1. 朝鮮半島
(1) 韓国
(イ) 内政
(i) 87年4月13日,全斗換大統領(当時)は野党新民党の分裂により話合いによる改憲が不可能と判断し,ソウル・オリンピック後まで改憲論議を凍結する旨発表した。しかし,これが学生・在野勢力等の強い反発を招き,6月には大規模な反政府デモが全国的に発生した。
これに対し,盧泰愚民正党代表委員が大統領直選制を採用する憲法改正等を骨子とする時局収拾案を発表(6月29日)したことにより,事態は沈静化に向かった。
(ii) 10月には大統領の直選制を定めた改憲案が国会を通過し,12月16日に16年振りの直選制による大統領選挙が行われることとなった。
大統領選挙は,与党からは盧泰愚候補が,野党からは金泳三,金大中,金鐘泌各候補が立候補し,激しい選挙戦の結果,盧泰愚候補が次点の金泳三候補と200万票近い差をもって大統領に当選した。
(iii) 盧泰愚新政権は88年2月25日の大統領就任と共に正式に発足し,韓国初の平和的政権交替が実現した後,政局の焦点は国会議員選挙法改正問題等へと移行したが,3月8日の臨時国会で,地域区議員定数224名,全国区議員定数75名,計299名の議席数とする等を骨子とする同改正法案が可決された。
(iv) 国会議員選挙は4月26日実施され,その結果,与党・民正党125,野党・平民党70,民主党59,共和党35,その他10という議席配分となった。これを受けて,盧泰愚政権は,5月党要職の改編を行ない,次いで一部閣僚も更迭した。また3野党総裁との4者会談を行うなど,野党との関係改善,意思疎通を図る動きがみられた。
(ロ) 外交
(i) 87年の米韓関係は,対米黒字の増加傾向等を背景に,米国からの市場開放圧力が強まると共に,これに対応して一連の市場開放措置が採られた。また,米国は韓国の国内政局に関しては,与野党間の対話と妥協を求め,また,軍部が政治に介入することは望ましくないとの姿勢を保ってきた。
(ii) また,87年には経済,スポーツ等の分野において韓国と社会主義諸国との関係が進展し,88年1月17日に締め切られたソウル・オリンピックヘの参加表明は,ソ連,中国,東欧諸国を含む161の国・地域によって行われ,その規模は史上最大となった。この過程で,これら諸国からもオリンピック関係者の訪韓が相次いだ。また,ハンガリー,ユーゴースラヴィアのスロバニアとの間で貿易事務所の相互設置が合意された。
(iii) この外,韓国は順調な経済発展を背景に途上国に対する経済協力を開始する等,外交活動を活発化させている。
(ハ) 経済
87年の韓国経済は,好調な輸出と活発な製造業投資に支えられて12.0%の高成長を遂げ,一人当たりGNPも2,826ドルに達した。
輸出は繊維,電子機器,機械類を中心に前年比36.3%増の473億ドルとなった一方,輸入は原油等の鉱産品,機械機器類,農水産品を中心に同29.7%増の410億ドルとなった。その結果,86年に初めて黒字を記録した経常収支及び貿易収支は,黒字幅を大幅に拡大(それぞれ98.5億ドル及び76.6億ドル)することとなった。こうした貿易黒字を背景にして,対外債務は87年1年間で89億ドル減少,356億ドルとなったが,他方では,米,EC等との経済摩擦が深刻化している。
また,6.29民主化宣言を契機に全国的規模で労働争議が発生し,その後労働関係諸法の改正も行われ,新しい枠組みの中で民主的な労使関係形成への努力がなされている。
(2) 北朝鮮
内政面では,金日成国家主席の指導体制が堅持される一方,金正日朝鮮労働党政治局常務委員・秘書への後継体制の定着化に変化はみられなかった。また,権力構造も基本的に変化はなかった模様である。
88年2月呉克烈政治局委員が人民軍総参謀長より解任され,崔光政治局候補委員が就任したことが注目された。
外交面では,87年も対中・ソ外交を中心に展開された外,非同盟諸国との関係強化に努力が払われた。
対中・ソ関係では,中ソ両国との間でバランスを維持するとの基本姿勢が持続された。ソ連は87年2月,金正日秘書の45歳誕生日に初めて公式に祝賀した。11月の朴成哲副主席の訪ソ(ソ連10月革命70周年記念),88年2月の呉振宇人民武力部長の訪ソ等の人的交流の外,経済面,軍事面でも関係強化が進んだ。
中国とは,5月に金日成主席の訪中,8月に呉克烈総参謀長の訪中,9月に楊亨隻最高人民会議議長の訪中,11月に李根模総理の訪中等北朝鮮側からの要人の訪中が目立った外,7月清津に中国総領事館が開設される等緊密な関係が維持された。
対非同盟諸国外交では,金永南副総理兼外交部長がユーゴー,インド等を訪問した外,4月の金日成主席誕生日行事にアフリカ諸国の要人を招待した。また,6月,南々協力に関する非同盟諸国閣僚級特別会議が平壌で開かれた。
しかし,大韓航空機事件に関連して,セント・ビンセント,フィジー、セント・ルシアから外交関係を断交された。
経済面では,87年4月に,人民経済発展第3次7か年計画(87~93年)が決定された。同計画は「社会主義経済建設十大展望目標」の達成を基本とし,工業生産の伸び率等の指標は,第2次7か年計画に比べ全般的に低い。7月,「計画遂行のための総動員大会」で,同計画の1年半繰り上げ達成を決議した。88年2月,「200日戦闘」運動をスローガンに,経済建設の加速化を呼びかけた。同年4月発表の88年度予算の伸び率は,87年の伸び率より低く設定された。
(3) 我が国と韓国との関係
(イ) 概観
(i) 65年の国交正常化以来,日韓関係は着実に発展し,現在はかつてない程良好かつ緊密な友好協力関係となっており,広範な分野にわたって交流と協力が行われるに至っている。
87年5月及び88年3月の日韓外相定期協議をはじめとして,累次にわたり外相会談及び閣僚会議が行われ,高いレベルでの間断なき対話が維持された。また,各種の政府間実務者協議を通じて,在日韓国人待遇問題,貿易問題,漁業問題等両国間の諸問題につき,突っ込んだ意見交換が行われた。
(ii) 竹下総理大臣の訪韓
88年2月,竹下総理大臣は,訪韓して盧泰愚大統領の就任式に出席し,韓国政府首脳と会談した。総理は,韓国国民の総意である,同国史上初の平和的政権移譲が実現したことを祝し,また,盧泰愚大統領との首脳会談では,日韓友好協力関係の一層の強化・発展の必要につき意見の一致を見,ソウル・オリンピック成功のための協力姿勢を明らかにした。
(ロ) ソウル・オリンピックヘの協力
中国,ソ連を含む161か国・地域の参加が見込まれるソウル・オリンピックの成功は朝鮮半島の緊張緩和に資するとの観点から,我が国としてできる限りの協力を惜しまないとの方針を採ってきた。そして,特にテロ防止等の安全対策が重要との観点から,88年4月よりオリンピック関連安全対策日韓連絡協議会が開催され,突っ込んだ意見交換が行われた。
(ハ) 21世紀日韓委員会
日韓善隣友好協力関係を国際的視野から長期にわたり安定的に発展強化させていくための21世紀日韓委員会(賢人会議)については,88年8月に第1回会合が開催されることとなった。
(ニ) 在日韓国人の待遇問題
在日韓国人の待遇問題については,87年11月に東京において「在日韓国人の待遇に関する実務者協議」が開催された。また,87年3月にはソウルにおいて「在日韓国人子孫の日本での居住に関する日韓会議」が開催され,いわゆる三世以下の在日韓国人の問題につき事務レベルでの意見交換が行われた。
(ホ) 貿易
87年の日韓貿易は,日本の輸出が132億ドル,輸入が81億ドルと,86年に引き続き総額で25%以上の大幅増となった。円高等を背景に韓国の対日輸出が大幅に増加した結果,韓国の対日赤字が対前年比0.6%減少し,従来から2国間の主要懸案であった貿易不均衡問題に,改善の兆しが見えることとなった。また,両国間では,第20回日韓貿易会議(87年10月)をはじめとして,種々の政府間協議を行った。
(ヘ) 産業技術協力
日韓両国間では,民間企業間の技術提携,直接投資等を通じ,活発な技術移転が行われている。韓国側の技術導入件数は,統計によれば87年1年間の総数637件中308件と,日本が第1位を占めている。また,政府レベルにおいても,経済協力の枠組みの中で企業技術研修員プロジェクトを始めとして,韓国に対して種々の技術協力が行われている。また,「韓国技術者研修計画」では,87年度で153名の研修生の受け入れを行った。
(ト) 航空
88年1月に行われた航空当局間の交渉において,我が国の指定航空企業の複数化が確認され,日本航空に加えて,88年7月より東京―ソウル線に全日空及び日本エアシステムが新規参入することとなった。また,韓国側の指定航空企業の名古屋―釜山/済州,長崎-ソウル及び札幌―ソウル路線の開設が合意され,これに係る書簡の交換が4月27日ソウルにて行われた。
(チ) 漁業問題
1965年に締結された現行の日韓漁業協定の下で,日韓間の漁業関係は,おおむね円滑に維持されてきた。他方,両国の漁業をめぐる環境,操業実態,資源状況等が変化していることを背景に,より効果的な漁業秩序を構築するため,我が国は韓国側と86年7月以来協議を行ってきた。
その結果,83年より北海道周辺水域で実施されてきた韓国側の自主規制措置を一層強化して,同水域から韓国漁船が段階的に撤退することとし,また,これに加えて,西日本を中心とした周辺水域における操業規制及び指導・取締りを強化することとした自主規制措置を88年1月から実施すること,及びこの自主規制の実施状況をも見守りつつ,両国間の漁業をめぐる環境等の変化に適合し,かつ,将来にわたる漁業面での両国の協力関係の基礎となるべき新たな枠組みを模索するため,今後とも両国政府間で協議を行っていくことについても意見の一致を見た。
88年3月末に開催された日韓漁業共同委員会第22回定例年次会議においても,日韓漁業協定遂行に関連する諸問題についての討議を行うとともに,上記自主規制措置等を適切に実施することが,両国漁船の操業問題に対処するうえで重要であるとの点について意見の一致を見た。
(リ) 大陸棚共同開発
共同開発区域では,79年から物理探査が行われ,合計7本の試掘が実施されたが,どれも商業化可能量の石油・天然ガスを発見するには至らず,87年5月には8年間の探査期間が満了した。
このため,これまでの探査結果等を踏まえて,小区域の見直し及び坑井掘削義務数の変更につき韓国側と協議を行った。その結果,小区域は9区域を6区域に変更し,義務数は共同開発区域全体で11本を7本に緩和することで合意し,87年8月に右修正に関する書簡の交換を行った。
(4) 我が国と北朝鮮の関係
(イ) 概観
我が国と北朝鮮の間には外交関係はないが,貿易,経済,文化などの分野では民間交流が行われている。
87年11月29日に北朝鮮により引き起こされた大韓航空機事件(国際テロ問題の項参照)に対し,我が国として毅然たる姿勢を示すとともに,テロ行為の再発を防止するため88年1月26日,人的交流の制限等を含む対北朝鮮措置を発表した。
また,83年11月から北朝鮮に抑留されている第18富士山丸船長及び機関長の早期釈放問題は,未だに解決されるに至っておらず,日朝関係における最大の懸案となっている。
(ロ) 第18富士山丸問題
日朝間の貿易に従事していた貨物船第18富士山丸の紅紛船長及び栗浦機関長は,83年11月中旬,北朝鮮南浦港に入港した際拘束され,以来4年以上の長きにわたってスパイ容疑で北朝鮮に抑留されていたが,87年12月には教化労働15年の第1審判決を受けた。政府としては2人の無実は疑いないものであると確信し,船長・機関長の早期釈放・帰国実現のため,日本赤十字社,第三国等を通じて働きかけを行ってきているが,現在までのところ残念ながら実現に至っていない。政府としては,あらゆる方途を尽くして,今後とも日朝間に横たわる最大の懸案である本問題の早期解決のための努力を続けていく方針である。
(ハ) 漁業関係
北朝鮮沖合での我が国漁船の操業については,86年12月31日に日朝民間関係者間の民間漁業暫定合意の期限が切れたが,両国民間関係者の努力により,87年12月16日に,日本側操業漁船が北朝鮮に入漁料を払う方式を新たに導入した外は従来と同内容の合意が成立した。
また,87年には4隻の我が国漁船が北朝鮮に拿捕されたが,その後全て釈放された。
(ニ) 人的交流
87年中の邦人の北朝鮮への渡航者数は2,202名で,渡航目的は商用,親善交流等であった。同期間中の北朝鮮人の入国者数は403名で,入国目的は商用,スポーツ等であった。同期間中の在日朝鮮人に対する北朝鮮向け再入国許可数は6,200名で,その目的は親族訪問,学術・文化・スポーツ交流,商用等であった。
(ホ) 貿易
87年の日朝貿易は輸出入総額で4億5千5百万ドルと,前年比35.1%増となった。
また,懸案の対日債務問題については,当事者間で引き続き交渉が続けられているが,依然解決の目処はついていない。