切り下がり,輸出を促進したことが主因とみられ,好調な経済が過渡期の香港の安定を支えている。我が国との経済貿易関係は急速に拡大しつつある。